七日目.15 諒子
「あの、えっと……真琴です。お婆ちゃん、で良いんですか?」
見た目は母さんよりも若いかもしれない。そんな女の人にお婆ちゃんと言うのは抵抗があったんだろう。
マコには諒子さんが人造人間である事も、その魂がお婆ちゃんに似せてある事も伝えてある。
初めて会った時、何処か覚えのある雰囲気だけど、さすがにお婆ちゃんだとは思わなかったそうだ。
最初はぎこちなかったマコだけど、ぎゅっと抱き締められた後はもう遠慮はなかった。抱き着いて返すと、顔を埋めたまま何かを喋っている。二人は芝のような草地に座り込むと、マコは諒子さんの足を枕にした。ノエリアや皆が居ないからやりたい放題だ。
その上、マコの口から出てくる言葉が止まらない。逆上がりを何度も失敗してようやく上手く出来るようになった事、学校の宿題を手伝ってくれない事、散歩に行ったらなかなか帰ってこない事、ここに連れて来てくれた事、色んな話をしている。
諒子さんはマコの髪を撫で、相槌を挿みながら話を聞いてくれている。優しい笑みは僕の記憶のままだ。
あの頃の僕は順序立てて話す事も、言いたい事を上手く伝える方法も知らなかった。そんな僕の拙い話を最後まで聞いて、「偉かったね」「頑張ったね」と言ってもらえることが嬉しかった。その言葉が聞きたくて、何度も何度も話しかけていたんだと思う。
そんなお婆ちゃんが癌で亡くなったのは、僕が五歳、真琴が三歳の時だった。死ぬと言う事が暫く会えなくなる、その程度にしか思っていなかった僕は母さんを随分と困らせていたらしい。
真琴はお婆ちゃんの記憶を何処まで持っているのかわからない。だけど、くすぐったそうに笑うマコを見ると、紹介したのは間違ってなかったと思う。
マコが諒子さんに懐いている間に、もう一つの作業に取り掛かる。
──切り裂く風
魔法で切り倒した桃の木をフラトリスが運び、ソーロールが枝を落としてくれる。その落とした枝をセプテムが集め、ニーレの周りに囲いを作っては隙間から逃げられてる。ニーレ相手では枝やセプテムの糸は役に立たなそうだけど、案外、さっき追いかけられた仕返しをしているのかもしれない。
「ありがとう、ソーロール」
ソーロールはマコとそんなに背の高さは変わらないはずなのに、菜穂子さんを運べるぐらいの力持ちだ。だけど五メートルもある桃の木はソーロールでも持ち続ける事は出来なかった。最初は運ぼうとしてくれたけど、フラフラしていたのでフラトリスが取り上げてしまう。それでも何かやりたがっているように見えたので、枝を落として丸木の状態にして貰った。何かコツがあるようで、僕が魔法を使うよりも手際が良さそうだった。
「皆、少し離れててね」
──乾燥
──切り裂く風
輪切りにして、片手で持てる程度を切り出す。
多少失敗しても材料は豊富にある。
──形状操作
シュルシュルと木が擦れて削れていく音がする。
記憶を頼りに、出来るだけ再現して形状を整える。
見本はミレイア先生から借りた半円の櫛、ヒルベルトさんが試作した細い歯、装飾は──
「凄い! 本当に木の細工が出来るんだ!」
話をしていたはずのマコが諒子さんを連れてすぐ近くまで来ていた。
知らない魔法を使っているのが気になったんだろう。僕も工房でフィデルさんの魔法を見せて貰わなかったら、こんな事が出来るなんて思わなかったかもしれない。
一枚の木の板から一個の櫛を作る。
出来上がりは小さいから、ピエロの仮面を作るより簡単だと思ったら、これが案外難しい。
櫛そのものは上手く出来たと思うんだけど──
「……何これ? 櫛に描いてるの、花丸?」
出来たばかりの櫛を覗き込んで酷い事を言う。
しかし、それを否定する事は僕には出来なかった。
「……たいへんよく出来ましたって事だよ」
「……他の事は何でも出来るのに、どうしてお花の絵だけ描けないの?」
