第七章 光輝く偽の手
厨房の入口に、白い人影が立っていた。
白い絹の長衣。胸には金の刺繍。腰には緑の帯。後ろに従えた神官二人と、侍女四人。それだけの人数を引き連れているのに、彼女が立つだけで部屋の空気が薄くなるような圧があった。
「あなたが、噂のアカネ?」
顔を上げて、私は息を止めた。
そっくりだった。
桐生美波先輩と、寸分違わぬ顔。声の高さも、口角の上げ方も、人を見下ろす視線の角度も、すべて同じ。
ただ、髪の色だけが違った。彼女は淡い金の長い髪を背に流していた。
「私は聖女イレーナ」
彼女はにっこりと笑った。
「下女の身で、皇太子殿下の食事に手を入れるなんて、変わったことが許されているのね」
「私はただ、補佐をしているだけです」
「ふぅん」
彼女は私のまな板に近づき、長い指で軽く触れた。爪は薄紅で塗られている。私は思わず、背筋を強張らせた。
「これ、汚いわね」
「拭いてあります。色は、用途を分ける目印で」
「下働きが、料理に色を持ち込んでも仕方がないのに」
彼女はくすりと笑い、私から離れた。
神官のひとりが私の前に進み出た。痩せた老人で、白い長衣に金の縁取り。彼は私の前菜の鍋を覗き込んで、わずかに眉を寄せた。
「これは……」
「香草を、火を入れる前に水に放っています。雑味が抜けます」
「なぜ、そのような細工を」
「祖母が、そうしていたので」
神官は、何も言わずに鍋から離れた。
イレーナは退室する前に、振り返って、薄く笑った。
「あなた、目立ちすぎないようにね。下女は下女らしく、洗い場が似合うわよ」
扉が閉まり、空気が戻ってきた。
マルタが私の隣で長く息を吐いた。
「あの方、聖女様って言われてるけど、あたしは好かんねえ」
「どう、して」
「料理人の手を汚いって言う人は、信じられないよ」
マルタは私の腕を軽く叩いた。
私はノートを開き、今日の前菜の構成を記し終えると、一行、追記した。
『聖女イレーナ。前菜に近づき、まな板に触れた』
なぜそれを書いたのか、自分でも分からなかった。
その夜、私は皇太子の本格的な毒見補佐を初めて担当した。
工程は厳密に整えた。食材の検品、下処理、調理、盛り付け運搬。すべての工程に、一人ずつ責任者を立てた。私は最後の盛り付けの前にもう一度、すべての皿を確認した。
毒見役の老人は、私の作った前菜を一口食べ、少し驚いたように頷いた。
「アカネ、変わった味だが、嫌な後味がない」
「香草を水に放ってあります」
「そういう細工を、お前はどこで覚えた」
「祖母です」
「そうか」
老人は少し笑い、皿を皇太子に運ぶよう侍従に命じた。
それから三日後、王宮の食材庫で、ひとつの異変が起きた。
午後の在庫確認をしていた私は香辛料の樽の前で手を止めた。
古い樽が、奥のはずなのに、手前にある。
私が並べ替えたばかりだった。三日前。
そして、樽の重さが、明らかに軽い。
私は副料理長を呼んだ。
「副料理長、これ、見てください」
副料理長は樽を持ち上げ、息を呑んだ。
「軽すぎる」
「中身を、確認できますか」
樽の蓋を開け、香辛料を布の上に広げる。本来あるべきはずの粉と違う、灰色の粉が、薄く混ざっていた。
「これは……」
副料理長の顔が、白くなった。
「毒だ」
厨房の喧騒が、波のように引いた。
私は樽の底から取れた粉を、慎重に紙に包んだ。
「副料理長、この樽は、誰がいつ動かしたか、追えますか」
「在庫表が、ある。お前が作ったものだ」
「はい」
私はすぐに食材庫の出入記録を確認した。三日前の午後、香辛料の樽を取り出した者の名が薄く残っていた。
神官付きの侍女、と書かれていた。




