1話 リスタート
「母さん、水汲んできたよ」
穏やかな風の吹く朝。玄関前に水瓶を置き、木の扉を開けて今世の母に声をかける。
「あらシオン、朝はゆっくりしていいのに。ありがとう」
木造りの家のリビング、その奥にあるキッチンから声が返ってきた。
母はフライパンに向けて指先から器用に火を吹き出している。
今朝の母はブロンドの長い髪を後ろで一つに括り手際よく腕まくりをしていた。おっとりしているがこだわりが強い人で、毎朝エプロンの色を真剣に悩んでいる。ちなみに今日はベージュの気分らしい。
僕がテーブルに皿とパンを並べて椅子に腰掛けると母さんがフライパンを手に近づいてきた。
香ばしい匂いとともに、目玉焼きとベーコンが皿へと移される。
「お父さんね、今日は訓練はできないって言ってたわ。今日の狩りは時間がかかるみたいだから」
「嬉しいでしょ?」とでも言いたげに、母さんはニコニコとこちらを見つめてくる。
実際、僕は訓練がそこまで嫌いなわけじゃない。けれど前世で勉強が好きな子供がほとんどいなかったようにこの世界でも子供にとって訓練は苦痛なのが普通なのだろう。
「そうなんだ。じゃあ夕方まで、セレナとムツキといつもの場所にいるよ。用事があったら魔法で合図して」
パンとベーコンを咀嚼しながら窓の外へ目を向ける。
今日も昨日から引き続き気持ちのいい快晴だ。同年代の友達と集まるには絶好の日だろう。
「分かったわ。気をつけてね」
母のいつもの定型文に僕はたまに少しおかしくなる。車もないようなこの世界だ。それに、危険な魔物や動物がこの村に入ってくることもない。
「ふふっ。何に気をつけるのさ?」
すると母は茶目っ気たっぷりに首を傾げた。
「全てによ?」
*
青々とした芝生が生い茂る小高い丘の上。 立派な一本の木の下に腰を下ろし、眼下に広がる村を眺めながら、僕は上機嫌に鼻歌を歌っていた。
どうせ2人もここに来る。わざわざ家まで迎えに行く必要はなかった。
僕たちの住む村は深い森の中にある。丘から見下ろすと、村をぐるりと囲む高さ3メートルの程の防壁が嫌でも目に入る。各辺中央にそびえる櫓はまるで僕たちを外の世界から隔離する檻の杭のようにも見えた。
村の子供の数は少なく、遊ぶ場所も娯楽もほぼない。
前世の知識を使って何かを開発しようにもあいにく前世の僕は友達もおらず、学校にすら満足に通えていなかった。大した教養なんてないのだ。
せいぜい図書館で読んだ本や、母が連れてきた悪魔が垂れ流していたテレビの記憶くらいしか、得られた知識がない。
僕の前世の知識チートを使った発明など今のところ将棋やオセロくらいのものだ。
この村を発展させようとして発電を志して全く分からず、品種改良を目指して心折れるなど、挫折の数は数えるのも馬鹿らしくなる。
だが、やはり発想そのものはこの世界の人間と異なる。
いかなる仕組みかは知らなくとも、トイレは水洗にできるはずだし、鉄砲という道具を使えば遠くから弾丸を飛ばして生き物を殺せるはずだ。
つまり過程を飛ばした「ゴール」をいくつか知っている。それだけでもいずれ自分の武器になるだろうという確信はあった。
……もっとも、未だその具体的な活用法は見つけられていないのだけれど。
ゴロリと横になり、さらに思考を巡らせる。
今世の僕は現在13歳。前世で死んだ年齢が分からないため正確な合計は不明だが、合わせればすでに20歳は超えているはずだ。
いくら前世の生育環境が劣悪だったとはいえ20年も生きれば多少の思考力は身につく。
目下の目標はこの村を出ることだ。他の村を目指すか、大きな街に出て別のコミュニティに参加したい。
その方が多くのことを学べるし、最終的にはこの村の発展にも繋がるはずだ。
