6話
六式『君主という名の犬』
Ⅰ.夢の終り
昔の自分は夢を見ていた。
当時の自分は夢を信じて疑わなかった。
「私、この国で一番の学者になりたい」
だが、その事を初めて父に言った瞬間、その夢は無惨に打ち砕かれた。
「……馬鹿馬鹿しい。女が一番になどなれるものか! 一番というのは男がなるものだ、そんなことも知らんで、学者になるなどと笑わせる」
父のその言葉により、希望の世界はあっという間に崩壊した。
Ⅱ.変化
夢見の悪い目覚めにて、少女は目蓋をこじ開ける。
「……気分悪い」
久しぶりに見た忌まわしい過去の夢、最近は見ないと油断をしていた。
少女は、うっとうしげに目にかかった青い髪を払う。
「あらレムス様、もうお目覚めなんですね」
少し驚いたような別の少女の声。
幼い感じのメイド服の可愛らしい少女が、レムスの顔を覗き込んでいる。
「なに、リサ? 私が早く起きてたら可笑しい?」
とりあえず最悪の気分を棚置きにレムスは少し冷たい声でリサと言う自分付きのメイドに問い掛ける。だがリサは、その冷たさが主の本質でないことを熟知していた。
リサは、メイドというにはやや打ち解けた感じで、笑いながら答える。
「ええ、だってレムス様は低血圧で、朝はいつも私に苦労をかけて……」
「わかったから。早く着替えの準備をして」
小さく微笑しながら言葉を返し、ベッドから起き上がる。
「ハイ、レムスさ……ッッ!?」
立ち上がるレムスの姿を見つめていたリサの、その笑顔が一瞬で石化する。
そのメイドの様子に、レムスはきょとんとする
「リサ……? 何?」
「レ、レムス様……ですよね?」
メイドは呆然と主を指差し、尋ねる。
「? 私? 何?」
当たり前のことを尋ねられ、レムスはやや困惑してしまう。
「でも……だって……だって……」
リサは、そんな主の様子には反応せず、ただレムスの顔を指差していた指を徐々に志手に下ろしていく。
レムスの目がそれにつられて、下がっていく。
そして、レムスの目線に『それ』が接触した……
「え~と……」
レムスの聡明であるはずの脳が、その機能を全停止して、認識を拒否する。
何をどう判断したら良いのか。
レムスの視界には、己の股間が映っていた……もちろんそれだけなら問題は無い。だが、その部分の寝着の薄い布地はどう見ても内部より押し上げられているようにしか見えない。
股間の中央から、天をつくようにつきあがっている『それ』……布で内部は見えないものの、それがどういったものであるか。もちろんレムスは一目でわかった。
リサも、それが判ったから、混乱しているのだろう。
レムスは、恐る恐る寝着のスカートを捲り上げる……
レムスとリサの目に、同時に『それ』の正体が暴かれた……
「う~ん……」
ばたっと、リサはその場に卒倒する。
「ええと……」
気絶したメイドを前にレムスはというと、全体の半分を下着から飛び出させ、本人の顔に向けて雄々しく自己主張している『男性器』の頭頂部とにらめっこをしながら、途方にくれていた。
レムス・ハバート、レムン国で有数の……というかはっきり言って一番の大商人の一人娘……レムスという国名と一字違いの名前は、成り上がって有頂天になった父の権威欲の現れ……十五になって、即座にレイド王子の後宮に放り込まれたのは、父の出世欲だけでなく、学者になるために上級教育機関に進みたいというレムスの希望を断念させるため……それから、一年、王子の側室として、何度も寝室に呼ばれ伽をさせられた……つまり、その時は確かに己は女性だった。かなり湾曲的に状況分析を進め、そこまで結論付ける。
そして、その結果……理解できたのは。
気を失うという現実逃避法は、他人に先を越されると極端にやり難くなる……というものだった。とりあえずレムスは、気絶したリサの介抱を始める。
『男性器』が鉄のように硬直したままだと、とてつもなく動きづらかった。
「ど、ど、ど、どうしましょう!!?」
動揺のあまり、舌がまともに機能しないのか、どもりながらリサは喚きたてる。
そんな見事なほど慌てまくるリサを眺めながら、レムスは冷静になっていく己を自覚していた。自分が驚く分、目の前のメイドが驚いてくれているのもあるが、自分自身この事態にほとんど拒絶反応を持ってはいない。
レムス本人が首を捻るほど、すんなりと受け入れられている。
「な、何かのご病気なんでしょうか……医者を……ううん、だめです。このようなことを誰かに知られたら……」
(問題があるとすれば、確かにそれね)
リサの危惧にレムスも心の中で同調する。
男のモノが生えたなど知られれば、当然この後宮に居られるわけは無く、即座に追い出されるだろう。だが、レムスにとってそのことはどうでも良い事である。
(まあ、父さんは別だけど……)
娘を王妃にするという野望が潰えた父の落胆の顔が目に浮かぶ。
そのようなことすら、レムスにはどうでも良いことなのであるが。正直、レムスは王妃の座になど……ましてや、レイド王子に対して何の想いも抱いてはいなかった。
ただ、夢への……学者への道を断たれたことによる虚無感……レムスにとって、己の貞操すらどうでも良く感じられていた。この後宮にきた当初は。
言われるままに後宮に入り、レイドと寝室へ赴き、なすがままに純潔を散らさせた。
どうでも良いことだった。そのときまでは……
そこまで考えて、レムスの頬にわずかに朱がさす。
「……エリス様……」
普段は兜に隠れ。わずか数回の機会で目に焼き付けていた女騎士の凛々しい素顔を思い浮かべ、レムスはその名を呟く。
「そうです! エリシエル様にご相談しましょう! あの方なら、きっと何とかしてくれます」
ポツリと洩らしたレムスの呟きに、リサは天啓を得たかのように提案をする。
それに慌てたのはレムスである。
このことを他の誰にばれて、後宮を追い払われることとなってもそれはどうでも良い。だが、だがエリスにこのことを知られることなど……考えるだけで心が凍る。
「だめっ! 絶対にだめ!」
それまでとは打って変わって、必死の形相で今にも駆け出していきそうなメイドを制止する。
「あの人に知らせるのだけはだめ! そんなことしたら、許さない!」
「わ、わかりました……」
主がエリスに対して並々ならぬ憧れを抱いていることを思い出したリサは、その剣幕に慌てて何度も頷いてみせる。
「でも……どうしましょう。それ……」
改めて問われ、レムスはようやく事の重大さを感じ入った。
とりあえず、できるだけ楽観的に考えてみる。
「……とりあえず、隠してれば大丈夫……スカートの上からだと、多分ばれない、はず……」
主のその言葉に、だがメイドは否定的なため息を洩らす。
「あの……気づいてないのですか?」
「何を?」
「その……また、大きくなってます……」
恥じらいながら、『それ』から目をそらし、リサは指差す。
「ッッ!?」
レムスが慌ててそこに目を落とすと、先ほど治まったはずなのに、またもや『それ』は膨張している。
「……エリシエル様のお名前が出た途端にそうなりました」
「あうっ」
レムスの顔が今度こそ真っ赤に染まる。
憧れの人とはいえ、名前だけでこうも反応してしまうとなると、とてもではないが隠しとおせるものではない。
後宮に居れば、嫌でもエリスと顔を合わせるのだ。そうなったとき、『それ』がどんな反応をしてしまうのやら、考えるだけで頭が痛い。
「それと……明後日ですよ?」
さらに続くリサの言葉が、レムスの頭痛に止めを刺す。
「明後日、レイド殿下の伽をするようにと連絡がありましたのに……」
「~~~~………」
レムスは、激痛にうめきながら、ベッドに倒れ……とりあえず寝た。
Ⅲ.究明
が、そのまま寝ていても、状況は悪くなるばかりであることは確かだったので、レムスはしょうがなく起き上がり、腕を組んで考え込む。
(……まず常識から行くと、何の脈絡もなしに、女性の陰核が男性の陽根になったりはしない……)
とりあえず調べてみると、元の女性器はそのまま健在であり、ただ陰核のあった場所に男性器が生えている……というより男性器に変化しているのである。
(そうなれば、ごく最近、私の身にそれを誘発するような『何か』が起こったということ……最近……私は昨日は?)
