11話 底の底
13年間、僕を育ててくれた温かい家。身長を刻み続けたあの柱。 それらが、一瞬にして紙切れのように木っ端微塵に吹き飛ぶのが、視界の端に見えた。
次の瞬間、村のすべてが弾けて消えた。
魔竜の口から放たれたのは超高密度の爆発魔法だった。 1発1発が森を削りとるかのような爆発が、誘爆するように村までのラインを描き村に辿り着いたところで一際大きな大爆発を起こしていた。
「テーレぇええええ!!」
響くフォードの声。 目の前に突き刺さっていたイヴォールトの巨大な鉄板がガラスみたいに破砕した。
それは大人たちが展開したすべての防御魔法が破られたことを意味している。
最前線にいたフォードは爆ぜた鉄板の破片に肉体を切り刻まれ、イヴォールトと共に血だらけになって遥か後方へと吹き飛ぶ。
テーレが返事もせずに即座に回復に走り出した。
僕は魔竜の注意を引きつけようと刀を抜いて前へ踏み出そうとして、その足が止まる。
「がっ、はっ……!」
目の前で、父さんが大量の鼻血と血の涙を流しながらドサリと膝をついた。
「父さん!?」
これは、魔力欠乏だ。
父さんの魔法『プロテクト』の強度は注ぎ込む魔力の量に比例する。
皆を守るために限界を超えて魔力を注ぎ込み続け、それでも破られたのだ。血管が焼き切れるほどの過負荷。
僕たちの前に山が降り立つ。前、とは言っても未だ100メートル以上の距離があるというのにその巨大さは非現実的だった。
黒々とした、光を一切反射しないおぞましい体表。家の一軒ほどもある2つの巨大な眼球。口を固く閉じ、鳴きも吠えもしないその魔竜はただ冷徹に虫ケラを見るような目で僕たちを見下ろしていた。
逃げるのは正解だった。間違いは、時間稼ぎなんてどれだけ人数がいても数分もできなかったこと。誰が何人死のうがかまわず散り散りに逃げなかったこと。
クソみたいな結果論だ。
「……に、げろ。逃げろ……全員! 一人でも多く!生き残れぇええ!!」
自身の治療をテーレに後回しにさせたフォードが血まみれの身体を這いずらせながら、荒野に響き渡る声を上げた。
あぁそれが正解だ。でもそれをやったら僕たちの夢は終わりだったんだ。
預けたチップを手放すように、誰かが犠牲にならなくちゃいけなくて。
それを許容して数人が生き残るんじゃ、僕らの夢が叶うことなど。
身を挺してみんなを守った防御魔法部隊は全員逃げ遅れる。フォードも間違いなく残るだろう。それに僕の命を加えて、それで何人生き残れるのか。
絶望が僕の脳髄を真っ黒に支配し始めたその時。村長が一人で魔竜の前に歩み出た。
その老躯から立ち上る魔力は、あの日を遥かに超える凄まじいものだった。浴びるだけで命が削り取られるような圧迫感を感じるが、それも竜の前では薄らぐ。
「早く逃げるんじゃ!わしならこいつを、命を賭ければ!足止めの数秒くらいは…」
「村ッッッ長!!!!」
穏やかで茶目っ気のある母の、こんな声を初めて聞いた。
振り返って僕は戦慄する。遠征隊の大人たちだけじゃない。戦闘などできない大人まで誰一人として村長の指示に従って逃げる素振りすら見せていなかった。
何をやってるんだ!
「みんな早く逃げろ!!分かっただろ!僕らに勝ち目はない!フォードも村長も言ったろ逃げるんだよ!!」
なにか、とてつもなく嫌な予感にシオンは先を遮るようにがむしゃらに声をあげる。
だめだだめだだめだ。その選択は。
「ええ。分かったのよ。ここなんだって」
母さんのその瞳に宿る感情を見た瞬間に僕は息を呑んだ。先ほども父と共に送ってきたその目に、シオンは遂に向き合わざるをえなかった。
これは終わりの眼差しだ。命を捨てる者の目だ。
「お主ら……まさか……」
魔法を行使しようとしていた村長が魔竜の存在すら忘れたように、驚愕の目を大人たちに向けた。
「違う!!!!こんなとこじゃ…」
「違わない!!!」
ついには涙さえ流し叫ぶシオンはさらに続く母の言葉に息を呑む。
「ここが、私の命の燃やす場所。ここが私たちの夢の果て」
ゴォオオオウ!
