11.器を狙うもの
王都へ来るように――妖伐士本部の監察官であるユウマから告げられた言葉が、部屋の中へ重く残っていた。
王都タカマガには、すでに複数の神の器が集められているという。彼らは新たに覚醒したミカヅキへ関心を示しているが、その全員が歓迎しているとは限らない。
ユウマが残した不穏な言葉を思い返すたびに、胸の奥がざわついた。
自分と同じように神を宿す者たちと会ってみたい気持ちはある。これまで知る機会すらなかった神の器について、聞きたいことも少なくない。
それでも、会ってはいけないような予感が消えなかった。
何を根拠にそう感じるのかは、ミカヅキ自身にも分からない。ただ、北の森で禍津蛇と対峙した時に覚えたものと似た胸騒ぎが、今も奥底で燻り続けていた。
誰もがそれぞれの思いを抱えたまま、しばらく言葉を失っていた。
張り詰めた沈黙を最初に破ったのは、カナメだった。
「王都って……」
呟いた声に、先ほどまでの緊張はない。
彼女は何かを想像するように宙を見つめた後、大きな瞳を輝かせながら身を乗り出した。
「王都だよ!?」
「お前は少し落ち着け」
隣に立つアカリが、呆れたように眉を寄せる。
「だって王都だよ!?」
「二回言ったな」
「だって私、行ったことないし!」
カナメは椅子から立ち上がりそうな勢いで、両手を広げた。
「村の何倍も大きな町があって、真ん中にはものすごく大きなお城があるんでしょ?」
「王都なのだから、城くらいあるでしょう」
「それに妖伐士本部もある!」
「それも今、監察官殿から聞いたばかりだな」
「全国から強い妖伐士が集まってて、見たことのない武器とか符術とかもいっぱいあって……」
そこまで一息に語ったカナメは、さらに声を弾ませた。
「あと、美味しい食べ物もいっぱいあるんだよね!」
「最後は完全に観光の話になっているぞ」
「重要だよ!」
即座に言い返すカナメを見て、ミカヅキは思わず笑ってしまった。
神の器や王都への召集という、自分にはあまりにも大きな話が続いていたせいだろう。カナメの変わらない明るさが、ひどくありがたく感じられた。
アカリは深いため息をついたものの、その口元も僅かに緩んでいる。
二人のやり取りを黙って見守っていたユウマは、頃合いを見計らったように口を開いた。
「期待を裏切るようで申し訳ありませんが、観光をする時間はないでしょう」
「え?」
カナメの動きが止まる。
「王都へ到着した後は、そのまま妖伐士本部へ出頭していただきます。今回の召集は、あくまでも神の器の覚醒に伴う正式なものですから」
「そんな……」
カナメは目に見えて肩を落とした。
「まだ何も食べてないのに……」
「まだ王都に着いてすらいません」
アカリの冷静な指摘にも、カナメは不満そうに頬を膨らませる。
「分かってるけどさぁ。せっかく王都へ行くなら、少しくらい楽しみがあってもいいじゃん」
「遊びに行くわけではありません」
「アカリ姉はそう言いながら、王都の甘味処は調べるんでしょ?」
「調べません」
「即答したけど、今ちょっと目が泳いだよ」
「泳いでいない」
いつもの調子で言い合う姉妹を横目に、ミカヅキはユウマへ視線を向けた。
柔らかな笑みを浮かべて二人を眺めているが、その表情から本心を読み取ることはできない。
王都へ来れば分かる。
皆が歓迎しているわけではない。
先ほどからユウマは、肝心な部分だけを意図的に隠しているように思えた。
「一つ、聞いてもいいですか」
ミカヅキが声を掛けると、カナメとアカリの会話が止まった。
「もちろんです」
ユウマは穏やかに答える。
ミカヅキは一度だけ息を整えた。
「今回の召集を、断ることはできますか」
部屋が静まり返った。
「ミカ兄?」
カナメが驚いたように目を瞬かせ、アカリも僅かに眉を寄せる。
ユウマも、その問いは予想していなかったらしい。一瞬だけ目を見開いた後、興味深そうにミカヅキを見つめた。
「ほう」
「俺が王都へ行かなければならない理由を、まだ聞いていません」
寝台へ横たわったままではあったが、ミカヅキは監察官の視線から目を逸らさなかった。
「俺はこれまで、この村の妖伐士として生きてきました。神の器だとは昔から言われていましたが、何の神を宿しているのかも分からず、力を使えたこともありません」