そこまで考えて、レムスは自分に昨晩……どころか昨日の記憶が全く無いことに気づく。
「リサ……私、昨日は何をしてた?」
「昨日ですか? 昨日は、朝、私がレムス様を起こして、朝食を取られてからお部屋を後にして……帰りが遅いと思ってましたら、私が気づいた頃にはもう部屋の中で明かりを消してお休みになられていました」
「? ……それはいつ頃?」
「もう外は真っ暗で……ご夕食にも姿を見せないので、私が探しに行こうかと思っていたら、いつのまにか部屋にお戻りになられていました。起こそうかと思ったのですが、何かお疲れのようで、それはもうぐっすりとお休みでしたから……」
そういえば……レムスが腹を抑えると、途端に空腹感が襲ってくる。
その後、わずかな情報をまとめ、結論としては、レムスに何かが異変が襲ったというのなら、それは昨日のことだろうということである。
何しろ、昨日一日の記憶がぽっかりと抜け落ちてたりする。
リサに、メイド仲間から昨日のレムスの行動について情報を集めてもらうよう頼み、自分も心当たりを当たってみることにする。
「……レムス様の昨日のことですか?」
ローラの取り巻きである貴族の令嬢の一人はその風変わりな質問に首を捻る。
「ええと……すみません。昨日は、レムス様は一度もお見かけしておりませんから……」
すまなさそうに謝罪し、そして不安そうにレムスの顔を見つめてくる。
「レムス様……これから私たちはどうすればいいのでしょうか? 今日も、ローラ様はお顔をお見せにならないのです」
すがるように言われても、レムスはどうすることもできないし、するつもりも無かった。
ローラに対して、この令嬢のように忠義立てなどしているわけでもない。ただ、身の安全をはかるというエリスの提案に従っただけの話である。
とりあえず、無難な返事をしてから、その場を立ち去ることにする。
最後に目に入った泣きそうなほど不安げな令嬢の表情を思い出し、もう少し優しい言葉でもかけてやればよかった……などと考えていると。
「レムス」
その凛とした声にまるで電撃でも食らったかのように、身体中がビクッと竦む。
この後宮に着てより、一時も忘れたことの無い声。
「エ、エリス様!」
「レムス、ちょうど良かった、今から探そうと思っていたところだった」
鉄兜の奥から放たれる声の起伏に伴い、レムスの心臓は早鐘のように鳴り響く。
顔に血が上り、いつもの冷静な賢者の顔が一人の少女の顔に移り変わる。
「は、はい! 何の御用でしょう!」
上ずった声で答えると、エリスはかすかに首を捻る。
「何……とは? 昨日、私が頼んだことだが?」
「え?」
一瞬驚き、そして即刻上った血が音を立てて引いていく。
自分の昨日の事を一切覚えていない。そしてエリスから、昨日何か頼み事をされていた……それらを総合するとすなわち、よりにもよって自分はエリスの頼み事を忘れてしまっているという事実。
「あ、あの、すみません!」
「? 何があった?」
エリスの前ではいつも若干の高揚を見せるレムスだが、今回はあまりに度が過ぎている。そんなレムスの様子に、エリスは異常事態を察知した。
「……その、私は……昨日の事が全く思い出せない。だから、エリス様に頼まれた事も、覚えて無くて……すみません」
何度も頭を下げるレムスを見つめ、エリスは深々とため息をつく。
「いや、謝る必要は無い。それはおそらく、私の責任だ」
レムスは意外そうに下げた頭を上げる。
「お前にあのようなことを頼んでしまったことを、私はあれから後悔していた。奴が、お前どのようなことをしでかすかも考えずに、軽率だった。こちらのほうが謝るべきだな」
「え、そ、そんな……頭を上げて下さい、エリス様」
唐突に謝罪をされてしまい、泡を食うレムス。
ただ放しているだけで胸が苦しくなってしまうというのに、このようなことをされてはそれこそ寿命が縮む。
そこでレムスは、話をそらすことにする。
「あの……その頼み事とは……すみません、まだ思い出せないんです……もう一度聞いても良いですか?」
「ああ……昨日の朝方に奴の、カシムの大鍋の件で……」
「エリス!」
エリスの言葉を、硬質な冷たい声が遮る。
エリスとレムスは同時に、その声の主の名に思い至る。
「セシル?」
案の定、振り返るとそこには、声と同じく生真面目そうで少し冷めた感じの美少女がこちらに近づいてきている。武家の生まれの令嬢のセシルである。
「エリス、すまないが私はレムスに急用がある。借りていくぞ」
呼びかけられたエリスの問いかけを無視して、セシルという銀髪の美少女は強引に二人の間に割って入り、レムスの手首を掴むと強引に引きずって行く。
ドレスの包む、細い肢体を裏切る力強さに、レムスの小柄な身体はあっさりと連行されていく。
「え? ちょ、ちょっと! セシル様! 私は、エリス様とまだお話が……」
「私の用を優先しろ」
レムスの抗議に、セシルはそっけない言葉を返すだけ。
あっという間に、二人は呆然とするエリスの視界から消えてしまった。
Ⅳ.親友?
エリスと話していた場所から、角を二つほど曲がり、そこにある階段の影となる部分に、レムスは強引に連れ込まれた。
「セシル様……いったい、何……?」
さすがに不安になったレムスの問いかけに、セシルはその秀麗な美貌を憮然とさせ、問い返す。
「それはこちらの科白だ……『それ』は何の冗談だ?」
「え?」
唐突な質問に、きょとんと……だが、漠然とした不安にレムスは自然と己が股間に目を下ろす。
「あっ!」
目にした途端、思わず悲鳴をあげてしまう。
レムスの『それ』はいつのまにか大きく……自室での膨張よりさらに長大に膨らんでドレスのスカートを思い切り突き上げていた。
「エリスは気づいていないようだったが、話を続けていたらいずれ気づいていただろう」
全く自覚は無かった。
エリスと話をするときは、いつも興奮してしまい。自分の状況にすら頭が回らなくなってしまう。だがまさか、目の前で勃起させておきながら、本人が気づかないとは……
「あ……」
もしエリスに見つかっていたら、とそれを考えるだけで背筋が凍る。
「セシル様、ありがとうございます」
心からセシルに礼を述べる。
だが、セシルは相変わらずむっつりとした顔で、
「礼などより、状況を説明しないか。『それ』はいったい何なのだ?」
「うっ……」
この事態に対する、あまりに真っ当な質問にレムスは困る。
なんと答えれば良いのか……下手なことはいえない。このセシルという少女は、エリス以上に冗談の通じない性質であるし、レムスにこの状況を冗談に紛らわせるだけのセンスも無い。
「……殿下のお戯れか?」
悩むレムスに、セシルが仮定を突き付ける。
「レイド殿下にそのようなものをつけさせられているのか? ……だとしたら、私が抗議をしてこよう。早々にそれを外せ」
「え? その、ちが……あっ」
一人納得していくセシルに、レムスは慌てて訂正しようとしたが時遅く。セシルの手が、レイドが時々使う玩具の類だと勘違いした『それ』を抜き取ろうと、レムスのスカートの中に入れられる。
そしてセシルの動きが止まる。
「…………」
「…………」
居心地の悪い沈黙……セシルの細い指の中で、『それ』はさらに堅くなっていく。
「あの……だから……」
沈黙を破り説明しようとした、レムスの喉に一瞬にしてナイフが突きつけられる。
「ひゃっ!!」
「……偽者か?」
突き刺すような視線が、レムスの心臓を鷲掴みにする。
「私の知るレムスは女性だった。このようなものは生えてはいない……貴様は何者だ?」
「あ、あ、あ、あう……レムスです。本物です!」
沈黙は死を招くと判断したレムスは、恐怖に縮む声帯を震わせ必死に弁解する。
「では、なぜこのようなものがついている?」
「あ、朝起きたらこうなって……そして昨日の記憶もなくなってて……だから、原因を探して……」
