13.火神の器
王都タカマガの中心にそびえる妖伐士本部。その敷地の一角に設けられた広大な訓練場へ、腹の底まで震わせる轟音が響き渡った。
次の瞬間、地面へ引かれていた幾重もの防護線を突き破るように、巨大な火柱が天高く噴き上がる。
紅蓮の炎は意思を持った生き物のように激しくうねり、螺旋を描きながら中央に据えられた鋼鉄製の標的を一息に呑み込んだ。爆ぜた熱風が地面を走り、数十歩も離れた場所で見学していた妖伐士たちの頬へ容赦なく叩き付けられる。
「熱っ……!」
腕で顔を庇いながら後退する者もいれば、巻き上がった砂埃から逃れるように目を閉じる者もいた。防護の符が張られているにもかかわらず、肌を焼くような熱は完全には遮り切れていない。
炎の中から、鋼鉄が軋む甲高い音が聞こえてくる。
上級妖の外殻を想定して厚く作られた標的が、瞬く間に赤く染まっていった。やがて輪郭が崩れ、飴細工のように歪み始めると、溶けた鉄がどろりと地面へ流れ落ちた。
焼けた土から白煙が立ち上り、周囲には鼻を刺す金属臭が広がっていく。
「……あそこまで派手にやる必要があるのか?」
見学していた妖伐士の一人が、呆然とした声で呟いた。
「火神様の器だからな。本人にとっては、あれでも抑えているつもりなんだろう」
「冗談だろ……」
「冗談なら、訓練官殿もあんな顔はしていない」
二人の視線の先では、白髪交じりの訓練官が額へ手を当て、今にも頭痛で倒れそうな表情を浮かべていた。
その向かい、燃え盛る炎の中心には一人の少女が立っている。
年の頃は十四、五ほど。
腰まで届く艶やかな黒髪には、燃え残った火の粉を思わせる紅色の髪が幾筋も混じっていた。熱風に煽られて髪が揺れるたび、その紅が炎の尾を引くように踊って見える。
身体つきだけを見れば、まだあどけなさの残る年若い少女に過ぎない。けれど、その小さな身体から放たれる気配は、周囲にいる大人の妖伐士たちを圧倒して余りあるものだった。
何より目を引くのは、燃え盛る炎をそのまま閉じ込めたような赤い瞳だ。
少女の名はヒノカ。
火神カグツチの魂と神威を受け継ぐ神の器であり、王都でその名を知らぬ妖伐士はいない。
幼いながら、その力はすでに金札級を凌ぐとも噂され、集められた神の器の中でも最強候補と目されている。
「随分と脆いわね」
ヒノカは炎を背負ったまま、退屈そうに呟いた。
視線の先にあるのは、もはや標的と呼べる形すら残していない赤熱した鉄の塊だ。地面へ落ちた金属は今なお橙色に輝き、周囲の土を音を立てて焦がしている。
訓練官はしばらく言葉を失った後、大きく息を吐いた。
「……本来、あれは上級妖の外殻を想定して作られた標的なのですが」
「そうなの?」
ヒノカは不思議そうに首を傾げた。
どうやら本当に知らなかったらしい。
「そうなの、ではありません。少しは加減を覚えていただかねば、標的を交換する者の身が保ちませんぞ」
「加減したけど」
「今のが?」
「半分くらい」
訓練官の顔から表情が消えた。
その場にいた妖伐士たちから、笑ってよいのか判断に迷うような乾いた声が漏れる。
「半分で訓練場を壊されては困るのですが」
「壊れてないでしょ」
ヒノカが周囲を見回す。
地面には大きな亀裂が走り、標的の周囲に張られていた防護柵の一部は黒く焦げていた。防護符も数枚が燃え尽き、紙の端から細い煙を上げている。
「……まだ立っていますからな」
訓練官は自分へ言い聞かせるように呟いた。
ヒノカは強い。
将来を嘱望される天才などという評価では足りない。彼女がひとたび神威を解き放てば、並の妖は近付くことすらできず、鍛えられた妖伐士であっても正面から受け止めるのは難しい。
