#15 律の狙い
やがて、寝室に静寂が戻った頃。
シーツに身を沈めた零を、弦は後ろから抱き寄せた。
弦は重い口を開いた。
「兄さんは……狂ってるんだ」
月明かりに照らされた弦の瞳に、憎悪を通り越したどす黒い感情が渦巻く。
「でもそれは、兄弟揃ってそっくりじゃないか。弦だってまともじゃないよ」
「兄弟だと……?」
まるで、おぞましいものを見るかのように弦が言う。
「兄さんは、他人が執着するものを奪うことでしか生を実感できない、そう、怪物だ」
律の、あの透明で穏やかな微笑みが脳裏をよぎる。
自分の行為や発言に、なんの悪意も感じない不気味さがあった。
どれほど深い闇が広がっているのか。
「奪うって……?」
「僕の母親がこの家を出た理由」
弦の指が、零の頬をなぞる。その指先は微かに震えていた。
「……律兄さんが母を襲ったからだ」
「え!」
「母はそのことを父さんには言えず、やがて精神的に壊れて、この家から逃げ出した」
完璧で冷徹な神大寺家の次男、学校では優秀な生徒会長。
その仮面の下に隠されていたのは、幼い日にすべてを奪われた少年の残滓だった。
「兄さんは、僕から母さんを奪った」
「そんな……」
「そして今度は、僕から零を奪おうとしている」
零の頭には、母の百々子の姿がよぎった。
今はきっと、キッチンでみんなの夕食を用意しているはずだ。
『今まではふたり分だったけど、大人数の食事を作るのって大変ね』
そう言いながらも、百々子の表情は幸せそのものだった。
「もしかしたら、母さんも危ないんじゃ……?」
「いや……。僕の予想だと、たぶん大丈夫じゃないかな」
「どうして?」
「僕が零を、手放せないことに気づいているからだ」
弟である弦が、かつてないほど執着し、歪んだ愛を注いでいる「零」そのものを奪い、壊すこと。
それこそが律にとっての至高の快楽なのだ。
自分という存在は、律にとっては弦を絶望させるための「道具」でしかないとわかり、眉をひそめた。
「なんで、律さんは弦のことを?」
「さぁな。気に入らないんだろう、後妻の息子なんてさ」
律の母親は彼が幼い頃に他界している。
その後、詠は再婚し生まれたのが、弦だった。
律が感じた疎外感や孤独は、まったく理解できないわけでもないが……。
「兄さんは僕が何を求め、何を恐れているか。それを完璧に理解した上で、一番痛いところに手を伸ばしてくるんだ。あの笑顔でね」
弦は零をさらに強く抱きしめた。
「嫌がらないんだな、今日は……」
弦の言葉に、零はどう返事をすればいいかわからなかった。
本音を言うのは、照れくさい。
「別に、律さんよりはマシってだけ」
律のあの底の見えない空虚な狂気。
それと比べて。弦の執着は、人間らしいものが感じられた。
歪んでいても、ここには「心」がある。
弦が零の首筋に顔を埋めた。
「な、もうやめろよ」
「零がいつもより、僕を煽るから」
「あ、煽ってなんかないだろ!」
弦は零の身体を自分の方へ向けさせると、何度も、確かめるように唇を重ねた。
甘い吐息がこぼれる。
「二度と僕から離れるな」
「弦」
「僕だけの鎖につながれていればいい」
「ほら……、やっぱり弦だって狂ってるよ」
「そうだな……」
弦は自嘲気味に、けれど満足そうに微笑むと、零をシーツへと押し沈めた。
零は抵抗することもなく、むしろ喜んでそれを受け入れていた。