「人が描いた絵を真似るのなら描けるんだけどなぁ……」
何故か自分で見た物を描き写そうとすると、僕は凄く下手だ。学校の教科書や子供向けの図鑑のようにディフォルメされているものなら直ぐに要領は掴めるのに、花や風景といった自然の絵を描こうとするとバランスが崩れて、巨大な花になったり、雲ばかりの空になったりする。
美術の先生からは、細かい事を気にして、全体が見れなくなっていると言われたこともある。
立体物である、水の動物、土の動物はイメージ通りに造ることが出来た。イメージだけで外に出さない、魔石の記憶も上手く伝わっている。だけど、筆記や刻むといつもの僕の絵になってしまう。今ばかりは菜穂子さんの自動書記の魔法が羨ましい。
「お兄ちゃん。ソーロールちゃんって絵を描ける?」
マコが枝を使って地面に絵を描いて見せ、同じようにソーロールに花の絵を描いて貰った。
その絵は朝顔みたいな可愛らしい花で、雄しべと雌しべらしきものも描いている。特徴がしっかり描かれているので、これなら誰が見ても花以外に見えることはないだろう。
ソーロールの描いた絵を元に形状操作で板に刻んで渡すと、飛び跳ねるように喜んでくれた。
「絵を描くのが得意なのはわかったけど、僕達の知ってる花を伝える方法がないよ」
地面をお花畑にしているソーロールを横目に、意思疎通の難しさを思い出す。
ピエロの仮面を作った時、暫くはセプテムを持ち運ぶお盆のように扱われてしまっていた。ニーレが取り戻してくれなかったら、蜘蛛の糸だらけだったかもしれない。
腕を組んだマコは諒子さんに頭を撫でられながら、仕方がないから手伝ってあげると言ってくれた。
「よし、上手く出来た!」
「……こんな変なこと思いつくのに、どうして絵は駄目なの?」
「ちゃんと出来たんだから、変なことじゃないだろ。次のを作るよ。もう一度用意して」
「はぁーい」
手の中にはさっきよりも丁寧に仕上がった櫛が出来ていた。手が触れる部分には芍薬の大きな花が彫られ、その周りに幾つもの小さな葉が手を広げるように左右に並んでいる。深めに彫ってあるけど、強く摘んでも痛みを感じることはない。
「お兄ちゃん! 始めるよ!」
「いいよ。今度は二つ目の魔石を使って」
「わかってるよ!」
マコに預けた五つの魔石は、渡す相手によってそれぞれ違う形や装飾を施した物を記憶させた。自分で見本を用意して、真似て作る、その作業が一人で出来れば良かったけど、幾ら魔法だと言っても同時に使えるのは限りがある。慣れていない僕が作業をするには形状操作の魔法を発現させるだけで精一杯だ。
だから、自分で見本を用意出来ないのなら、マコに用意して貰えば良い。
──操水
フワリと浮き上がった水の塊はグニャグニャと形を変えて、やがて櫛の形になる。先程のものより少し細長く作られた櫛には、薔薇の装飾が施されている。
──形状操作
僕の手の上に、マコの見本を少しだけ大きくした櫛が出来上がる。木の年輪が入った仕上がりは綺麗で、薔薇の装飾にも刺々しさはなく、触れると滑らかだ。
「うん、これも良いね。続けてもう一つも作るよ」
「急がないと時間がないもんね」
「ホント、時間が無いのに何やってるのかしら?」
「えっ⁉︎ 菜穂子さん⁉︎」
後ろから抱きつかれて驚いているのはマコだ。
僕はと言えば、音も無く後ろから抱きつかれるのも、姿が無いのに耳元で声を掛けられるのも何度も経験したおかげで──
「お帰りなさい。思っていたより戻って来るのが速かったですね」
「はいはい。愛しのお兄ちゃんは菜穂子さんに冷たいのよね〜」
「お兄ちゃんは菜穂子さんのお兄ちゃんじゃないです!」
「真琴ちゃんは良い反応してくれるのよね。やっぱり初日から攫った方がもっと楽しかったんじゃないかしら?」