だが、その力はあまりにも強すぎた。
一歩踏み込む距離を誤れば大地を焼き、剣を振るう角度を違えれば、敵だけでなく隣にいる味方まで炎へ巻き込む。一瞬でも感情が乱れれば、周囲のすべてを呑み込む火災になりかねない。
ヒノカが繰り返しているのは、さらに強くなるための訓練ではなかった。
すでに持て余すほどの力を、壊すべきものだけへ正しく向けるための訓練だ。
怪物が怪物であり続けるためではない。
怪物と呼ばれるほどの力を持つ少女が、それでも人の隣で戦うために必要な鍛錬だった。
「次は?」
ヒノカが短剣型の訓練剣を肩に担ぎながら尋ねる。
「本日はこれで終了です」
「まだ全然やってないけど」
「標的が残っておりません」
「新しいのを出せばいいじゃない」
「予備を含めて、これが最後です」
「本部なのに?」
「貴女が昨日も三つ溶かしたからです」
訓練官が低い声で答えると、ヒノカはわずかに視線を逸らした。
「……あれは標的が弱かったから」
「今日のものは昨日より二倍厚くしております」
「じゃあ、次は三倍にすればいいでしょ」
「鉄にも予算にも限りがあるのですぞ」
訓練官の疲れ切った声に、周囲から今度こそ小さな笑いが上がった。
ヒノカは不満そうに唇を尖らせたものの、それ以上炎を出そうとはしなかった。感情に任せて力を使うなと、何度も教えられているからだ。
その時、訓練場の入口から一人の男が歩いてきた。
「ヒノカ様」
聞き覚えのある落ち着いた声に、ヒノカが振り返る。
黒い外套を纏い、腰に長刀を差した男――妖伐士本部直属の監察官、ユウマが訓練場の端に立っていた。
先ほどの熱風がまだ残っているにもかかわらず、表情には汗一つ浮かべていない。
「何?」
ヒノカは訓練剣を肩へ乗せたまま尋ねた。
「随分と機嫌が悪そうですね」
「訓練を途中で止められたから」
「標的が残っていないそうですが」
「新しく作ればいいでしょ」
「訓練官殿の顔色を見る限り、しばらくは難しいかと」
ユウマが一度だけ訓練官へ視線を向けると、男は深く頷いた。
「それで?」
ヒノカは興味を失ったように話を促した。
わざわざユウマが訓練場まで訪れたのだ。標的の心配をしに来たわけではないことくらいは分かる。
ユウマは周囲に残る妖伐士たちへ目を向けた後、いつもと変わらない穏やかな口調で告げた。
「新たな神の器が覚醒しました」
ヒノカの表情が、ほんの僅かに動いた。
「へえ」
返事だけを聞けば、大した興味を抱いていないようにも思える。
だが、炎を宿した赤い瞳は、先ほどよりもわずかに細められていた。
「どこの誰?」
「ヒタチ村に暮らす、カシマ・ミカヅキという少年です」
「知らない」
「地方を拠点に活動する妖伐士ですから、無理もないでしょう」
ユウマは一拍置き、続けた。
「北の森で禍根蛇を討伐し、その戦いの中で神威を発現したと報告されています」
「禍津蛇?」
今度はヒノカも明確に反応した。
禍根蛇は堕つ神に連なるともいわれる、極めて危険な上級妖だ。厚い鱗は並の刃を通さず、たとえ傷を負わせても、異常な速さで再生する。
金札級の妖伐士であっても、単独での討伐は避けるべき相手だった。
「そいつが、一人で倒したの?」
「現場には銀札級と銅札級の妖伐士も同行していました。しかし、禍津蛇へ致命傷を与え、討伐したのはミカヅキ殿とされています」
「そのミカヅキって、何札?」
ユウマはヒノカの目を見ながら答えた。
「木札級です」
訓練場へ、奇妙な沈黙が落ちた。
近くで話を聞いていた妖伐士たちも、驚いたように顔を見合わせている。
ヒノカは何度か瞬きをした後、心底馬鹿らしい話を聞かされたとばかりに、短く息を漏らした。
「は?」




