10話 ひび
数日間、村は泡を食ったような大騒ぎだった。
それらは全て 『人類国家再建』という大望のための、森の外へ調査遠征隊を結成するための準備があったからだ。
往復のルート策定に物資の備蓄、主戦力が外に出ている間に他種族に襲撃された場合の避難シミュレーションに至るまで。村の90人弱の住人の中で役割のない人間は一人もいなかった。
そんなある日の夕方。 たまたま休憩が被った僕とフォードは数日前に脱走を企てたあの東の丘の上、一本の大樹の木陰にいた。
青空に茜色混ざり始めた村の空を眺めながら僕はふと思い出したことを口にする。
「そういえばさフォードも本当に人が悪いよね」
「あ? 何がだ?」
慌ただしく動き回る村人たちを、まるで自分の夢がもう叶ったかのような満足気な目で見つめていたフォードがいつもの喧嘩腰みたいな顔になって聞き返した。
「脱走の時に大人たちに位置が完全にバレる魔法があることとかそもそも外に出ようとする大人が魔法で応戦してくること。最初から僕たちに教えておいてくれても良かったじゃん」
「お前も気づいただろう。この先、俺たちは外の世界の魔法の理不尽さに嫌というほど直面する。外に出て見聞を広めるまでお前らの魔法習得は予定通りまだ先だしな」
フォードは直剣の柄を叩きながら、冷めた目で続けた。
「だからこそ、初見の本気の魔法を生身の肉体とセンスだけで相手にする経験を特にお前には積ませたかった。追手の包囲網が緩ければそのまま本当に外に出るつもりだったが……まさか、あのジジイがあそこまで化け物だとはな」
魔法の習得を遅らせるなら確かに必要な経験ではあったかもしれない。けれどもう一つ、僕には引っかかることがあった。
「でもフォード。村長が現れた時、あんまり驚いてなかったよね?」
「……俺には親がいないからな。ジジイに育てられたようなもんだ。強いなんて知らなかったがもし俺の脱走を最後に止める人間がいるとしたら、ジジイかもなと思ってたよ」
フォードの父親は病で、母親は彼を出産した直後に亡くなっと聞いている。
「7歳の時、どうしても許されねえから初めて勝手に森に出たんだ」
本当になにやってんだこいつ
「不漁の年でな。無傷で鹿を1匹狩って持ち帰ったら神童扱いだよ。ジジイ以外にはな」
『馬鹿者が。貴様は分かっていないのか。自分がどれだけ愛されていて、どれだけ心配をかけたのか』
『あ?みんな喜んでるじゃねえか』
『貴様が傷の1つでも負っていたら誰も喜んではおらん。勘違いするな。今皆は、食料を喜んでいるんじゃない。貴様の無事を喜んでいるのだと知れい』
『…それは、まぁ、悪かったよ…』
『…いい。今夜は何が食べたい?鹿は解体があるから明日にせい』
「それからも好き放題やったけど、帰る時間だけは必ず書き残して出かけるようになった。ルールを破るたびに大人にぶん殴られたけど書き残した時間に戻ればジジイや誰かが必ず温かい飯を用意して待ってたよ」
だから帰る時間を告げずに消えた今回、村長自らが最終ラインに立ったのだ。
「……愛されてるねフォード」
沈みゆく夕陽が、青かった空を赤く染め上げていく。
家族っていうのはこういうことを言うんだろう。血の繋がりじゃなく、フォードと村長のように無性の愛とそれに応える気持ち。大事にしたいって、そういう思いが家族を作るんだろう。
「ああ。嫌というほど実感するよ。お前は?」
フォードの視線が、丘の麓へと向けられる。
『シオン! フォード! ご飯ができてるわよーー!』
麓から響いたのは母さんの大声だった。 最近は遠征の準備の合間に炊き出しのように村人全員で広場を囲んで夕食を食べている。火の魔法が使える母さんは、ご飯時にはいつも大忙しでみんなご飯の調理を担当していた。
「これで実感してなかったら、どうかしてるよ」
「違いない」
お互いに小さく笑い、僕は立ち上がってフォードの手を引っ張り上げた。
――その時だった。僕の手をとって 立ち上がったフォードの身体が硬直した。その黒い瞳が僕の背後、遥か西の地平線を恐ろしい鋭さで睨みつけている。
「……おい、シオン。なんだあれ」
振り返り、村の方を目を凝らして見るが特段変わったものは見えない。
「夕日の中だ」
地平線の彼方、今まさに下縁が沈みかけようとしている巨大な赤い太陽。その中央部にポツンと、まるで白い画用紙に黒い鉛筆で点を打ったかのような極小の"黒点"が浮かんでいた。
