表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界転生した調理補助員、地味な仕込みで世界救って元の厨房に帰ります  作者: もしものべりすと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

18/24

第十八章 偽の聖女と本物の下女

中央の鍋に最初の素材が、ゆっくりと投入された。


 検品済みの清水をもう一杯加える。塩を、計量済みの分量で撒く。香草を、束のまま沈める。


 白い湯気が、ぐっと強くなった。


 脇の六つの鍋にも、私の合図に合わせて順々に素材が投入されていく。


 誰一人、勝手な手出しをしなかった。


 書記の老人が、検品台で一つずつ印を押していった。


 イレーナの背後で、低い声がした。


「聖女様。これは、神殿の祝福と別の様式の儀式です」


「分かっているわ」


「我々は、神殿の儀式を護るために、ここに」


 神官のひとりが震える声で言った。


「下女の儀式に加担するのは、戒律に反します」


「黙りなさい」


 イレーナは振り返らずに言った。


 神官団の若い者の中に、わずかな動揺が広がった。


 彼らは聖女の指示を受けて、丘の上まで上ってきた。けれど、ここで起きていることを見て初めて、自分たちの儀式と私の仕込みを、比較し始めていた。


 白い湯気が、王都の方角へ、流れる。


 城壁の中に薄く、変化が見え始めた。


 黒い靄がゆっくりと退いていた。


「アカネ、城壁の外から瘴気が引き始めています」


 兵士が興奮した声で報告した。


「中央鍋、温度を半分に下げてください」


「は」


「第三鍋、強火を維持。第五鍋、火を弱めて湯気を多くしてください」


「了解」


 私はノートを開いたまま、頁を一枚ずつめくっていった。


 祖母の絵。書記の老人と一緒に解読した古代救済式の手順。私が砦で書いた、現代の検品票への置き換え。


 頁をめくるたびに、丘の七つの鍋が、それぞれの工程を忠実になぞっていく。


 午後の遅い時間、イレーナの体が明らかに揺れた。


「アカネ」


 彼女はふらりと半歩前に出た。


「あなたの仕込みは、神殿の儀式の模倣にすぎないわ」


「そうかもしれません」


「神殿の祝福が、本物よ」


「はい、そうかもしれません」


「だから、止めなさい」


 彼女の声が、不意に薄くなった。


 肌の灰色が、こめかみのあたりまで広がっていた。


 神官団の中の、年長の者が声を出した。


「聖女様、お顔を……」


「黙れ」


 彼女は片手を振った。


 その手の指先が、わずかに黒く光った。


「アカネ、最後の警告よ。ノートを渡しなさい」


「いいえ」


「あなた、自分のしていることが分かっているの」


「分かっています」


 私は振り返って火組を見た。


「全鍋、合わせ工程の第二段階に入ります。中央鍋に、各鍋から一杯ずつ注いでください」


「は」


 兵士たちが、それぞれの鍋から長柄の杓で一杯ずつ、中央の鍋に慎重に注いだ。


 中央の鍋の表面に、七色の油膜が薄く広がった。


 白い湯気が急に立ち昇った。


 風が丘の中腹で、回り始めた。


 王都の城壁の中から、低く長い音が響いた。


 石が震えるような、地鳴りに近い音だった。


 イレーナが片膝をついた。


「殿下、聖女様が」


 神官のひとりが駆け寄った。


 でも彼女は、その手を振り払った。


「触らないで」


 彼女の声が、もはや女のものではなかった。


 低く嗄れて、複数の声が重なっているような奇妙な音。


「アカネ、あなたは私を知らない」


「はい、知らないです」


「私は長く長く待っていた」


「何をですか」


「神殿の儀式を、内側から変質させるための『触媒』を」


 彼女は私を見上げた。


「あなたが、そうだった」


「私は違います」


「いいえ。あなたの仕込みの手順は、神殿の儀式とほぼ同じ。だから神殿は、あなたの存在を利用できた」


「利用ですか」


「あなたが王宮の厨房に来てくれたから、私は『聖化の儀』として、あなたの手順を神殿の祝福に流用できた」


 私はノートを胸の前で強く抱えた。


「あなたが祝福と称して撒いていた瘴気は、私の仕込みを悪用したものだったのですか」


「悪用というか、転用ね」


 イレーナは薄く笑った。


 肌の灰色が、もう彼女の顔の半分を覆っていた。


「アカネ、あなたが王都を救おうとすればするほど私は強くなる」


「それは、もう終わりです」


 私は書記を振り返った。


「書記様、最終工程の手順を読み上げてください」


「は」


 書記の老人が手順書を朗読した。


「『中央鍋を七色に揃え、合わせの祈りを唱う。祈りは、料理する者の名と料理を食う者の名を、ひとつずつ呼ぶこと』」


「料理する者と、料理を食う者の名前」


「料理の本来の祈りは、誰かのために、誰かが作る、ということだ」


 私は頷いた。


 深く息を吸った。


「私の名は、梨原茜です。祖母の名は、梨原ふじ。私の祖母の祖母から続く、台所の女たちの名です」


 私は続けた。


「料理を食う、王都の二千の人の名前を、私は知りません。でも、その人たちが、誰かに、何かを食べさせている人たちであることは、知っています」


 白い湯気が、私の声に合わせて、丘の上に、立ち昇った。


 イレーナが私を見上げた。


 彼女の瞳の奥に、初めて、何かが揺れた。


「アカネ、あなたは、本当に、何者でもないのね」


「はい」


「何者でもないものに、私は敗ける」


 彼女の体がぐらりと傾いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