表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生した調理補助員、地味な仕込みで世界救って元の厨房に帰ります  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/24

第六章 皇太子の銀のスプーン

翌朝から、私の場所は厨房の中央付近に変わった。


 石の作業台。光の差し込まない場所だが、まな板を四枚置けるだけの広さがあった。私はそこに、自分の手順を一つずつ書いた木札を立てた。「手洗い」「色分け」「先入先出」「入荷確認」。文字の読めない下働きのために、絵も添えた。


 厨房の人間は最初は私を遠巻きに見ていた。


 でも三日目には、ひとりまたひとりと、私の真似をするようになった。


 肉を扱った手でつい野菜に触ろうとするたびに、私は静かに言う。


「すみません、その手で、その鍋には触らないでください。一度水で流してから」


「分かったよ、うるさい新入りだな」


 文句を言いながら、男たちは渋々従った。


 次に私が変えたのは、食材の置き場所だった。


 古い樽が手前、新しい樽が奥。これでは、新しいものから先に減っていく。私は逆にした。


「先入先出、です。古いものから先に使います」


 マルタが手を叩いた。


「いいねえ。あたし、樽の蓋を開けるたびに、古いのが奥で腐ってたよ」


 四日目の昼、副料理長が私の前にやってきた。


「アカネついて来い」


「どこへですか」


「皇太子の侍従が、お前を呼んでいる」


 皇太子。


 その言葉が頭に届くのに、少し時間がかかった。


 厨房の奥の細い廊下を抜け、石段を上がる。装飾の少ない通路だが、磨き上げられた石が足音をきれいに反響させた。


 通された小さな控えの間で、銀色の刺繍のついた服を着た青年が、私を待っていた。


 年齢は私と同じくらい。背は高く肩幅は薄い。色の薄い金の髪を、顔の片側で軽く束ねている。瞳は灰青色だった。立ち姿が静かで、声を出す前から人を黙らせる空気を持っていた。


「君が、アカネか」


「は、はい」


「私はレイノルド。この国の、第一皇子だ」


 皇太子。私は反射的に膝をつこうとして、足を踏み外しかけた。


「立っていてくれ」


 彼は手で私を制した。


「中央厨房の風が、ここ数日で変わったと聞いた」


「あ、いえ、私は何も……」


「噂は副料理長から聞いている。台を色で分け、入荷を順に使い、食材を並べ替えたそうだな」


 私は俯いた。


「それで、君に頼みたいことがある」


 レイノルドは静かに椅子を引き、私に座るよう促した。私はためらいながら、浅く腰掛けた。


「私の食事の毒見を、君に手伝ってほしい」


「毒、見」


「正確には、毒見の補佐だ。毒見役は別にいる。だが、毒は口に入れる前に分かることが多い、と君なら言いそうだ」


「色、匂い温度。それから、誰がどのような順序で扱ったかですか」


 レイノルドの目が、ほんのわずかに開いた。


「やはり、君はそうか」


「あの、私はただ……」


「アカネ。人は二種類いる。手柄を求める者と、結果を信じる者だ。君は後者だ。だから頼みたい」


 彼の声には、命令のような圧はなかった。けれども、断れない静けさがあった。


「分かりました」


「ありがとう。明日から、調理開始から提供までの工程を見てほしい。私は皿を一度も覗かない」


「皿をですか」


「私が見ると、皆が緊張して逆に手元が狂うらしい。私は離れたところで、君の最終確認を待つ」


 彼はそこで、初めてかすかに笑った。


「私のために、頼む」


 控えの間を出るとき、私は一度だけ振り返った。


 レイノルドは机の上に置かれた銀のスプーンを、ぼんやりと見つめていた。その横顔は、冷たいというより、孤独だった。


 厨房に戻ると、副料理長が珍しく目を細めて笑っていた。


「ご指名、おめでとう」


「私には荷が重いと思います」


「お前の手は、軽くない」


 彼は私の肩を軽く叩いた。


 その夜、私は与えられた小部屋でノートを開いた。


 給食センターのロッカーから、いつの間にかこちらへ持ち越せていた。文字は当然、向こうの言葉のまま。それでも、頁をめくるたびに、祖母の手の動きが、ふっと蘇った。


 誰も見ていないところで、丁寧に。


 翌朝、私は皇太子の前菜を担当する小厨房に立った。


 窓の格子から、初めての朝日が差し込んだ。


 扉が開き、黒髪の侍女が入ってきた。胸の前で手を組み、丁寧に頭を下げる。


「アカネ様、聖女様がご挨拶をなさりたいと」


 聖女。


 私はその言葉が、なぜか苦く感じた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