――それが難航している理由は、親を含めた村人全員が僕らの外出を認めてくれないこと。そして、
「村の外の魔物、だよなぁ。やっぱ魔法がないとダメなのか?」
独りごちる。大人たちが首を縦に振らない最大の理由として説明されるのはこれだった。
「ハッハッハ! 結構倒せるらしいぞ! 俺たちが何年訓練してるんだって話だよな、シオン!」
突然響いたハツラツとした少年の声に、僕は上半身を起こした。
丘を登ってきたのはムツキとセレナ。同い年の幼馴染二人だ。
ムツキは13歳らしいあどけなさを残しつつも、彫りの深いハッキリとした顔立ちをしている。短く刈り込んだ短髪も相まって、いかにも体育会系という風情だ。
こういうのってなんでか顔に出るよなと思う。
「でも、剣だけじゃ倒せないモノもいるわ。大人が反対するには、それだけで十分な理由よ」
続く少女の声には、呆れが混じっていた。
白髪のボブカットを風に揺らし、気の強そうな切れ長の目が彼女の白い美貌をいっそう強調している。
最初、前世の動物図鑑で見たアルビノかと思ったが日光に過敏なわけでもなく、ただの生まれつきだそうだ。
まあ、魔力のある世界だ。髪色や色素のバリエーションなんて、些細な問題なのだろう。
「おはようセレナ、ムツキ。じゃあ、さっさと魔法を教えてほしいもんだよ」
「おはよう。シオンはいつもそればかりね。16歳になってからじゃないと、魔法は教えてもらえないわよ」
「知識や教養、見聞を広めてからの方が応用力のある強い魔法が発現しやすいから、だろ?」
魔法とは、神から授かるものとされている。 しかし、氷を知らない者に氷の魔法は得られず、重力を知らぬ者に重力の魔法は得られない。したがって、ある程度の年齢になり、認識能力や思考力が育ってから魔法を発現させる。
――というのがこの村の掟であり、この世界の常識らしい。外の世界など見たこともないが。
「それにしても納得いかないがな!俺はともかく、セレナやシオンは頭がいい。俺があと3年待ったところで、今の二人ほどの知識なんて得られないし、そもそも村の中じゃ学ぶのに限度があるぞ!」
ムツキの言い分はもっともだ。 狩りに出られるのすら15歳からなので、僕らはあと2年待たなければ村の外にも出られない。
だが、村の周辺にいる獣をいくら狩ったところで、得られる知見の幅が狭いことに変わりはなかった。
「その通りだね。閉鎖されたこの村じゃ見られるものに限りがある。高度な魔法発現のために外に出たいのに、魔法を発現しないと村の外に出してもらえない」
「ジレンマね。どっちがいいのかしら」
セレナはため息混じりにそう返すが、僕の中ではすでに正解が出ている。 魔法が先だ。少なくとも、僕にとっては。
はっきり言って、この村の文明レベルを見る限り、他の村や町に行ったところで大差はないと予想している。
ならば前世の知識がアドバンテージとしてある僕は、さっさと魔法を発現させるべきなのだ。
仮に僕が「磁力」の魔法を発現すれば、それはこの世界の誰も見たことがない未知の魔法になるんじゃないだろうか?「鉄砲」の魔法なら、誰よりも効率的な狩りができるのでは?
無双という言い方は安っぽいが、強力な武器になることは間違いない。
ジレンマに対する答えはある。だが、それを大人たちに説明できるだけの材料がない。
だから結局は、何もできないのと同義なのだが
「そのジレンマ、俺が解消してやろう」
――すぐ後ろだった。 横並びで座っていた僕たちは、いつの間にか背後に現れた男の声に、勢いよく振り向いた。
そこに立っていたのは、大人とも子供ともとれる、若々しさと色気を孕んだ黒髪の青年だった




