14.本物ならば
「木札級です」
「聞こえてる」
ヒノカの口元へ笑みが浮かぶ。
けれど、そこに温かさはなかった。
「冗談でしょ」
「私がそのような冗談を言う人間に見えますか?」
「見えないから、余計におかしいの」
ヒノカは鼻で笑った。
「木札級が禍根蛇を倒した? そんなの、どうせ周りの妖伐士が弱らせたところへ、最後に剣を当てただけでしょ」
「報告書には、彼が神威を発現させた後、禍津蛇を二度斬ったと記されています」
「報告書なんて、書き方次第でどうとでもなる」
「そう思いますか?」
「当たり前じゃない」
ヒノカは迷いなく言い切った。
「神の器が都合よく覚醒して、その直後に力を使いこなし、上級妖を倒したなんて話、信じられるわけないでしょ。器は、そんな簡単なものじゃない」
最後の一言だけが、妙に重く響いた。
神の器は特別な存在だ。
神の魂と力を宿し、人の身では到底扱えない神威を振るう。国を救う英雄として称えられる一方で、ひとたび力を誤れば、災厄そのものにもなり得る。
ヒノカは、その重さを誰よりも知っていた。
物心がつくより前から、自分は普通の人間とは違うのだと教えられてきた。笑えば周囲の温度が上がり、泣けば炎が荒れ狂う。少し怒っただけで壁を焦がし、誰かに触れようとすれば、その手を焼いてしまうことさえあった。
力を制御するための鍛錬は、遊びを覚えるよりも先に始まった。
失敗すれば誰かが傷付く。
気を緩めれば、また何かを失う。
そう言い聞かせながら、今日まで生きてきた。
それなのに、名も知らない木札級の少年が、たった一度の覚醒によって禍津蛇を討ち滅ぼしたという。
簡単に認められるはずがなかった。
「そんなの、器ですらない」
吐き捨てるような声だった。
だがユウマは否定も肯定もせず、ただヒノカの顔を静かに見つめている。
その沈黙が気に障ったのか、ヒノカの眉が僅かに寄った。
「何?」
「いえ。ただ、随分と気にされるのだと思いまして」
「気にしてない」
「そうですか」
「その顔、信じてないでしょ」
「私は何も申しておりません」
ユウマの掴みどころのない返答に、ヒノカは小さく舌打ちした。
「そいつ、本当に王都へ来るの?」
「ええ。すでに本部から正式な召集を出しました。傷が癒え次第、こちらへ向かう予定です」
「ふうん」
ヒノカは溶け落ちた標的へ視線を戻した。
その横顔だけを見れば、もう話には興味がないようにも思える。
けれど、訓練剣を握る指には、いつの間にか力が込められていた。
「私が生まれてから、どう過ごしてきたと思うの……」
ぽつりと漏れた声は小さく、近くにいたユウマにしか聞こえなかった。
誰へ向けた言葉なのか、ヒノカ自身にも分かってはいない。
報告の中にいるミカヅキへ向けたものなのか。
自分を神の器として育ててきた者たちへの問いなのか。
あるいは、力を宿して生まれた自分自身への言葉だったのか。
少女は気付いていない。
胸の奥に湧き上がっている感情が、ただの苛立ちではないことに。
自分より弱いはずの者が同じ場所へ立つことへの焦り。
これまで積み重ねてきたものが、たった一度の覚醒で否定されてしまうのではないかという恐れ。
そして、その少年ならば自分とは違う答えを持っているのではないかという、認めたくない期待。
「力は正しい」
ヒノカが自分へ言い聞かせるように呟く。
少しずつ傾き始めた夕日が、訓練場を赤く染めていた。長く伸びた少女の影が、地面に残る黒い焦げ跡と重なっていく。
「力があれば、守れる」
脳裏をよぎりかけた古い記憶を振り払うように、ヒノカは唇を強く噛んだ。
神の器。
選ばれた存在。
神に愛された子供。
幼い頃から、何度もそう呼ばれてきた。
けれど、ヒノカは知っている。
力が人を救うこともある。
どれほど強い力があっても、救えない命があることも。
そして、守るために与えられたはずの力が、大切なものを奪うこともある。
「正しくなきゃ駄目なの」
僅かに震えた声とともに、握り締めた拳の隙間から赤い炎が漏れ出した。
揺らめく火が、少女の瞳を内側から照らしていく。
「私は間違ってない」
返事をする者はいない。
ユウマも、今だけは何も言わなかった。
ヒノカはしばらく燃える拳を見つめた後、ゆっくりと顔を上げる。赤い瞳から迷いが消え、その代わりに鋭い光が宿っていた。
「そいつが本当に神の器なのか」
炎が強く揺れる。
「その力が本物なのか」
口元へ、挑むような笑みが浮かんだ。
「私が確かめる」
その言葉に込められていたのは、まだ見ぬ少年への敵意だけではない。
焦燥も、不安も、恐れもある。
そして心のどこかでは、自分の炎を受け止められる存在が現れることを、待ち望んでいた。
ユウマはそんな少女の横顔を静かに見つめた後、小さく息を吐いた。
「くれぐれも、訓練場を一つ消し飛ばす程度に抑えてください」
「何それ」
「忠告です」
「人を何だと思ってるの?」
「本日だけで鋼鉄の標的を一つ消滅させた方です」
「消滅はしてない。まだ残ってる」
ヒノカが溶けた鉄を指差すと、ユウマはそれ以上何も言わず、わずかに肩を竦めた。
夕暮れの訓練場には、今なお消え切らない熱と焦げた匂いが残っている。
その中心に立つ火神の器は、まだ見ぬミカヅキとの出会いを思い描きながら、拳の炎を静かに握り潰した。
その頃――王都から遠く離れたヒタチ村では、一人の少年が傷の残る身体を押して、旅支度を始めていた。
自分を待つ者がいることも。
その者が燃えるような敵意を向けていることも知らないまま、ミカヅキは王都へ続く道を歩み始めようとしていた。




