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異世界転生した調理補助員、地味な仕込みで世界救って元の厨房に帰ります  作者: もしものべりすと


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第十章 祝福の式典

舞踏会当日、王宮の大広間は、たぶん私の人生で見た中で一番きらびやかだった。


 高い天井からは無数の蝋燭を灯した銀のシャンデリアが下がり、白い大理石の床は、磨き上げられて鏡のように貴族たちの足下を映している。色とりどりの絹の衣。金糸の刺繍。香水の匂いが幾重にも重なって、空気そのものが甘く重かった。


 私は厨房のすぐ脇、控えの間にいた。下働きの私は本来、広間に出ない。けれど、料理長の判断で、最終確認のためにそこに立たされていた。


 長いテーブルに、前菜が並ぶ。私が三日前から仕込み、今朝、最後の盛り付けを終えた皿だった。香草を水に放った薄緑のスープ。色分けして切り出した根菜の冷製。すべての皿に、毒見役と、私と、副料理長の三人の確認済みの印がついている。


 扉が開き、聖女イレーナが現れた。


 白い長衣の上に、淡い金の薄絹を重ねていた。背後に従えた神官団は八人。前回の倍だった。


「皆様、今日のこの宴のために、私は新しい祝福を授けに参りました」


 彼女は朗らかに広間に告げた。


 貴族たちが拍手する。


 彼女はゆっくりとテーブルへ歩み寄り、私の前菜の皿の前で、両手を翳した。


「中央厨房は近頃、ある下女の手によって『穢れ祓いの作法』が再現されたと聞きます。これは、神殿の古い書に伝わる、聖食の作り方そのもの。神殿の私がこの厨房に祝福を授けたことの証なのです」


 会場がどよめいた。


 私は息が止まった。


 料理長が私の隣で、声を殺して呻いた。


「奪う気、か」


 貴族の何人かが、感嘆のため息を漏らす。


「聖女様の祝福のおかげで、厨房が変わったのね」


「神殿の伝統がようやく王宮にまで届いたか」


 イレーナは皿の上に手をかざし、低く何かを唱えた。神官団も、その後ろで口を揃えた。


「これにて、聖化の完成を宣言いたします」


 拍手が起きた。


 私の体が勝手に動いた。


 控えの間から一歩、広間の床に出た。


 料理長が私の袖を掴んだ。


「アカネ、よせ」


 私は料理長の手をそっと外した。


 誰かに何かを言うのは、私にとって長らく、痛みを伴う行為だった。給食センターで、桐生先輩に何度も飲み込んできたあの言葉。今日も、同じ場所で、同じ顔の人間に、同じものを盗まれている。


 でもいま、奪われているのは、私の手柄ではない。


 祖母のノートだった。


 祖母が、誰にも見せず、ただ祈るように書き残した手順だった。


「それは違います」


 私の声は、思ったより小さかった。


 でも、大広間の高い天井で反響し、はっきりと届いた。


 貴族たちが、一斉に振り返った。


「下女が、聖女様にお声を」


「無礼な」


 イレーナは振り返り、目を細めた。


「あなた、いまなんて?」


「私の祖母から伝えられた、料理の手順です。神殿の聖化の儀式ではありません。ただ、人が病まないための、台所の仕事です」


「面白いことを言うのね」


 彼女は薄く笑い、両手を広げた。


「皆様、お聞きになって。下女が、聖女に異を唱えています。これは、神殿への侮辱と取られても仕方のない発言です」


 ざわめきが広がった。


 レイノルドが群衆の奥から進み出た。


「父上、彼女は私の改革の責任者です。私が彼女に、改革の任を与えました」


 王が、奥の壇上から声を発した。低く重い声だった。


「皇太子よ。お前の任命は認める。だが、神殿との関係はお前一人の問題ではない」


「父上」


「下女、お前の言い分は分かった。だが、聖女の祝福を否定する場で、それを言うのは過ぎる」


 王は、私を見下ろした。


「下女アカネ。北の辺境砦へ送る」


 会場が、しん、と静まった。


 砦送り。流刑に近い処分だった。


「父上、お待ちください」


 レイノルドが声を上げた。


「皇太子。これ以上、神殿との対立を深めるな」


 王の声は、揺るがなかった。


 イレーナが静かに、私に向かって微笑んだ。


「お元気で、アカネさん」


 私はその顔をしばらく見つめた。


 桐生先輩の顔と、彼女の顔ともう、私の中で区別がつかなかった。


 ただ、ひとつだけ、はっきりしていたことがある。


 私のノートは、彼女の手には届かない。


 王の侍従に促されて、私は広間を退出した。


 控えの間で、料理長が私の手を握った。


「アカネ、すまない」


「料理長、私は大丈夫です」


「お前は、本当に、強い」


「強くはないです」


 私は静かに首を振った。


「ただ、奪われたくないものが、ひとつだけあったので」


 夜中、馬車に乗せられて、私は王宮を後にした。


 冬の街道を、馬車は北へ走った。


 膝の上に、祖母のノートだけが変わらず置かれていた。


 窓の外、月が、雲に溶けていく。


 私はまたひとり、知らない場所へ運ばれていく。


 でももう怖くはなかった。

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