喉に食い込む冷たい刃の感触に、心臓を中心にレムスの身体が徐々に冷え切っていく。先刻まで、あれほど雄々しかった『それ』も萎縮し、縮こまっているのを自覚する。
真っ青になったレムスの表情をセシルはじっくりと眺める。
「…………そうか」
冷たいナイフの刃が首から離される。
「どうやら、貴様がレムス本人だということは間違いないようだ……それさえ判れば、まずは問題ない」
開放され、安堵の息をつくレムスは冷めた汗をびっしょりとかいてしまっていた。
「うう……」
「これくらいで泣くな。……それで、原因に心当たりはあるのか?」
恐怖と、そして安堵に涙するレムスに無茶な事を言いつつ、質問してくる。
「それが……」
そこで、レムスも思い出す。自分が、エリスの頼み事をされていたことを。
その事をセシルに話してみる。
「エリスに? 何を頼まれた?」
「それを聞いていたときに、セシル様に連れ出されてしまって……でも……最後に、カシムという名前を聞きました」
「……奴か」
セシルは思い切り渋面になる。
ほんの数日前、セシルはそのカシムという新参者に思い切りあしらわれ、最後にはナイフまで出して大事になるところだったのである。
その事を自然と思い出し、レムスはふと関係の無い疑問が持ち上がる。
「あの……確か、セシル様のナイフはあの時、エリス様に没収されたのでは? 返してもらえたのですか?」
「うん? あれが返すわけが無いだろう。これは別のナイフだ」
「…………」
レムスはついジト目でセシルを見てしまう。
そのレムスの様子に、セシルは少しすねた表情になる。若干、年相応の少女の顔が垣間見える。
「そんな目をしないでくれ、騎士団にいたせいで寸鉄の一つでも持っていないと落ち着かないようになってしまったんだ。別に、これで何かをしようというわけではない」
「……この前といい、今といい、十二分に活用しているように見えますけど」
「む……大体不公平なのだ。なぜ、同期のエリスが武装を許され、私だけこんな動きにくいドレスを着せられ、さらには武器を携帯禁止にされるんだ?」
それは、エリスがこの後宮の警備であり、そしてセシルが王子の側室であるから。
万が一、セシルが王子を傷つけないようにするため……という答えを、レムスは飲み込んだ。そんなこと、セシル本人が十分に理解しているだろう。
自分と同じく、己の意思を無視して後宮に入れられた彼女が……
レムスは学者、セシルは騎士……目指すものこそ違え、夢への道を親に無理やり途絶えさせられた。そのこともあって、二人は互いに自然と打ち解けるようになった。
……まあ、レムスの方は、セシルがかつて騎士見習いの際にエリスと同期であり、競い合っていた仲であるということを耳にしたことも一因であるが。
「……カシム、か。奴に何かされたのか?」
ようやく冷静に戻ったセシルの問いに、レムスは首を振る。覚えていないのである。
「ふむ……奴について、何を頼まれたのか。エリスにもう一度聞くという手もあるのだろうが……それではな」
「はい?」
「私がエリスの名前を出した途端、また大きくなってる」
「~~~~~~っ!」
今度は確認するまでも無く、レムスは即座に真っ赤になった。
セシルは感心したように。
「名前だけでそうなるのか……なんと言うか、すごいな」
「うう~~っ」
その部分を手で強引に抑え、真っ赤になって恥らう。
「……まあ、あいつは昔から女に人気があるからな。私には全く理解できない領分だが。貴様だけ極端に変だというわけではないだろう。私の知るだけでも、二十人ほどはあいつに懸想していた」
慰めになるようで、ならないセシルの言葉。その二十人の中に、今のレムスのように名前を聞くだけで股間を膨らませるものは一人もいないだろう。当たり前だが。
レムスがエリスに対して特別な感情を抱いていることは、メイドのリサと、セシルしか知らない。というか、その二人に即座にばれた。
「そんな状態のままでは、エリスとの会話は危険すぎるな。『それ』をあいつにだけは悟られたくは無いのだろう?」
「……はい」
確かに、レムスはこのことをエリスにだけは知られたくなかった。なぜというわけでもない、おそらく知られてもエリスは軽蔑も嫌悪もしないだろう。
だが、嫌だった。何というか、それがとてつもないことを引き起こすようで……
「では、事の原因。まずはあのカシムを探すしかないな。どうせ今日も暇なのだから、私も手伝おう」
ローラが閉じこもっている間、レムスも、セシルも何もすることは無かった。
Ⅴ.期待
「レフィリア……レフィリア・ソウラね」
知り合いの令嬢の一人に、確認するようにレムスは尋ねる。
「はい、それがあの女のメイドの名前です」
「外見の特徴はわかるか?」
セシルに詰問調で尋ねられ、その少女は少し怯える。
「は、はい……私も注意して観察したわけではないですけど、多分すぐわかると思います」
「というと?」
「私たちのために用意されたテーブルに腰掛けてるメイドなんて、あの子だけだから」
少し憤慨を込めて答える。
「うん? どういうことだ?」
愛想や嫌味が錯綜するお茶会などに興味の無いセシルとレムスは初めて聞く話に首を捻る。
「あの女が、自分のメイドをこれ見よがしに席につかせて、お茶会を開いているんですよ。ほぼ毎日……よりによってメイドなんかに、私たちのテラスで我が物顔をさせるなんて……腹が立つったら」
少女の憤慨は、二人には理解外であるが、それがかなり風変わりな行動であることは理解できた。
「ローラ様さえいらっしゃれば、あんなことさせないのに……エリス様、ローラ様は一体どうなさってしまったのでしょうか?」
先ほども別の少女にされた質問を待たされ、レムスはうんざりしてしまう。
その少女から離れると、その事をセシルにぼやいてみる。
「……どうして、みんな私に同じ事を尋ねるのかしら。私には何もできないのに」
「……なんだ。わかっていなかったのか?」
「何が?」
心当たりの無いレムスに、セシルはこともなげに言い放つ。
「このまま、ローラ嬢が姿を見せなければ、自然と次のリーダーが貴様になるからだ」
「……え?」
意味を理解するまで数秒を要した。
「私が……どうして?」
「この後宮内の側室の中で、ローラ嬢の家柄に次ぐものといえば、ハバート家の貴様だ。だから皆、ローラ嬢の代わりに貴様に頼るのだ」
「そんな……私の家はただの商家……」
「中小貴族どころか、大貴族にまで金を貸している、な。一人娘を強引に後宮に入れるなどという芸当も、それがあったためだ」
「そんなの……だからってリーダーなんて……私よりセシル様の方が……」
「私は、ただの一武官の娘だ。家柄で言えば下の部類に入る」
そこでセシルはため息をつき、皮肉げに微笑む。
「まだ理解できていなかったのか? ここで重要なのは、剣でも知識でもない、家柄というブランドと、生まれ持った美貌のみだ。それだけが優劣の基準となる。それだけが」
Ⅵ.魔女の知己
レフィリアというメイドは、案外すぐ見つかった。
知り合いのメイドに尋ねてみたら、皆快く教えてくれたのである。
どうやら、仲間内ではかなり人望があるらしい。
「貴女がレフィリア?」
「え? はい、なんでしょ……て、あああああ~っ!」
呼ばれ、振り返った途端、レフィリアはセシルを指差して絶叫を上げる。
「なんだ?」
「貴女は! 数日前、カシム様を殺そうとしたセシル様!」
「あっ」
そのときになって、ようやくレムスもその事を思い出す。
セシルが、喧嘩の末刃物まで出しカシムに襲い掛かったことは、この後宮でもかなり話題になった。その彼女を連れ、カシム付きのメイドに会えば、こうなってしまうのはある意味当然である。
案の定、レフィリアは警戒して、二人から距離を取る。
「……な、何なんですか? また、カシム様を苛めるんですか」
思い切り怯えられながら、そんなことを言われては話もし難い。
「……私が、奴を苛めたことなどまったくない」