「これ以上一緒に居ても、ストックホルム症候群には陥りませんよ」
「残念ねぇ。私は諒真くんの事──」
「だめーっ‼︎」
軽い調子でマコを揶揄うのを楽しんだ後は、僕達の作業を見て呆れていた。
「諒真くんって、変なこと考えるのが本当に好きね」
「ちゃんと目的は達成してますよ」
もう一つ作った櫛は細長い形状は同じだけど、装飾は蒲公英だ。
黄色に塗れないのは残念だけど、可愛らしい花の周りには柔らかそうな葉が広がって、それだけで華やかに見える。
土のテーブルの上に四つ目の櫛を並べてみても、どれも遜色がない。
菜穂子さんも仕上がりを確認するように指を這わせて、最初の櫛の所で手が止まる。
「文句を言ってるわけじゃ無いわよ。弟子が色んな事に挑戦するのは師匠として、見ていて楽しいもの……そうね、最初に作った花丸は私が貰おうかしら」
「いいですけど、装飾部分は自信がありませんよ」
「良いのよ。弟子が作り上げたものだから価値があるの。ピエロの仮面は銀色の子が持って行っちゃったしね」
早速、手にした櫛を髪に当てて、二度、三度と梳いている。
最初に作ったものだから少し不安はあったけど、悪くないと言ってくれた。
最後に二つのブラシを作った。
今回の旅行では持って来なかったけど、普段マコが使っているものと同じで、櫛と比べると隙間が広い。ブラシのイメージはマコが用意してくれたので、作るのは一番楽だったかもしれない。装飾はそれぞれ蝶々と竜胆を彫り込んだ。
「終わりました」
「終わったよ」
ゆっくりと石のペンを置くと、隣からもカチャリと音がする。
マコも同時に終わらせたようで、目が合うと満足そうに笑っていた。
僕達は魔法ではなく、学舎で習ったヴェストラの文字を、自分の手で櫛やブラシに刻み込んだ。
書きたいことを全部書くには時間も大きさも足りない。一言二言しか書き込むことは出来なかったけれど、少しでも感謝の気持ちが伝われば良いと思う。
「まさかそのまま渡すつもりじゃないでしょう?」
プレゼントをそのまま渡すのは価値が下がると言われて、天鵞絨のような光沢のある布が入った木箱を渡された。ボックスウッドで出来た木箱も上質で、今まで見た中で一番綺麗な装飾と、滑らかな手触りをしていた。
「ありがとうございます──」
「お礼はいいわ。時間が無いからすぐに転移するわよ」
「菜穂子さん、転移する場所って選べますか?」
「人混みの中は無理だけど、拓けている場所なら大丈夫よ」
「それじゃ、最初にわたし達が現れた、あの丘がいいです」
「諒真くんもそれでいいの?」
「はい。マコの希望通りでお願いします」
菜穂子さんは返事の代わりに、方円に描かれた図形を少しだけ変化させて魔力を送り始めた。
「ソーロール! フラトリス! セプテム! ニーレ! ケリス! 木人の皆! ダンジョンの生き物達! 皆の事は絶対忘れないよ! 今までありがとう!」
「みんな、お兄ちゃんのこと護ってくれてありがとう! 元気でね!」
僕が手を振ると、木人達も手を振り返してくれる。
手を持ち上げられないケリスは鼻から水を噴いて、小さな虹を作ってくれた。
意外な事にソーロールはおとなしく、フラトリスに寄り添って一緒に手を振っている。
セプテムは他の木人に糸を引っ掛けてフラフラと揺れ、それが手を振ってるように見えた。
土のテーブルではニーレが人形の姿になって、小さな手で懸命に振ってくれる。
ホゥホゥと鳴き声が聞こえるのは、フラトリスの頭を止まり木にしたミミズクだ。
湖畔には林にいた狸や猫、猿といった動物達の姿も目に入る。
僕の魔力で生み出されたり、召喚された生き物達だけど、地球に戻ったらこんなに好かれることはもう無いと思う。
寂しくなるけど、もう一度しっかりと彼らの姿を目に焼き付けて、お別れの言葉を紡ぐ──
──転移
