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異世界転生した調理補助員、地味な仕込みで世界救って元の厨房に帰ります  作者: もしものべりすと


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第十二章 疫病の足音

疫病だった。


 最初は村の老人が血を吐いて倒れ、翌日には子供が三人、その次の日には大人が五人、咳と発熱と、目に見える嘔吐物の血。砦から村まで歩いて半刻の距離。砦内にもすぐに広がる距離だった。


「アカネ、どうする」


 砦長は厨房で私に尋ねた。鎧の上から布を巻いていた。


 私は紙とインクを用意し、ひとつずつ、書き出した。


「井戸を、人の井戸と、洗濯と掃除の井戸に分けます」


「分ける」


「人が口にする水と、ほかの用途の水を、別の井戸から汲みます。井戸が一つしかないなら、汲む順番を分けます」


「次は」


「食器を、患者の使ったものと、それ以外で、絶対に分けます。患者の食器は、煮沸してから捨てるか、火で焼きます」


「焼くのか」


「焼きます。布も同じです。患者の触れた布は、すべて煮るか焼きます」


 砦長は何も言わずに頷いた。


「次は」


「調理する人を、固定します。配膳、調理、患者の世話、別々の人にします。全部を一人の人がやらないでください」


「人手は」


「足りなければ、村人に頼みます。お腹が空いている人ほど、よく動いてくれます」


 砦長は小さく笑った。


「お前、本当に下女か」


「下女、です」


 その日のうちに、砦に隔離区画を作った。発熱と血痰のある者は、別棟の納屋へ移し、扉に布を二重に張った。看護に当たる兵士は、口元を布で覆い、顔の前に隙間を作った。患者の食器、患者の触れた布、すべて煮沸か焼却。患者の便器は専用の場所で深く埋めた。


 私は村で最初に倒れた老人の家を、トーマスと一緒に訪ねた。


 部屋の隅、井戸、台所便所。土間と、家畜の納屋が同じ屋根の下にあった。


「ここの井戸、家畜小屋から近すぎます」


「家を建て直すわけにいかんぞ」


「井戸の周りに、土を盛ります。家畜の糞水が、井戸へ流れ込まないように」


「土なら、ある」


 その日の夕方には、村の井戸の周りに、簡易の土手が積まれた。


 家畜の納屋と母屋との間に、簡単な仕切りも作った。


 二日目、新たな発症者が、村で二人。砦内ゼロ。


 三日目、村で一人。砦内ゼロ。


 四日目、村で発症ゼロ。砦内ゼロ。


 五日目から、回復者が出始めた。


 砦長は夕食の場で、立ち上がった。


「アカネ。お前が来てから、一週間で、砦は別物になった」


 兵士たちが、私のほうを見た。


 私は俯いた。


「砦長、私はただ、誰でもできることを、書いて並べただけです」


「誰でもできる、を、誰もしなかったんだ」


 砦長は王都に向けて報告書を書いた。


「アカネの手による疫病防止策、即時、王都へも送るべきと存ずる」


 私はその文面の写しを見せられて、首を傾げた。


「砦長、これが王都に届いて、何かが変わるんですか」


「分からん。だが、書かないよりはいい」


 返信は、しかし、来なかった。


 その日から十日、二十日、ひと月。


 北の砦はようやく落ち着きを取り戻していた。けれど、王都からの便りは、ぱたりと途絶えた。


 ある夜、見張り櫓の上から、空が見える。


 私はトーマスと並んで、立っていた。


「アカネ、王都の方角の空を、見てみろ」


 南の地平、低い山並みの向こう。


 雲ではない、薄い灰色の靄が、空を斜めに遮っていた。


「煙ですか」


「煙じゃない。瘴気だ」


「瘴気」


「土地が腐ると、空気が腐る。その色だ」


 私はノートに、その色を書き留めた。


 翌朝、書記の老人が、私の小部屋に訪ねてきた。


「アカネ、お前のノートを、少しだけ見せてくれないか」


「ノートをですか」


「文字は読めなくていい。絵だけでも」


 老書記は亡くなった先代の砦長の書記を長く務めた人でいまは引退して砦内の書庫を整理しているという話を、トーマスから聞いていた。


 私は迷ったが、書庫まで彼について行った。


 書庫は埃と紙の匂いに満ちた、小さな部屋だった。


 私はノートの真ん中あたりの頁を開き、彼に見せた。野菜の下処理、漬け込み、火入れの順序を絵で示した部分だった。


 書記の老人は、絵を見て、しばらく息を止めた。


「これは……」


「祖母が描いた、料理の手順です」


「アカネ、お前、これを、どこで」


「祖母が田舎の寺で毎日していたことです」


 老人は、静かに立ち上がり、書庫の奥から、革表紙の古い書を一冊、引っ張り出した。


 頁を開く。


 絵が、並んでいた。


 手を洗う動作。鍋の前で布を分ける動作。火を入れる前に確認する動作。


 私のノートと、絵が、ほぼ同じ。


 書かれている言葉は、私の知らない古い文字だった。


「アカネ、これは、失伝した『古代救済式』の前文だ」


「救済式」


「我が国の建国神話に出てくる、世界の瘴気を祓う、巨大な仕込みの儀式だ」


 仕込み。


 その言葉が、頭の中で、二度、響いた。


「書記様。仕込み、というのは、料理の言葉でも、儀式の言葉でも同じなのですか」


「同じだ。古い言葉では、料理の前準備と、儀式の前準備は、同じ字で書かれていた」


 私はノートと、革表紙の書を、交互に見た。


 頭の中で、何かがゆっくりと繋がっていく音がした。

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