#6 神大寺家の朝食
神大寺家のダイニングには、焼きたてのパンとコーンスープの香りが満ちていた。
「百々子さんのオムレツ、本当に美味しいな」
詠が上機嫌に笑った。
「こんな料理しかできなくて、恥ずかしいわ」
百々子が頬を染める。
神大寺家では、夜は全員揃わないことが多い。
その代わり、朝食だけは必ず家族で食べるというのが、詠の決めたルールらしい。
「百々子さんが朝食をつくってくれた日は、父さん、会社でも機嫌がいいんですよ」
長男の律が穏やかに笑う。
25歳になる彼は、詠の仕事を間近で支えている。
「こら、律。余計なことを言うんじゃない」
詠が珍しく気まずそうに咳払いすると、ダイニングに小さな笑いが落ちた。
長男の律は、弦とは正反対だった。
柔らかな物腰。自然と場を和ませる笑顔。
弦とは異母兄弟になる。
つまり、詠は3度目の結婚。
零は、なんとなくそのことが気に入らなかった。
母さんが泣かないならいいけどな――。
「零、ちゃんと野菜も食べなさい」
「ガキじゃねーんだけど」
「でも残してるわ」
百々子に小声で注意され、零は渋々サラダへフォークを伸ばした。
その様子を見て、詠がふっと笑う。
「零くん、学校には慣れたかい?」
「ええ、まぁ……」
――おまえの次男、最低だよ。
心の中で反論する。
詠や百々子に訴えるつもりはなかった。
「でも、いつまでも髪色は変えないし、詠さんにも弦君にも申し訳ないわ」
「堅物だらけの聖音高校には、いい刺激になるんじゃない?」
百々子の言葉に、律が優しくフォローする。
「これで成績が伴わなければ苦言をしたいところだが……。編入試験の結果に、校長も驚いていたからなぁ」
「詠さんまで、甘やかさないでくださいな」
「今度の期末テスト、その結果次第だな」
「はぁ」
零が必死で勉強をしたのは、奨学金のためだ。
母の苦労を増やさないためだった。
――髪色を保つためでも、ましてや、神大寺家のためじゃない。
「おはようございます」
カツ、と静かな足音が響く。
空気がわずかに張り詰めた。
弦だった。
きっちりと制服を着こなし、銀縁の眼鏡の奥には冷たい理性だけを浮かべている。
「弦。今朝は遅いな」
詠が新聞をめくりながら言う。
「生徒会の仕事が残っていたので」
弦は淡々と答え、零の後ろを通りすぎる。
その瞬間、零の肩がわずかに強張る。
零の首に、弦の指が触れたからだ。
「めずらしいね、零がネクタイを正しく付けてる」
いつもなら適当に緩めているはずなのに、今朝の零は珍しく第一ボタンまできっちり留めている。
「弦さんのおかげです。私が言っても聞かなくて……」
「母さん、うるさい」
ぶっきらぼうに返しながら、零は無意識に首元へ触れた。
制服の下には、昨夜、弦に残された赤い痕がある。
弦は昨夜、零の部屋にまでやって来た。
学校にも家にも、逃げ場がないなんて――!
「……っ!」
テーブルの下で、不意に指先が太腿へ触れた。
隣では弦が何事もない顔でコーヒーを飲んでいた。
まるで反応を楽しむみたいに。
「零?」
百々子が心配そうに顔を覗き込む。
「顔赤くない?」
「なんでもない!ごちそうさま、もう行くから」
弦が静かにカップを置いた。
「零、一緒に登校しよう」
「いや……」
詠が新聞から顔を上げた。
「どうかしたか?」
「あ、いえ」
零は俯き、声を押し殺した。
その横で、弦だけがわずかに口元を歪める。
首筋を撫でる冷たい指先を、どこかで待ってしまっている自分がいた。