ふわっと風がそよぐと、少し肌寒くなった空気が身体をブルリと震わせた。
閉じていた目を開けると、日が落ちかけているようで、辺りは日陰のように暗くなっていた。
「ここで良いかしら?」
薄暗くなって雰囲気は違うけれど、記憶にあるあの丘だ。
「ここで間違いないです」
「そう? 私達はここまで。後は自分達で行くのよ。土の動物達もいないから、魔法をかけてあげましょうか?」
「大丈夫です。そんなに離れていませんし、マコを背負うぐらいは慣れてますから」
ここからなら全力で走れば一〇分と言うところだろう。補助魔法があればもっと短縮できると思うけど、それはちょっと味気ない。
「それじゃ、ここでお別れね。私達の招待は楽しんで貰えたかしら?」
その質問にはさすがに顔を見合わせてしまった。
楽しい事もあったけど、辛い事やしんどい事もあった。
安全は確保されていると言われても、感情が納得しない事もあった。
今から思えばそれを含めて成長させると言うのが目的だったんだろう。
僕自身はこの招待でどれだけ成長したのか良くわからない。
だけど、ここで言える返事は一つだ。
「楽しかったです。予想していたものとは違ってましたけど」
「みんなと冒険出来て楽しかったけど、お兄ちゃんと一緒が良かった」
あのまま、僕とマコが協力して菜穂子さん達と魔法や力比べになると、恐らく何も出来ずに終わっていたと思う。学舎で習った程度の魔法では戦いで役に立つよりも足を引っ張る未来しか見えない。力があると言っても、子供の中で強いと言う程度、魔法で邪魔されてはただのお荷物だ。
魔法書をマコにだけ渡したのも、僕を味方に引き入れる布石だったんだろう。力がなければ求めるしか無い。最適な教科書があれば、同等レベルにすることも出来る。
菜穂子さんの言うように、最初から出会っていればもっと沢山の魔法や力を手に入れていたのかもしれない。だけど、学舎で皆と出逢った。比べることは出来ないけど、これはかけがえのないものだと思う。
「色々と考えて下さって、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
相変わらず、優等生ねと言って正面から抱き締められたけど、今度は素直に受け入れた。
僕の思うこと全てが正解じゃないだろうけど、少しは合っていると思いたい。
マコも口では不満を言っていても、やっぱり楽しかったんだろう。菜穂子さんに抱き締められても嫌がらず、自分からもしっかり抱き締めていた。
一つ残念だと思うのは、暗躍する側ではなく、僕も冒険する側に立ってみたかった。
けれど、そのお蔭で特別な出会いが出来た。
「諒子さん、マコや皆の事、見守って下さってありがとうございます」
「これ、お兄ちゃんと一緒に作った櫛。えっと……」
「おばあちゃんが使ってた櫛を真似て作ったんです。細かい所が違うかもしれないけど、良かったら貰って下さい」
マコが木箱の一つを諒子さんに渡すと、芍薬が彫られた櫛が取り出された。職人が作る物より質は落ちると思うけど、自分で可能な限り思い出して作ったものだ。使われなくても、この出会いの記念として持っていて貰いたかった。
「諒真、真琴ちゃん、ありがとう。大切にするわね。それから──」
両手で僕とマコを抱き寄せると、あの懐かしい声を聞かせてくれた。
「二人とも良く頑張ったわね。偉かったね」
その柔らかな言葉が体温と一緒に耳に入ってくると、身体から力が抜けていく。
目頭が熱くなり、暖かな肩で顔を隠すしかない。声を出さないようにするので精一杯だ。
背中を優しく叩く振動が心地良く、僕を弱くしていく。きっと今は情けない顔をしてるんだろう。
「お兄ちゃん、泣いてるの……?」
妹の前ではしっかりとした兄でいたかったのに──
「おばあちゃん……会いたかった……」