巨大な風圧。魔竜がその漆黒の翼を再度広げた。
ゆっくりと開いた口内に魔力の高まりを感じる。次が来る。さっき以上の、世界を消し去る魔法が。
「村長。あなたの命だけじゃああの化け物を倒すには魔力が足らんでしょう?」
畑を耕すのが誰よりも上手かった、いつも物静かなテツさんが前へ出た。
「持っていってください。私たちの全部を、命を。……そして繋げてください。この子たちが掲げてくれた、初めての夢を」
母さん、やめてよ。おい、…みんなやめろって
「いいわけねえだろ!!! 命の選別なんて!俺はそんな国を目指しちゃいねえよ!!」
ぼろぼろのフォードが立ち上がって怒声をあげる。
「選別をする必要は、ない。……バトンを、自ら渡す者たちがいるだけだ」
テーレの魔法を受けた父が拳を握り直し、母の肩を借りて立ち上がりそう応えた。
「我が子のために命を使えるなんてどれだけ誇らしい最期かしら」
「ありがとうフォード。あんたのおかげで、私達は一片の後悔もなく、精一杯生きようとしたんだって胸を張ってあの世へ行けるわ」
セレナの母親が胸を張り、隣の家のおばちゃんが、フォードに向けて実の息子を見るような温かい微笑みを浮かべた。
魔竜の向こう、地平線の彼方に夕日が完全に沈み切るまであと数十秒。
魔竜の顎の奥で、再び禍々しい白光が渦巻き始めた。
「……じーさん、悪いな。酷な役目を押し付けちまって」
ブギーが、酷使した目を閉じたまま村長に向けて笑いかけた。
「馬鹿者……!! また、わしの命一つじゃ守りきれなかったことを許さないでくれ……!! 共に行けゆことを、生涯謝らせてくれ……!!!」
村長の目から大粒の涙が溢れ出し、皺に刻まれていく。
悲しみではない。怒りでもない。ただ、この理不尽な世界のルールに対する言葉にならない悔しさが決壊したのだ。
「待って!それって…おじいちゃん!」
「やめてよ村長!パパママ!やめてぇええ!!」
回復の手を止めて走り出したテーレの声も、両親に縋りながら喉を震わせるセレナの絶叫も、意味をなさない。解決をしない。
「がっはっは…!すまないな…!だがこれが1番胸を張れる生き方だ!」
「そうね…。夢を見せてもらった。フォードにも、我が子にも」
「すまない…。他に紡ぐ方法がない。後を頼むぞ村長」
「っ!任されよう…我が子たち…!」
「ジジイ…」
フォードが力無く足を踏み出す。放たれる魔竜の魔法を止める術が彼にはなく、死に体で走ることすらままならない。それでも村長の元へ向かった。
フォードにはわかってた。他に方法がないことが。ことここに至れば犠牲なくして夢も命も人類も、続くことはないだろう。だからこそ、何をしようとしてるのかいち早く気づいたフォードは迷ってしまった。止めるべきか否か。
「儂の魔法は、命の供物を必要とする最も醜い奇跡。意思なき命を対価とし、意思持つ命を同意もって贄とする」
同意したんだ。大人達は。
日が沈む。満ちぬ月の明かりは薄く、荒れ果てた森は闇に包まれた。
「天命を捧ぐ。一才の穢れを滅す波濤の光。白絡の糸。祭壇の翠。醜悪の奇跡」
荒れ果てた荒野の底から、眩いばかりの白い光の粒子が舞い上がり始めた。
消し飛んだ我が家の跡が、思い出の丘が、そして、目の前にいる大人たちの身体が、淡く白く発光していく。
「待って……待ってよ、母さん!! 父さん!!」
闇は払われ、昼間のような灯りのなかで無我夢中で両親の手を握る。そのシオンの手を引いて、血だらけの父と涙でぐちゃぐちゃの母は強くシオンを抱きしめた。
「ふふっ…。あぁ私の可愛い子…」
「やめてよ!別れの言葉を言わないで!僕を置いていかないで!もう1人にしないでよ!泣かないでよ!!!」
前世の孤独が、僕の心を狂わせる。
父と母から光の粒子が溢れ出す。その肉体が魔力に変換されていく。
「怖さや悲しさで泣いているんじゃないの。思い出が巡って、愛おしくて堪らないのよ。いつのまにか大きくなったあなたが。これからまだまだ背を伸ばして、沢山学んで、いつか花開くあなたが…。あぁ、あぁぁ、シオンがんばるのよ。全部。いっぱい。夢に向かって…」
「最後にお前達の夢に乗っかれて幸運だった。フォードの言った通り胸を張れる。けどね、俺達に夢がなくともお前の成長を見ることはたまらなく幸せだったんだ。俺達の元に生まれてきてくれてありがとう。俺達の家族になってくれて、ありがとう」
どんなに耳を塞ぎたくても一言だって聞き漏らすわけにはいかない言葉だった。
これが最後だから。 この温もりを、顔を、愛を生涯絶対に忘れないように。
「「シオン。――だいすき」」
「ぼ、僕も……! 僕も大好きだよ……っ!!」
上手く笑えているだろうか。2人を安心させてあげられているだろうか。
「……やめろジジイッッッ!」
大人達の間を抜けて村長の元に辿り着いたフォードの手が村長に届くその前に、魔竜が遂に咆哮放つその一瞬前に、醜き奇跡の魔法は完成した。
「魔道の奥、『贄命虚ノ光』!!!」
世界が眩く光り輝くーー。
草木も虫も魚も消え去り生命の息吹なき土の荒野と成り果てそして、
抱きしめていた僕の腕から確かな温もりが消えた。
つなぎ止めるもののなくなった僕の身体はバランスを崩して地面へと倒れ込む。
村一つ分の人間の命。そのすべてを喰らい尽くした村長の魔力が天を衝くほどの巨大な純白の"光の柱"となって、夜空へと解き放たれる。
すべてを滅ぼす醜悪で、しかしどこまでも清廉な救済の光。
それは、魔竜が口から爆発魔法を放つよりも一瞬早くその巨大な巨体を根こそぎ飲み込んだ。
ーーーー爆発。
発動するはずだった魔竜の魔法がその場で大爆発を起こす。
村一つ消し飛ばせる威力の爆発が、照り輝く光の柱と共に遠い夜空を照らした。
「あぁ、あああああああ!!!!」
吹き荒れる爆風の中、僕は生命の息吹が完全に消え去った土の荒野に這いつくばりただ子供のように泣き喚くことしかできなかった。
ーーーー。
爆音の後に残ったのは闇と静寂。そして生き残らされた1人の老人と10人の子供達。他になにも、もうなにも残ってない。
あぁこれが絶望の味だ。前世で味わったのと同種の、汚泥のような最悪の苦渋。人生とはかくも残酷で、卑怯で、理不尽で。
これは、もう、駄目だ。終わらせてしまうべきだ。
前世のように。だって、僕らに叶えられる夢など、もう
「アァー!アー!アー!」
11人目。僕らの希望が産声をあげる。