セシルは憮然と事実を述べる。正確に言えば、苛める以前に、悪戯をされてしまったのである。スカート捲りなど、生まれて初めてされてしまった。
「本当ですか?」
「本当だ! 奴が何もしなければ、私は何もしない!」
「……あ、カシム様の方が先に何かをしたんですか」
その一言で、レフィリアは納得する。
わずか数日とはいえ、カシムとじかに接して、彼女の性質はよく理解できている。
あのカシムが、セシルという美少女を前にして何もしないはずが無い。
わずかに警戒が和らいだのを見計らい、レムスが肝心な質問をする。
「その貴女の主人に聞きたいことがあるのだけど……あの人は今どこに?」
その問いに、レフィリアはじっとレムスの顔を見つめる。
「ええと……その青い髪はレムス様ですよね?」
「え? そうですけど?」
異国人の母譲りの青髪である。美少女ばかりを集めたこの後宮内でもかなり目立つ。
「その……カシム様は、朝方、レムス様の所に行くといって、出て行かれたきりです」
「は? 私?」
「はい、レムス様に用があると、はっきりと仰られていました」
レフィリアの答えに、レムスは困惑してしまう。
ほんの一二回だけ、顔を合わせたのみのはずのカシムが、一体私に何のようなのだろうか、と。
「やはり……奴と昨日何かあったのではないのか?」
だんだんと、その可能性が濃厚になっていく。
嫌な予感を覚えながら、最後に眼前のメイドに尋ねる。
「あの……今カシムがいる場所を、知ってる人がいるとしたら、誰?」
それにレフィリアは、考えること無く即答する。
「それは、エリシエル様かリディア様です。私以外で会うとしたら、この二人以外いませんから」
当然、エリスという選択肢は即座に却下した。
となると、残るはリディアということになり。二人は陰鬱な気分を抑えきれない。
何しろ、二人が所属しているローラのグループは、それこそ毎日のようにリディアに嫌がらせをしていたのである。どのような顔で尋ねろというのか。
だがこのようなときに限って、会いたくない探し人に会ってしまうものである。
あっさりと、二人の目は黒髪に褐色の肌という異色の美少女を発見した。
「……あっ」
こちらに気づき、リディアは少し驚きの表情を見せた。
「あ~、その……」
なんと声をかけたら良いのか、口篭もるレムス。セシルも同様に。
だが、そんな二人の様子が可笑しいかのように、リディアはくすりと小さく笑う。
「カシム様ですか?」
「……えっ!」
意外なリディアの反応と言葉に、レムスは思わず大声をあげてしまう。
「あら? 違いましたか?」
そんなレムスの反応に不思議そうにリディアは首を捻る。
それに慌ててレムスは首を左右に振りたてる。
「いいえ、でも、どうして?」
「それは……」
そこでリディアはクスクスと楽しげに笑みを洩らす。
「先ほど、エリシエル様がレムス様のことで、あの方を探しに来ていたのですもの」
「エリス様が!」
「ほう」
リディアの言葉に、二人はそれぞれ驚きを表現する。
「ええ、先刻ここで、私はカシム様とお会いして、少しお話をしていたのですが……そこにエリシエル様はすごい剣幕で、レムス様に何をしたのか、カシム様を問い詰められて」
微笑みながら、軽やかに傍の壁を指差す。そこには、まるで刀傷のような切り傷がつけられていた。
「はぐらかすカシム様に、エリシエル様が剣を抜いて切りかかってしまい……二人ともあちらのほうに向かって追いかけっこを始めてしまいました」
セシルは壁に刻まれた傷をじっくりと眺める。
およそ、手加減の感じられない切り傷……
(エリス……苦労しているようだな)
「それでレムス様たちも、何かお探し中のようでしたから、カシム様に御用かと思ったのですが?」
確認するようにリディアは問い掛ける。
そこで、エリスが自分を心配して、カシムの元を訪れたということにうっとりと統帥していたレムスが、本来の目的を思い出す。
「……ええ、あの人に少し聞きたいことが……それで二人はどこに?」
「ですから、あちらの方角に」
リディアは大真面目に通路の反対側を指差す。
「……二人が走っていってしまって、私、少し考え事をしてましたから……あちらに行って、どこに向かったのかまでは……ごめんなさい」
「考え事?」
「はい、エリシエル様が来られる寸前に、カシム様からの質問のことで……結局、何のことかすらわからなかったのですが……中庭の大鍋のことで」
何の事か、レムスもわからないでいると、セシルが教えてくれる。
「昨日の事だが、中庭の林の中で奇妙な大鍋が鎮座させられているのが、少し騒ぎになっていたのだ。おそらくそのことだろう……何が入っていたのか、すさまじい悪臭を放っていたそうだ」
それで納得する。昨日の記憶が無いので、覚えていなくて当然である。
要するに、昨日そういうことがあったということだろう。
「そういえば、あの件にはあの女がかかわっているという話も、耳にしたな」
セシルが何気なしに呟き、それにリディアが頷く。
「ええ、カシム様はあの大鍋で、庭に生えている草花を煮て、何かいろいろと不思議なことを行っていたので、そのことについて質問したのです……そうしたら、質問を質問で返されてしまい……」
失ってしまった記憶について考えていたレムスだが、その言葉に好奇心をくすぐられる。
「どんな風に?」
その問いに対するリディアの答えはこうであった。
リディアが『あの大鍋で何を作っていたのですか?』と尋ねると……それに対して、カシムは『ふむ、ちょっと支配者を造ってみようかと思ったんだが……どれができるかわからないんだよな』と答え、リディアが困惑しているとさらに『名君と暴君、もしくは愚鈍な傀儡……君はどれができると思う?』と質問されて、さらにわけがわからなくなってしまい、その場で考え込んでしまったという。
そしてエリスの乱入で、話は中断され、答えも聞いていないという。
「そういえば……」
そこでふと思い出したようにリディアはレムスの顔……という髪を見つめる。
「昨日……大鍋のある方に歩いていくレムス様をお見かけしたように記憶しているのですが……覚えていらっしゃらないのですか?」
「それ、本当!?」
「は、はい……かすかにですが、そちらに向かう青い髪の人を見かけたので……レムス様かと……」
この後宮において、青髪はレムス一人だけである。
「どうやら決定的だな……」
セシルは確信を持ってそう呟く。
レムスの失われた記憶と、そして身体の異変はまずカシムに関わりがある。
そこまでわかれば、後はカシムを見つけるだけ……リディアの指し示した方角へと歩を進めようとすると、そこをそのリディアが呼び止める。
「あの……今度はこちらから質問してもよろしいでしょうか?」
二人同時に足を止める。
「……カシム様をどうして探してるのですか?」
まあ、まず真っ当な質問である。どうしてそれを最初に聞かなかったのかというほうが疑問に思うほど。
レムスが答えるより早く、リディアの方が確信を込めて尋ねる。
「あの方に……『何か』をされたのでしょうか」
「ッ!」
「……何か知っているのか?」
レムスが息を呑み、セシルが剣呑な視線で問い掛ける・
リディアは落ち着いた表情で頷く。
「……あの方が何かをしたというのなら、それはおそらく私の所為です」
ゆっくりと吐露するように、言葉を紡ぐ。
「二日前、私が一週間後……今日から五日後に殿下の夜伽に指名されたことを言った次の日、カシム様があの大鍋で『何か』を始めたのです……だから、おそらくあの方がこれからすることは、私の所為であると思ってました」
「……? どうして、それが貴女の所為だと?」
「だって、私はわかってましたから……」
リディアは儚げに微笑み、じっとレムスを見つめる。
「夜伽のことをあの方の耳に入れれば、あの方はきっと『何か』を始めると……それが何か判らないけれども……私はこれまでの『通常』より、変化を与えてくれる『何か』が欲しかったから……だから、わかっていながらあの方に言ってしまいました。だから」