「少しずつ、大きくなってないか? ……いや、近づいてきてる」
尋常ではないフォードの緊張感が、空気を一瞬で凍らせる。
「嫌な予感がする。飯時で全員が広場に集まってるはずだ。一度降りるぞ」
僕らは全速力で丘を駆け下りる。
広場では大鍋を囲んで村人たちが笑顔で談笑していた。
「あ、2人ともやっと来た。今日はお鍋とシカだよ」
セレナがお椀を片手に声をかけてくるのに返す暇もなく、僕とフォードは村長と父さんたちがいる中心部へと突っ込んだ。
「じいちゃん! 父さん! あれに心当たりは!?」
息を切らせて指差した西の空。夕日の中の黒点はすでに僕の目から見ても少しずつ大きくなっていた。
「あれ…って、 あの黒いのか?……おいブギー! あれ見てくれ!」
呼ばれた東門の見張り番であるブギーが食器を片手に歩み出てくる。
「太陽と被ってるから一瞬しか見られねえぞ。『遠見』!」
ブギーが一度目を瞑り、再び見開いた瞬間その瞳に鋭い魔力の光が走った。
太陽の光を強引に凝視したブギーの顔が一瞬にして歪む。
「おい、こいつは……がぁあ!? クソ、目がっ!」
食器を落とし、太陽光に焼かれた目を押さえてブギーが絶叫した。
「……魔物だ!! 羽の生えた、山みてえなクソデカい魔物!! 距離はまだ200キロはあるが――信じられねえ速度でこっちに向かってやがる!!」
掴めなかった距離感を知れたが、200キロ離れてて見える大きさの魔物に今度はサイズ感が狂う。
「あれが魔物!?」
「空飛ぶ魔物なんて見たことないわよ」
「山!? なんでそんなものが急に!」
「こんなこと今までなかったろ!」
大勢の村人が口々にざわめきだす。
「それだけじゃねえ…。多分、いや絶対に目が合った。感覚だが、あれは俺たちを狙ってる!」
ブギーの続く言葉にシオンは天を仰ぎそうになった。ようやく遠征隊出発の準備ができてきたところにイレギュラーとはついてない。みんなが慌てるのも分かる。けど、
「僕らの――!!!」
ざわめきを掻き消すように、僕は喉がちぎれるほどの声を張り上げた。僕に何ができるわけじゃない。ただやることだけは分かってた。
「チップはどこに預けたんだっけ?」
他力本願かもしれない。プレッシャーかもしれない。それでも僕たちの命運は彼に。
「――逃げだ」
フォードが即座に決断を下した。夕日は半分ほどが沈もうとしている。それに伴い、夕日を背に受けた魔物のシルエットは信じられない速度で巨大化しておりその魔物の巨躯の輪郭を徐々に露わにしていた。
相手は少なくともサイズは規格外の化け物だ。ここで派手に戦ってしまえば、それだけで外の世界の種族に僕たちの存在が露見する可能性はゼロじゃない。
「遠征調査隊はここに残り、時間を稼ぐ! その他の非戦闘員は最低限の荷物だけ持って森に散開! かたまらないよう南から西にかけてを目指せ!」
狩猟経験のある部隊に攻撃・補助魔法持ちを加えた調査隊が防波堤となる。しかし僕ら13歳組も当然ここは残ると声を上げようとして、父と母がこちらを見ていることに気づいた。
「わしも残ろう。魔法を持たない若輩の参加は一切禁ずる。ゆけい!」
村長の言葉に、狩猟経験のある者として残るつもりだった15歳組もまた一斉に反論しようとするがもう一秒の猶予もない。 地平線に太陽が完全に没した。
――いや、違う。沈んだのではない。羽を広げた 巨大な『魔竜』の巨体が、沈みゆく太陽を丸ごと覆い尽くしたのだ。
「なにか来るぞぉおおおお!!!!」
「散開中止!! 防御魔法展開!! 全員俺たちの後ろに回れぇえええ!!!」
ブギーの絶叫に被るようにフォードが指示を180度翻す。逃げる時間すらあの化け物は与えてくれなかった。
調査隊の中で防御魔法を持つ大人たちが一歩前へ躍り出る。その中には僕の父の姿も当然あった。
僕は南へ走り出そうとしていた身体を強引に反転させて父さんの背後、母さんの目の前へと転がり込んだ。
「プロテクト!」
「断崖」
「遮りなさい!!」
「大地よ力を貸せ!」
「うぉおおおおお!!!!」
十数人の大人たちが同時にありったけの魔力を解放する。 立ち上がる無数の土壁、空間を満たす半透明の結晶の盾。そしてイヴォールトが発現させた5メートルを超える鉄板が深々と地面に突き刺さる。 幾重にも重なる盾が視界を遮り、魔竜の姿は見えなくなった。
刹那。 世界が、真っ白な爆炎に包まれるーー




