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9話 旅立ちの準備

 フォードの大暴れから逃れ、夕暮れの細道をすり抜けて自宅へと向かう。

 すると村の中心広場を通りかかったところで、背後から聞き覚えのある声がかけられた。


「あら、シオン! ちょうど今、お裾分けに行こうと思ってたのよ」


 振り向くと、歩くのも大変そうなほどに大きくお腹の膨んだ女性が籠をもって歩いていた。ご近所のステラさんだ。

 歳は20代後半で村の中では比較的若く、肩まで伸びた栗色の髪を後ろですっきりとまとめている。


「ステラさん! いつもありがとう。でも、もうすぐ予定日でしょ? お家にいた方がいいんじゃ……」


「いいのよ。道端で産気付くのとうちの旦那の前で産気付くのに、大した差なんてないんだから」


 あんまりな言い様に僕が苦笑していると広場の奥からドタバタと慌ただしい足音が響いてきた。

 ステラさんの旦那さんで少し歳が上の、長髪を雑に縛った男が凄まじい勢いで猛然とダッシュしてくる。


「おぉぉい!! 言い過ぎだろステラ!」


 そして僕とステラさんの間に割り込み、息を切らせながら叫んだ。しかしステラさんはいつも通りだと平然として、


「あんた! 洗濯しといてって言ったやつ終わったの!?」


「ハァハァ……! 終わらせて戻ったら臨月の嫁がいなくなっててパニックで探し回ってたところだろうがよ!」


「あんた雑だから、干す時シワになるのよね」


「ああ言えばこう言う嫁をもらえて俺は世界一幸せ……!! ほら、お裾分けはシオンに預けて今日は大人しく帰るぞ!」


 夫婦の掛け合いに、渡された籠を抱えたまま僕は思わず声を上げて笑ってしまった。


「あははっ! 相変わらず仲が良いね二人は。きっと生まれてくる子も、良い子に育つよ」


「当たり前だ、シオン! 男の子でも女の子でも、ステラの血を引いてるんだ。めんこくて堪らん子に決まってる!」


「あんたの血も入るんだから、どっちにしても元気な聞かん子になるわよ」


 幸せのオーラを隠そうともしない2人に、僕は少しだけ唇を尖らせてみせる。


「これ、あれだね。お裾分けって2人の惚気のことか」


 こういう冗談には耐性がなかったらしく、ステラさんは途端に耳の根元まで真っ赤になった。


「あ、いや、あの、そうじゃなくて! これ、森のフルーツ! この人が張り切って採ってきすぎちゃったから……!」


 籠を覗くと、野生ではなかなか手に入らない、甘い匂いを放つ完熟の果実が詰まっていた。

 魔物や動物との奪い合いになる貴重品だ。それをこれだけ集めるなんて、本当に張り切ったのだろう。


「いつもシオンのママに野菜を貰ってるから、そのお返しよ。この間のサラダも美味しかったって伝えておいてね」


「いつも世話になってすまんなシオン。……この子が生まれてからも、よろしく頼むよ」


 旦那さんの百面相が、一人の父親としての真剣な顔になった。 その時になって僕は初めて気づく。


 この村の大転換期に、この子は生まれるのだ。 本来なら安泰のまま静かに衰退していく村だったはずが、未知の危険が渦巻く外の世界への大冒険の始まりと同時にこの世に生を受ける。


 親として不安や心配がないはずがない。 それでも2人はその荒波の未来がこの子にとってより良い未来になると信じて、フォードの夢に賭けたのだ。このお腹の子に外の世界を見せてあげたいと夢を見たのだ。