レムスに向かって、リディアは頭を下げる。
「『何か』に被害を被った方々に、言わなければならない事があります。責任の半分以上が私にあることを……貴女方は知っておいてください」
Ⅶ.探し物は
どうにも釈然としない気分で、レムスは通路を進む。
リディアの教えてくれた方角は、期せずしてレムスの自室のある方角であったので、当たり前のように、一旦は自室への帰路につくことになっていた。
「何をしでかすのかわからない……なのに、何でそんなのに頼るのかしら?」
先ほどから考えていたことを、何気に隣を歩くセシルに聞いてみる。
「決まっている。それ以外に選択肢が無かったからだろう」
レムスには難解な問題であったが、セシルはあっさりと考えること無く答える。
「そうなの? でも何が起こるかわからない選択肢より、それまでの繰り返しの方を選ぶのが普通じゃない?」
「アトゥム国の姫にとって、その選択でどのようになっても、現状よりさらに悪くなることが無いと、判断したのだろう。たとえ、どんな結果になろうとも…… いや、それとも、あの女なら悪いようにはしないと、信頼しているのかも知れない」
答えながら、セシルは前方を確認する。
「……確か、このまま行けば、レムスの部屋があるのだったな?」
「そうですけど?」
「ふむ……どうやら少なくともエリスはこの方角に向かっているようだ」
セシルは前方、というより足元に敷かれる絨毯を見ながらそう指摘する。
「うん? ……あっ」
レムスがつられて絨毯に目をやると、そこにはくっきりと軍靴らしき足跡が刻まれていた。
「全身鎧は重いからな……あいつが走るとどうしてもこうなる。隠密行動には向かないな」
足跡は、結局レムスの自室まで続き、そこを通り過ぎてしまっていた。
だが、レムスの部屋からは人の気配が……
自室の扉を開けた途端、レムスの脳は真っ白になる。
「…………」
部屋の中に人の気配があるということで、それはリサだろうと、あっさりと断定した。それは間違いなかった。部屋の中には確かにリサがいた。
だが、リサだけではなく……しかも、その者がリサを抱きしめ、キスをしている光景など……予想をはるかに越えていた。
意外すぎて、思考能力を停止させたレムスの隣で、セシルが的確な判断と行動を示す。
ドレスより、ナイフを取り出し、その者に向かって投げる。
「おっと」
気の抜けた声と同時に、あっさりとそのナイフを避ける闖入者。
「こらこら、セシル君てば、危ないじゃないか。俺はともかく、リサ君が怪我をしちゃったらどうするの?」
「え? セシル様……?」
カシムが回避したことにより、唇を開放されたリサが朦朧とした表情でこちらを向く。
「きゃあッ……レムス様!」
そこに己の主の顔を見つけ、リサは慌てて相手から離れる。
「リサ……どういうことなの?」
呆然としたレムスの問いかけに、リサはしどろもどろに弁解する。
「あ、あの……レムス様の『それ』のことで、誰に相談したら良いのかわからなくて……だから……そうしたら、すごい勢いで通路を走るこの方が目に入って……」
「……どうして、そこで相談の相手をそいつにする?」
セシルが冷静な声で、突っ込む。その目は刺すように、飄々とした表情のままのカシムに向けられている。
「ああ、それはね。ここ最近、俺が本業を再開してね。その話を聞いて、リサ君は俺に頼ろうと思いついたわけ、悪気は無かったと思うよ」
「本業?」
「占い。メイドの女の子やらを相手にちょっと、ね。結構評判良いんだよ」
カシムの言葉に、リサが頷く。
「ハイ……その話を他のメイドの子から聞いていたから……ひょっとしたら、何かわかるかもって思って……」
「エリス君から、俺をこの部屋にかくまってくれたわけ。いや、助かった」
「それがどうして、キスすることになるの?」
少し苛立った声で、レムスが問い詰める。
リサは顔を真っ赤にして泣きそうな顔で、俯いてしまう。
「ははは、それがねえ」
緊迫した雰囲気など、鼻から無視して、カシムが説明を始める。
「リサ君ってば、占いを頼んできたってのに、何を占ったらいいのかを指示してくれなかったんだよね。どうしても言えない、の一点張りで」
彼女の立場からすれば、それが当然だろう。
リサにしてみれば、評判の占い師なら、その事を話さなくても解決策を導き出せると思っていたのかもしれない。
「で、何度も同じ事の繰り返して、俺もちょっと飽きてね。まあ……言えないんなら、ちょっと強引に口をこじ開けようか、と」
無理やりキスをした。そしてそこにレムス達が入ってきた、というわけらしい。
話を聞き終わるやいなや、セシルの手から再びナイフが放たれる。二本。
「おっ、とっ」
眉間と喉に迫るナイフを上半身の動きで何とか躱すカシム。
「……前も思ったけど。それってどこに何本仕舞ってるわけ?」
それは、レムスも同様に疑問だった。
「無駄な話は必要ない。まず、リサから離れろ」
「はいはい、セシル君ってば相変わらずそっけないねえ」
セシルの威圧的な言葉に、毛ほども動揺を見せずカシムはリサから距離を取る。
「さて、で? セシル君は、俺をどうするつもりかな? この前のローラお嬢様の命令でそうしたように、また俺を殺すつもり?」
「……まず、質問に答えてもらう。その後のことは、それから判断する」
そういって、セシルは視線をレムスに向け、促すように頷いてみせる。
「…………」
聞くべきことはたくさんあるのだが、声が出ない。レムスは黙りこくって、俯いてしまう。だが、カシムはそんなレムスに親しげに。
「やあ、レムス君。昨日は楽しかったね。例のお願い事は順調かな?」
「はい?」
問い返すレムスに、カシムは眉をしかめる。
「あらら? まあ、無理にとは言わなかったけど、とりあえず急いでって頼んでたのに……あと五日だから、まあまだ余裕があるか」
「え? え? ……一体、何の事を?」
レムスには全くわけがわからない。だが、カシムはレムスがそれを知っているという前提で話を進めている。
そのことから推察するに、自分は昨日、このカシムという女性と何か約束のようなものをした……そして、そのことでレムスに何かする義務が生じている。ということだろうか。
悩むレムスに、カシムもようやく会話の不成立に気づく。
「おやあ? レムス君、ひょっとして君ってば、昨日のこと覚えてないとか言わないよね?」
「あ……その……すみません」
何がなんだかわからないが、約束を忘れているという事実に、レムスは謝罪してしまう。
それに、カシムはまともに目を見開き、唖然とする。
「……マジ?」
「……朝起きてから、昨日のことがどうしても思い出せなくないんです……」
「ガ――ン!」
ショックを受け、それを体全体で表現するカシム。
「だから、昨日のことを尋ねようと、今まで貴女のことを探して……」
「レムス君!」
説明を続けるレムスに、カシムが真剣な表情で迫る。
「記憶が無くなったって事は……ひょっとして、ひょっとすると『薬』の効果も無くなったんじゃあ!?」
「『薬』?」
レムスの疑問の声に、カシムは勝手に判断し、うめく。
「……せっかくチンピラ王子なんか比べ物にならないほど、立派な物が生えたというのに、たったの一晩で無くなったなんて……なんてもったいない」
握り拳をつくり、大いに悔やむ。
「……立派なって……え~と……」
「昨日はそれで、俺を押し倒して獣のように何度も何度も……それを忘れるなんて……う、う、酷い……」
カシムは、目元を指で抑えながら、嗚咽を洩らす。ちょっと、いやかなりわざとらしい。
「……押し倒す……獣……何度もって……えええええええっ!!」
意味のつかめない単語だった。だが、繰り返すように呟くと、なぜかレムスの手に柔らかく暖かな感触が蘇り、目の前のカシムの姿に、衣服が乱れ艶やかな顔つきの彼女の幻想が重なる。異物である男の象徴が途端に反応し勃起するのを感知し、レムスの意識は一瞬で焼き切れた。
