#5 昼休みの資料室
昼休み開始を告げるチャイムが鳴った、そのすぐあと。
教室の扉に、一人の男子生徒が現れた。
彼は生徒会に所属していた。
「篠原。生徒会長が呼んでる」
「……ん」
クラスの視線が一斉に零へと集まる。
好奇と、そして同情を装った蔑みの視線。
「また何かしたの、篠原くん」
「不良が弟になるなんて、弦先輩かわいそう~」
好き勝手騒ぐ周囲を無視し、零はわざとらしく椅子を引きずって立ち上がった。
だが、胸の奥は妙に落ち着かなかった。
――またかよ、あの変態野郎。
昨日の放課後のことが、嫌悪感と共に脳裏を掠める。
ネクタイを引かれ、首筋を這った熱い指先。低く響く、拒絶を許さないあの声。
思い出すと、自分の意志に反して身体が熱を帯びていく。
まるで自ら望んで向かっているような感覚が、何より腹立たしかった。
生徒会室の前まで来た零は、一度小さく息を吐いてから扉を開けた。
「失礼しま――」
言いかけた言葉が、不意に止まる。
「篠原くん。待っていたわ」
中にいたのは、弦ではなかった。
書類を抱えた一人の女子生徒が、優雅に微笑んでいる。
肩までの艶やかな黒髪。凛とした空気を纏う、学園屈指の美人と名高い。
副会長の、如月沙織だった。
「……どうも」
零は一気に肩の力が抜けた。
如月の目の前には、分厚いファイルがいくつも積まれていた。
「篠原くん、これ運ぶの手伝ってもらえるかしら?」
「なんで俺が」
「生徒会長の命令です、って言ったら?」
「あいつ、何様だよ」
零が吐き捨てると、副会長は楽しそうに首を傾げた。
「それ、全部か?」
「ええ。隣の資料室に戻したいの」
零は如月の細い手から、重いファイルを奪い取った。
「私はここで仕事をしてるから、分からないことがあったら聞いてね」
「っす」
ファイルを抱えて、隣の資料室を何度か往復する。
すると、聞き慣れた声がした。
「零」
振り返ると、いつの間にか弦が背後に立っていた。
無機質な眼鏡の奥で、整った瞳が零を真っ直ぐに見つめている。
「ファイルは日付順に棚へ並べておいてくれ」
「運ぶだけじゃないのかよ」
「さっさと手を動かせ」
拍子抜けしたような、それでいて少しだけ安心したような。零は複雑な気持ちのまま、埃っぽい資料室で作業を始めた。
「このファイル、ここでいいのか?」
「ああ、それはこっちで預かろう」
受け取ろうとした弦の手が、零の指先に触れた。
弦は零の手を離さなかった。
ドサッとファイルが床に落ちる。
引き寄せられた指先が、弦の冷たい唇に触れる。
「っ、な……離せよ……」
「たまには、場所が違うのもいいな。スリルがあって」
「……っ、バカなこと言うな!」
零は声を潜めて言ったが、弦は空いた手で零の手首を掴み、壁へと押し付けた。
資料室の薄暗い陰の中、弦の表情が豹変する。
「声は抑えろよ?如月に聞かれたいなら別だが」
低い声が耳元へ落ち、背中に電流が走る。
廊下を通る足音が聞こえる。
「ん、やめ……っ、誰か来たら……」
「昼休みは短い」
「……あっ」
「無駄な抵抗で時間を潰さない方がいい。わかったね、零」
弦の唇が零の震える唇を塞ぐ直前、残酷なほど甘い囁きが鼓膜を震わせた。
昼休みを楽しむ生徒たちの楽しげな喧騒。
さらに、壁の向こうには如月がいる。
「……いい子だね、零」
降参を示すように零の力が抜けたのを見計らい、弦は深く、深くその唇を奪った。
陽の当たる資料室で、零は自分がどんどん歪な檻へと引きずり込まれていくのを感じていた。