 そう思ったら、考えるより先に言葉が溢れていた。


「僕は何もしてないし、その子のことは任せてよ。僕もみんなも楽しみにしてるからさ。それじゃまたね!」


仲睦まじい夫婦に手を振り、僕は自宅へと走り出した。 なんだか無性に、今世の父と母の顔が見たくなっていた。




「ただいまー!」


 扉を開けると、夕食の温かくて香ばしい匂いがふわりと風のように鼻腔をくすぐった。


「おかえり、シオン」


「おかえりなさい。何を持ってきたの?」


 リビングでは父さんが直剣の手入れをしており、キッチンでは母さんが鍋を木ベラで混ぜながら優しく顔を綻ばせた。

 母さんにステラさんからの籠を差し出す。


「ステラさんから。この間の野菜のお礼だって。完熟のフルーツ」


「あらあら。あの子もうすぐ予定日なのにまったくもう、気を使っちゃって」


 口では小言を言いつつも、母さんはとても嬉しそうにそれを受け取った。母さんにとってステラさんは少し年の離れた妹のような存在なのかもしれない。


「シオン、休養はどうだった?久しぶりに全員集まって喋ったらしいじゃないか。フォードに付き合わされてるアホ3人を帰りに見たよ」


 父さんがクスクスと笑いながら直剣を鞘に収める。


「みんなそれぞれ会ってはいるから何も変わらないよ。でも……やっぱり全員集まると、騒がしくて楽しいね」


 手を洗い、母さんが手際よく並べてくれた食卓につく。早速いただきますと呟いて、木の器に盛られたトマトベースの白菜とベーコンのスープを口に運ぶ。濃厚な旨味と幸せを同時に噛み締めた。


「明日からは忙しくなるわよ? この村を出るって決めたんだから、万全の準備をしなくっちゃ!」


 スプーンを握りしめやる気を漲らせる母さん。けれど、少し天然な母さんを見ていると空回りしそうで心配だなぁ


「そうだな。シオンもフォードの特訓受けた方が良かったんじゃないか?俺が見た時はガルシアはなんというか…生と死の間を反復横跳びして人間のハードルを宙返りで超えてる感じだったぞ」


「それ、自分の息子に勧めるものとして合ってる?」


 何が恐ろしいって、フォードは前提としてそれを可能にするテーレの魔法が恐ろしいな。父さんに何言われても僕は絶対に逃げよう。


「でも村の外は本当に危険だからね。シオンもお父さんも、しっかり準備をしてね」


「ああ。フォードにも村の防衛会議に参加してもらわなきゃならんな。……ま、父さんと母さんの目が黒いうちは、何があってもシオンのことは守ってやるからな」


 2人ともやけに真面目に言うものだから笑ってしまう。昨日のことに未だ胸を躍らせたままなのは僕だけじゃなかったってことかな。

 そう嬉しく思いながらパンをスープに浸す。


「やめてよ2人とも、恥ずかしいな。……いつか絶対父さんのこと叩きのめすからね。母さんは僕のこと応援してよ?」


「む。母さんは俺の応援だよな?」


「あら、難しいわね。じゃあ明日の朝じゃんけんで勝った方を応援することにするわ」


 母の突飛な提案に、僕と父さんは顔を見合わせて笑った。母は何がおかしいのか分からずキョトンとしている。それがまた、おかしかった。




 実のところ前世を思い出さない訳じゃない。

 今でも悪魔は僕を苛んでて、女性の冷たい視線をふと感じることがある。だけど良かった事もあるんだ。


 愛に飢えていた僕は、人の愛を見逃さない。

 母の作る目玉焼きは父のが片面半熟で僕のは両面しっかり焼きだ。父が僕の身長を刻んだ柱をつまみに呑むのだって、テーレや母が去り際に気を付けてと言うのも。レントは自分よりも人の痛みに敏感で、どんなに口が悪くともフォードは僕らを想ってる。


 こんなにも愛してくれる両親に恵まれて、本当の兄弟ではなくともずっと一緒にいてくれるみんながいる。もう僕は大丈夫。前世の夢は十分すぎるほどに叶った。


 そして今世。僕は新たな夢を見る。まだ見ぬ世界への好奇心と、仲間達と苦難を共に歩く覚悟をして。

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