気を失ったレムスを見下ろし、セシルが冷たい声を放つ。
「……いつまでその芝居を続けるつもりだ」
「う、う……芝居だなんて、身も心も傷ついてる俺に……酷いや、セシル君」
「…………」
セシルは言葉も無く右手を振るうと、泣き真似を続けているカシムめがけて白刃が閃く。
「おおうっ」
カシムは、涙を流していたというのに全く腫れていない目を見開き、慌ててそれを躱す。
「ちょっと待った! それって、ナイフどころかどう見ても剣じゃないの! どーやって、隠してたの、どこに!?」
斬りつけられたことよりも、そのことに驚いた。セシルの手に握られたそれは、刃渡りがナイフの倍はあるショートソードと呼ばれるものだった。
とてもではないが、ドレスに隠せるような代物とは思えない。
「……機密事項だ。そのようなことより、説明をしてもらおうか、真実を」
「真実って……まるで俺が嘘をついてるみたいな言い草だね」
「違うというのか?」
「当たり前。本人忘れてるみたいだけど、さっき言ったことは本当の事だって……」
少しむっとして、カシムが抗議すると、反論が別の方向からきた。
「レムス様がそんなことするはずがありません! そんな品の無い嘘、信じられません」
「あら、リサ君まで信じてくれない?」
「当然です!」
「う~ん、それじゃあ信じてもらうには、『証拠』を見せるしかないね」
Ⅷ.証拠
暗闇に沈んだレムスの意識は、肉体の表面に感じる衣擦れの感触に引き上げられた。
「う……ん?」
けだるげに重い目蓋を開けると、まず目に入ったのさらけ出された乳房だった。
お世辞にも豊かとは言えない……だが、自分でも綺麗な形をしていると思う……そう、自分の……。
「…………えっ!?」
己のドレスの胸元が開け放たれていること……そして、その上にセシルとリサの顔があることを、数瞬かけて把握し、レムスは慌てて身を起こす。
「な、何してるの。二人とも!」
慌てて胸元を隠し、抗議する。が、二人は無反応。
セシルも、そしてリサも、ただレムスを見つめるのみ。
「な、何?」
「ははは、二人とも『証拠』を見て驚いたみたいだね」
耳に入るのはカシムの明るい声。
「証拠?」
「そ、俺が言っていることが本当って証拠。二人がどうしても示せって言うから、見せてあげたの」
その言葉に、レムスは自分が気絶した理由を思い出す。
「あ、あんなこと嘘に決まって……」
慌てて否定しようとするレムスを、カシムは楽しそうに見つめる。
「ふふーん、そんな事言って、ショックで気絶したって事は、真っ先に信じたって事だろう? 覚えていなくても、それが本当だって君は理解したからなんじゃない?」
レムスは先ほど見てしまった幻を思い出し、真っ赤になる。あれは……ひょっとすると忘れてしまっていた記憶の……
「そんなことあるわけが……」
「じゃあ、それは?」
カシムは、愉快そうにレムスの隠された胸元を指差す。
「な、何が?」
「いや、だから、自分でよく見てみなって。そこに『証拠』はっきりと刻んであるから」
レムスは恐る恐る胸元を隠した腕を外し、言われた通りそこを見る。
そして、レムスの目は『証拠』を見つける。
「これって……」
小ぶりな乳房に点々と刻まれた赤い斑点。
「そ、キスマーク。昨日俺がつけた奴ね」
衝撃に震えるレムスに、カシムはあっけらかんと止めを刺す。
「ちなみに、俺の身体にも君がつけた跡があるんだけど……これは証拠としては弱いからね。そんなわけで、俺の言ってることが正しいって事は信用してもらえるかな?」
「あ……う……」
「じゃ、俺の話を聞いてくれる? レムス君が昨日のこと忘れたままだと、俺としても都合が悪いからね」
カシムはそういって、懐から一枚の紙切れを取り出す。
「はい、これ契約書」
ズイッと目の前に突き出された文面を読み、レムスは凍りつく。
「読んだ? これは、君がローラ君の代わりにこの後宮のナンバー1になり、その上で俺の頼み事を聞いてくれるって、約定事ね。そして俺は見返りとして、レムス君にお手製の『薬』をあげる、と」
カシムの説明に、セシルとリサが同時に身を乗り出し、契約書を見る。
契約書には確かにそのように記され、そしてご丁寧に本人のサインとその横に拇印まで押されている。
その拇印が本物だとすれば、レムス当人の意志でカシムと契約をしたということである。
「……見返りの薬とは何のことだ?」
刃物のような殺気を込めた怒りの視線を向け、セシルがそう問う。
その手には先ほどのショートソードが握られ、今にでも切りかかりそうな風情である。
それに答えるカシムの言葉は、レムスもセシルも先ほど聴いた言葉だった。
「名君と暴君、もしくは愚鈍な傀儡……人間を支配者にする薬だよ」
「アトゥム国の姫にかけた謎賭けか」
「あら? リディア君と話したわけ?」
カシムは少し意外そうな顔をする。
「それが、なぜレムスにあのようなものが生えることになる?」
「あんなものって、セシル君ってば酷い言い方……あんなに立派なものなのに」
「質問に答えろ!」
「はいはい……」
セシルの剣幕に、カシムは肩をすくめる。
「支配者ってのはどういうものだと思う?」
「?」
「上位の者が下位の者に対して絶対の権力を持つ……これが支配というものなわけだ。これは良いね? そして、人間を上位下位に分ける基準というものがなんだか、考えたことはあるかい?」
答えられない。考えたことが無かった。それは当然のように有り、当然のように決まっていた。
「まあ簡単に並べても、力・金・美貌・その他もろもろ……といった具合で共通性が全く無い、ように見える。だけど、これを一括りにする人間の感情があるわけだ」
さも面白そうに、カシムはそれを口にする。
「『渇望』……絶対に手に入れられないものを、欲しがるその感情……それは、それを持っている者に対して、欲しがる者は劣等感を持たせてしまい。その逆の場合は、優越感なわけだが、この二つが人間の上位下位を決める」
「……それが、貴様の盛った薬とどういう関係がある?」
もともと、こういう話には興味の無いセシルが少し焦れた声を出す。
「わからない? では結論、あの薬は『絶対に手に入らないもの』を手に入れさせる薬……下位の人間を上位に変換する薬なわけ……つまり、レムス君にとっての『絶対に手に入らないもの』が、その立派な一物なわけだ。俺も意外に思うんだけど、どうもレムス君ってば男性化の願望を持ってたみたいだね」
『……馬鹿馬鹿しい』
「ッ!」
『女が一番になどなれるものか! 一番というのは男がなるものだ』
カシムの言葉に、夢に見たかつて父から浴びせ掛けられた言葉が蘇る。
あの言葉によってレムスの夢は打ち砕かれた。
女は、決して男より上位に位置することはできない。それをこの後宮で思い知らされた。
自然と、レムスは自分が女に生まれたことを悔やむようになっていった。
エリスに憧れを抱くようになったのも、彼女に助けられたということよりも、振舞いの端々に感じられる男性的な雰囲気の所為であることを自分で理解できていた。
であるから、男性化を望んでいるというカシムの言葉にも、レムスは反論を出せなかった。今朝始めて、身体の異変を認識してより、あまり動揺しなかった自分。それは、その異常な事態が決して絶望的な事態では無かったから、自分が望んでいたことであったからであると、レムスは理解した。
そのレムスの顔を、じっと見つめ、カシムは頷く。
「うん、それ。昨日のレムス君も、俺の説明を聞いてそんな顔をしてた」
そして、向けられたすべての男……いや女性であるレムス達の背筋も蕩けさせるような淫蕩な笑みを浮かべ、誘うような声音で囁く。
「そして……その後レムス君は、その場で俺を押し倒して、情熱的に迫ってきたんだが……今日も今からする?」
己の殻の中に引きこもりかけていたレムスだが、その言葉に吹き出す。
「な、な! そ、そんなこと!? ……本当に昨日の私がしたの?」