枕元に置かれた布都御魂へ、自然と視線が向かう。
白銀の神剣は朝の光を受けながら、森で見せた力が嘘だったかのように沈黙している。
「覚醒したと言われても、正直なところ実感がないんです。禍津蛇を倒した時のことも、ほとんど覚えていない。そんな俺が、なぜ村を離れて王都へ行かなければならないんですか」
ユウマはすぐには答えなかった。
軽い返答では納得しないと察したのだろう。ミカヅキの表情を確かめた後、居住まいを正し、静かな声で告げる。
「理由は二つあります」
「二つ?」
「一つは、貴方自身のためです」
ミカヅキが眉をひそめると、ユウマは布都御魂へ目を向けた。
「禍根蛇との戦いで発現したとされる、あの蒼白い神威。貴方は、自分が振るった力を理解していますか?」
「……していません」
「自らの意思で制御できますか?」
「できません」
「今ここで、もう一度同じ力を再現できますか?」
「それも……分かりません」
問いを重ねられるたびに、ミカヅキの返答は小さくなった。
森では確かに力を振るった。しかし、どのように太刀を目覚めさせ、どうやって神威を引き出したのかは何一つ覚えていない。
意識の奥へ焼き付いているのは、燃え上がる世界と、巨大な影が剣を振るう光景だけだった。
「では今、布都御魂を握れば何かを感じますか?」
促され、ミカヅキは壁へ立て掛けられた神剣を見つめた。
「握るだけなら、できると思います」
「力の流れや、内側から呼び掛ける声は?」
「……何も」
「そうですか」
ユウマは驚くことなく頷いた。
「ならば、なおさら学ぶ必要があります」
その声からは、先ほどまでの捉えどころのなさが薄れていた。
「力は、持っているだけでは武器になりません。正体も扱い方も理解できなければ、自分や周囲を傷付ける災いとなる。神の力であれば、なおさらです」
静かな言葉だった。
しかし、その奥には単なる知識ではない、何かを実際に見てきた者の重みが感じられた。
ミカヅキは反論できなかった。
あの力がなければ、アカリとカナメを守れなかった。だが、再び同じ力が目覚めた時、自分が制御できる保証もない。
力に呑まれれば、今度は守りたい者を自ら傷付けるかもしれない。
「もう一つの理由は?」
アカリが問い掛ける。
ユウマは僅かに沈黙した。
初めて、その顔から穏やかな笑みが消える。何かを語るべきか迷った末、覚悟を決めたように口を開いた。
「神の器たちのためです」
「どういう意味だ」
「ここ最近、神の器を狙う妖の出現が増えています」
カナメが小さく息を呑んだ。
「神の器を……狙ってる?」
「ええ」
ユウマは静かに頷く。
「各地で確認された妖の中には、偶然遭遇したのでは説明できないほど執拗に、器だけを追うものがいる。人里を避けながら器のいる場所へ向かい、ほかの人間には目もくれず、その命だけを奪おうとする妖が」
ミカヅキの脳裏へ、北の森で聞いた禍津蛇の声が蘇る。
――器。
――目覚める前に壊さねば。
あの異形は、最初からミカヅキの存在を知っていた。
森にいた村人たちを襲ったのも、単なる飢えや衝動ではなかったのかもしれない。あの場所へミカヅキを誘い出すためだったとすれば、すべての出来事が一本につながる。
「禍津蛇も……その一体だったんですね」
「本部では、そう判断しています」
「やはりか」
アカリが低く呟く。
戦いの最中、禍津蛇は何度もミカヅキを器と呼び、ほかの二人を押し退けてまで彼を殺そうとしていた。
あれは偶然ではない。
ミカヅキが北の森へ入ったから襲われたのではなく、禍津蛇はミカヅキが来ることを待っていたのだ。
「つまり、すでに何かが始まっているということですか」
アカリの問いに、ユウマの眼差しが鋭くなる。
「始まっているのか、それとも神代から続いていたものが再び動き出したのか、それすら本部には分かっていません」
彼は真っ直ぐにミカヅキを見た。
「ただ、一つだけ確かなことがあります」
穏やかな物腰の奥に隠されていた監察官としての冷たさが、その瞳へ現れる。
「神の器たちは、すでに何者かの戦いへ巻き込まれている」
そこで一度言葉を切り、重く告げた。
「そして――貴方もです」
その一言を否定できる者は、部屋の中に誰もいなかった。