狼狽しつつ、一縷の望みをかけて、念押しに尋ねてみる。
「往生際が悪いねえ、レムス君てば。……昨日のレムス君は、もう激しく、獣のように求めてきたよ。薬を飲ませたのが昼を少し過ぎた頃で……それから、空が暗くなるまで、大鍋のある庭の林の中で休むこと無く、それはもう何度も何度も」
そのときのことを思い返しているかのように、カシムは両目を閉じゆっくりと語る。
「場所がそんな場所だからね。いつ誰かがその場に来て、見られてしまうか……さすがに俺も緊張しちゃったんだけど……段々とそれがいい感じに刺激になって、ちょっと癖になっちゃったかもしれない」
「……うう……嘘ですよね?」
「だから本当だって。いや、さすがの俺も昨日のあれは少々きつかった。それに、俺ってば、自分で破瓜しただけで、実際にそういう性交をしたのってあれが初めてだったからね。なのにレムス君、衝動任せにガンガン突いてくるもんだから、思わず泣いちゃったよ」
あっけらかんと、とんでもない告白がカシムの口から飛び出していく。
なんとなくレムスは、両側から感じる二人の視線がじわじわと冷たくなっていくような錯覚に襲われる。
「さて……昨日の事情説明はこのくらいかな? 大体のところは理解できただろう? んで、契約により俺は『薬』を差し出して……なおかつ、そういうサービスまでさせられた……つまり、後はレムス君が契約に従う番、というわけなんだけど何か異論でもある?」
「…………」
言いたいことはいくらでもあるのに、レムスは何も言うことはできず。ただ涙を流した。
「異論無しね。じゃあ、俺の頼みってのは……」
カシムの声が、死神の誘い声に聞こえる。
カシムの頼み、とやらの話を聞き終えると、レムスは返事もせず自分のベッドに移動し、毛布を頭からかぶり、横になる。
「お~い、レムス君ってば。話はわかったかい? それともベッドの中でもう一度説明する?」
「……わかりました。わかりましたから、もう私を放っておいて……」
レムスの涙声が毛布の中から漏れ出る。
「あらら、すねちゃったか……」
ぽりぽりと頭を掻き、カシムは苦笑する。
「さて……そういうわけで、他の二人は納得してくれたかな?」
「…………」
「…………」
飄々としたカシムの確認に、二種類の視線が険悪な怒気を帯びる。
「うおう!? ひょっとして、まだ納得してくれない?」
「……当然だ。だが、貴様の要求がレムスにとって、それほど悪いものではないから、今まで黙っていた」
氷のようなセシルの言葉にリサも同意を示す。
「レムス様が、そんなことするなんて信じられません。……きっと、その変なお薬を飲まされた所為です」
「う~ん、リサ君結構鋭いね」
見当はずれなところで、カシムは関心を示す。
「……やっぱりこれは言っといた方が良いか。実を言うと、レムス君の記憶が欠けてるって聞いたとき、驚きはしたけど、それほど不自然だとは感じなかったんだよね、俺」
「? どういうことだ?」
「そのことだけど、さっきはまああまり事を荒立てないように抽象的な言葉で言い表したけど、実はそのときのレムス君ってばちょっと尋常じゃない状態だったわけなんだよね」
カシムの言葉に、毛布の塊がピクリと反応する。
「……多分、あの時レムス君の理性は全く無かっただろうね。比喩抜きで本当に獣みたいだった。俺を俺だと認識して襲ってきたわけじゃなく、ただ目の前の女だから、襲ってきたって感じだったな」
「……貴様の薬の副作用か?」
セシルが思いついた仮定を口にする。それ以外考えられない。
だが、カシムは首を振り。
「近いけど、違う。俺の薬は正常に作用している。それより問題なのは、レムス君のもつ男性像だろうね。というより、男性に対する偏見かな?」
「……つまり、その獣のような行動は、レムスが持つ男性像の現れだということか?」
「そ、心当たり無い?」
「無くは無い。というより、有りすぎる」
何しろここは後宮であり、女性の権利が踏みにじられる場である。男性に対する悪感情を育成するには、これ以上ない最適な場所だ。
毛布の塊が、痙攣するように震えていたりする。
「まあ、思いっきり欲望を俺に吐き出した後、一晩たったら元に戻ってたわけだから……まあ、ちょっと記憶障害があるみたいだけど……それほど大事無いと思う。だからといって再発の可能性が無いわけじゃない、というかかなり有るね。俺の見解だと」
ビクンッと毛布の塊が大きく跳ねる。
セシルもリサも真剣にカシムの話に耳を傾ける。傾けざるを得なくなる。
カシムの言う通り、レムスの中に男に対するゆがんだ見識という獣性が宿っているとすると、それが目覚めた場合……
「……最も有効な対応策は、まあ誰かが落ち着くまで相手をするって事なんだけど。二人のうちどちらかがする?」
「そ、そんなッ!?」
顔を真っ赤にして狼狽するリサの様子に、カシムは頷く。
「ま、そうだろうね。というわけで、そうなったら俺に報告してもらいたいわけだ。まあ、俺の作った薬だし、俺に責任のあることだからね。その場合は俺が何とかするから」
毛布の塊が、一際大きく痙攣したかと思うと、死んだかのように動かなくなる。
「ああ、そうそう、ちなみに……」
カシムは思い出したかのように、セシルとリサの耳元に口を寄せ囁く。
「勘違いの無いようにいっとくけど、ビースト状態のレムス君は確かに乱暴だが、チンピラ王子のようにへたくそでは決して無いよ。それどころかその逆で、かなりすごい。と俺は評価する。実際、昨日だけで二桁は余裕で絶頂させられた」
セシルはカシムの言葉の意味を察し、頭痛を感じる。
そんなセシルに、カシムはいやらしい笑みを浮かべ。
「セシル君も、あのチンピラとしか経験が無いんだったら、一度は相手してみるのもいい経験だと……」
言葉途中で、ベッドから毛布が跳ね上がる。
セシルが反射的にショートソードを振るうより早く、置時計が唸りをあげてカシムめがけて飛来する。
無論、そのようなもの当たるはずもなく、カシムは余裕でよける。
ベッドの上で、時計を投げた体勢のまま顔を真っ赤にしたレムスは、怒りに震えカシムを睨みつけ、大きく息を吸う。
「出てけえっ!!」
時計の壊れる音とその絶叫は、部屋の外の通路まで響いた。
間を置くこと無く、重い足音と鎧の鳴る音が響く。
「カシムッ! そこか!?」
「げっ! エリス君!」
カシムの狼狽の声と共に、レムスの自室の扉が激しく開け放たれる。
開いた扉から瞬時に内部の状況に視線を走らせ、エリスは鉄兜の奥の目をセシルに向ける。この場で最も正確な状況を教えてくれる人物を選抜した結果である。
「セシル! 何があった? カシムはレムスに何をした!?」
無論、セシルはレムスの事をエリスに言うつもりなど無い。だから、的確に、最もその場に適した言葉を選んで、報告する。
「レムスがこの女に『嫁に行けない体』にされた」
「うっわ~」
あまりに適しすぎ、カシムは見えもしない天を仰ぐ。
もはや逃げ場は無かった。
Ⅸ.新君主
怒れる女騎士の折檻によって、魔女の行動は沈静化した。
エリスも、具体的にレムスが何をされたにしろ、これでカシムがこれ以上手を出すことはないと安心していた。
だが、二日後。
中庭のテラスにて、身体の各部に若干の包帯を巻いたカシムと、見張るようにその背後に立つエリス以外、変化の無いいつもどおりの様子でお茶会が開かれていた。
そこに、青髪の美少女、すなわちレムスがセシルとリサを連れ姿を現した。
「レムス! もうカシムに近づかないよう言っていただろう!?」
意外そうに驚くエリスに一礼し、それでもレムスはカシムの元へ歩く。
どことなく弱った様子のカシムに、レムスもまた疲れた様子で報告する。
「……言われた通りに、三日後の夜、リディアさんの代わりに夜伽に向かう者を用意しました。これで良いんですね」
本当ならば、カシムと話すということは、かなりの顰蹙を買う行為なのだが、今のレムスには関係無い……
「あ~、ご苦労様。ご褒美いる?」
「いりません」
はっきりと、レムスは拒否を示す。
なんとなく耳に入った情報を、整理して、意味が脳に浸透すると、その場にいるカシム以外の……特にリディアが驚きの声をあげる。
「え? レムス様、それは一体……?」
「……言ってないの?」
「うん、ちょっと驚かせてあげようかなって」
悪戯ッ子の笑みでカシムはのたまう。
レムスはそれにため息をつき、リディアに視線をあわせ説明をする。
「三日後のリディアさんの夜伽を、別の子に代わってもらうように手配をしたの。カシムに……頼まれて」
最後の部分に多色の感情を込めて苦々しく述べる。
それに、リディアは最初は喜びを浮かべそうになるが、すぐにその顔はしかめられる。
「……ですが、それではその代わりになった方が……」
「ああ、大丈夫大丈夫、だろ? レムス君」
カシムが掌を振って遮り、レムスに確認する。
「ええ、嫌がるどころか、喜んで代役を引き受けてくれる子がたくさんいたから、その内の一人に任せただけ……」
ため息混じりのその言葉に、リディアは奇妙な表情となる。
彼女の感覚では、夜伽など嫌なことを好んで代役を引き受ける者がいるなど考えられない。
それを見透かしたように、セシルが説明をする。
「……この後宮にいる側室の中で、正室を望んでいるものがほとんどだ。そうでないほうが例外なのだが……」
ここにいるほとんどがその例外であることに、セシルは少し皮肉に微笑む。
「その者たちにとって、正室になるチャンス……すなわち、レイド殿下の子供を授かることだが……を得るための夜伽の回数は何物にも換えがたい貴重なものだ。一言、代わってくれといえば、即座に十人以上の側室がこぞって名乗りをあげてきた」
「……まあ、そういうわけ。それで、これから後もリディアさんの夜伽の番のときに他の子を代わりにやるように約束したのだけれど……良かったかしら?」
エリスとレフィがバッとリディアの顔を振り返る。
当のリディアは、状況を把握できず目をぱちくりとして、呆然としている。
ニヤニヤと笑っているカシムが、はっきりと言葉にしてやる。
「つまり、これからずっとリディア君がチンピラ王子の寝室に行かなくても良くなった、てことだよ。わかった?」
「……え?」
きょとんと、見開いた金の瞳をカシムに向ける。
その目にはありありと期待と不信の色がある。
「そんな……でも、そのように簡単なことで?」
「いや、実際簡単な事だって……やりたくないんだったら、代わって貰えば良い。やりたがる奴はそれこそ一杯いるんだ……気持ちは理解できないけどね。この国の王妃様になるためなら、あのチンピラの子供をはらんでも良いってのが結構いるみたいだ」
気持ち悪そうにそのことを語り、肩をすくめる。
「だったら話は簡単で、妊娠する確率を上げるには、性交の回数が重要になる。しかも、その夜伽の機会をただでやるって言うんだから、それこそ向こうにとっては願ったりなことだろうよ。実際、代役の人選に困るぐらいだったろう?」
途中で話を振られ、レムスはうんざりした様子で頷く。
あまりに反応がありすぎて、希望者が取っ組み合いのけんかを始めてしまったぐらいである、セシルがいなかったら事態の収拾は不可能だったろう。
結局、レムスもリディアも、これから軽く十回分はきっちりと代役の予定が詰っている。
そして、その半分ほど消化した頃には、またその後の十回が埋まり……延々と繰り返しとなるだろう。カシムの提案は、簡単であるが、その効果は絶大である。
「ですが……夜伽の順番を私たちが勝手に変えるなんて……」
「大丈夫大丈夫。この後宮にどのくらいの側室がいると思うの? 何十人だよ? それを日替わりで抱いてるわけだ、あのチンピラ王子……確信をもって断言するけど、側室の一人一人の顔すらろくに覚えてないだろうよ」
そういえば……自分もこの後宮にいる人たちの顔をほとんど覚えていない。覚えているとすればこの場にいる者たち、それも覚えたのはごく最近である。などとリディアは他人事のように思い浮かべる。
「あいつが後宮に求めていることはただ一つ……昨晩と違う美女を今晩抱き、そして明日の晩にはまた別の美女がくる……それだけ、最低三人いればいいところを、見栄を張ってその十何倍もの人数を引き入れている今の状態で。誓って言うけど、絶対に気づかんな」
絶対の自信を込め、カシムは大仰に頷いてみせる。
「……それはわかった。そういうことだったら、私も協力しよう……だが」
エリスが口を挟んでくる。
「それを、なぜレムスが行う? 理由が思い当たらないのだが?」
カシムとレムスの接点を、結局見出せていないエリスはそんな疑問を抱く。
レムスやセシルが何かを言う前に、カシムが答える。
「そりゃあ、決まってるだろう? ついでだよ」
「ついで?」
「そ、レムス君もチンピラ王子の夜伽から開放されたがってた。だから、俺がその解決策を提示して、そのついでにリディア君の方もお願いしたわけ」
「なるほど」
事実に似せた虚偽に、エリスは納得する。レムスが決してレイド王子のことを好いてはいないことを知っていたので、説得力が感じられた。
だから、実はレムスの身体の異常を隠しとおすためという本当の理由が有ることになど、考えが及ぶことは無かった。
「最近、レムスにちょっかいをかけていると思ったら、そのことで口説いていたわけか」
「その通り。ちょ~と、説得に苦労したけど……特にエリス君の折檻とか……」
冗談めかして、エリスに言い返しながら、カシムはそっとレムスに耳打ちする。
「……ちなみに、六日後の方は?」
「……それも、代役を手配しています……ですが、本当にあの人がそれを望んでいるんですか?」
そのようなこと考えられないと、レムスがカシムの耳に囁き返す。
「そだよ。代理のルビィ君が証文持参で来ただろう?」
「……誰よりも正室になりたがっているあの人が……夜伽を拒否するなんて」
「ま、あのお嬢様にもいろいろ事情があるんだろ。いろいろと……」
「う~ん……」
カシムの言葉に、納得のいかないレムス。
はっきりといえないが、どこかおかしい……代理であったルビィの明るい笑顔を思い出すと、どうしてもそう思えてしまう。
「ははは、心配性だねえ。そんな君に、俺が取って置きの言葉をあげよう。君が忘れた、俺と君の契約のときの俺の口説き文句だ」
師匠直伝の殺し文句だ、と宝物を自慢する子供のように。
「たとえどのようなことをしてでも、俺が君の願いを叶えよう。君が俺の元にいる限り、君の願いは現実となる……君はそれを信じればいい。後は俺が全てを執り行おう」
レムスにはそれが抗うことの不可能な呪いの言葉に聞こえた。
その日のレムスはどのように感じたのか……
レムスにはもうそれを知る術は無かった。
カシムはさらにレムスに顔を寄せ、小さく囁きかける。
「それと……我慢は良くない。君のそれってば、エリス君に反応してるんだろう?」
「ッ!」
それを指摘され、レムスは身を強張らせる。
あれから、どうやってもエリスを前にするとレムスのそれは敏感に反応し、雄々しく立ち上がってしまう。仕方が無いので、エリスに会うような場合には、必ずセシルかリサに一緒にいてもらい、エリスの目に入らないように間を遮ってもらっている。
が、カシムの位置からは丸見えである。
続けて、カシムが囁く。
「……聞くところによると、それは中身を発散しないことには治まらないそうだ。今晩あたりに俺の部屋に来る? それとも、俺が君の部屋に行く?」
その言葉に、レムスはまるで鎖に拘束されたような錯覚に襲われる。
背後で、セシルとリサのため息が聞こえ、それに続けてため息をつく。
実際には、自分はリディア同様、レイド王子から開放されたに等しい状態なのである。
だが、レムスは己がもはや手遅れであり、今度こそ容易に逃げられない状況に自分が置かれているような気がしてならなかった。




