誠実
……気づくと朝を通り越していて、どことなく不甲斐ない感じがした。
誰も俺を起こそうとしなかったのは、俺に気を使ったからだろうか。それとも、今日の進行に向けての準備が重なり、俺なんかに構っている暇はなかったのかもしれない。
いずれにせよ俺が寝坊したことに違いはない。午前中が準備時間であったことにすこし感謝しつつ、軽く伸びをしながら立ち上がって周りを見渡す。
ちょうど、向こうからこちらを見ていたエルと目が合う。彼女は俺に歯を見せて破顔し手を振っていた。戸惑いつつも会釈で返すと、彼女は別の用があるのかどこかへと行ってしまう。忙しそうだ、忙しいに決まっている。なにせ、今晩が決行の刻であるのだから。彼女の目の下に見えた隈でさえ、彼女にとっての勲章なのだろう。そう考えたところで、間抜けにも寝ていた自分に鑑みて恥じ入った。
「お嬢があんな顔をするのも小僧にだけだな」
「! ……シュウさん」
声のしたほうには巨体があり、思わず委縮してしまった。それもそのはずで、俺はこの男、評定衆のシュウについていい思い出がない。
「そんな顔をするな。なんだ、俺が怖いか」
「そんなことは!」
「わかりやすくて結構だ」
あまりにも気さくに話しかけられ、第一印象とだいぶ違う人間性に驚かされている。彼はもっと高圧的で、俺に有無を言わせないような人物ではなかったか。俺が彼に苦手意識を持ったのと同様に、彼も俺を見下していたのではなかったか。
「どうだ、お嬢とは」
お嬢……。エルのことを指しているのだろう。『魔公様』と呼んでいたのはきっと表でのことで、普段はそう呼んでいるに違いない。
しかし、どうだと言われても、どうもこうもない。はにかんで緩く回答を拒否した。
「不思議な奴だな。トシゴロだろう?」
「ええ、まあ……」
「お嬢は満更でもなさそうだが」
「……冗談でもやめてください」
すぐに自分が出すぎた真似をしたことに気づいたが、シュウのほうは「おー怖い」などと言って特に気にした風でもなかった。
「誠実というかなんというか、な」
「……それで、本題はなんですか」
「本題? 世間話にそんなものが必要か。ちょうど暇になったから来たってだけだ」
厄介な、と心の中で毒づいた。つまり、暇な時間とやらが終わるか彼が飽きるまで、俺は彼と下世話な話を続けなければいけないらしい。
べつに、だからといって俺にやることがあるわけではないが、どうしてもこの男とは心地よく会話できそうになかった。
「ところで、小僧はお嬢と結婚はするつもりはないのか」
「ですから冗談は……」
「いや、冗談ではない。政略的な問題としてだ」
政略的な問題。勇者は普通、国家兵器級の影響力を持っている。それを魔族陣営に縛りつけられれば、魔王の力に頼らずとも独立を保てるだろう。
勇者と魔族が結婚した事例が過去にもあることは知っている。その後の展開についても詳らかに残っていたりするが……。それはいまは関係のないことだろう。
「僕には妻がいます」
「魔族では一夫多妻は認められるぞ?」
「……それに食客である身の上で」
「その立場を変えるために提案しているんだろう」
「…………エルもどう思っていることか」
「お嬢にも、きっと小僧、お前しかいないはずだが」
「そんなことは」
「いや、……さっきも言ったが、お嬢があんな顔で笑っているのは見たことがない。先代が魔力暴走をしてからというものな」
エルの笑顔……。晴れやかで、顔をめいっぱい動かした飾り気のない笑顔。ふと、どきりとした自分がいた。
「お嬢が信を置いてるのもわかる。やっぱりお前は誠実な人間だ。あの日、急に俺の前に跪いたときはうさん臭く思ってはいたが、そのあとのお嬢の反応で確信した」
「はあ」
誠実……。俺が誠実? 自分の妻を置いてほいほい別の女についていく男が誠実といえるのだろうか。
「お前はお嬢を幸せにできるし、ゆくゆくは魔族全体も幸せにできる。俺はそう思っている」
「……」
「まあ、考えていてくれ。とりあえず今は目の前のことに集中しないとな」
「ええ……。そうですね」
そうとだけ言って、彼は背をむけて去ってしまった。
結婚。アンの時ですら実感がわかなかったのに、重婚なんてあり得るのだろうか? アンはどう言うだろう。
「ありえねぇよなあ」
エルが俺に向けている感情は恋愛のそれではないはずだ。それに変化するポテンシャルはあっても、そうすることは望まれたことだろうか。
きっと彼女は、俺が何か行動をとっても、断らない。断らないというより、断ってくれないだろう。俺に気を遣って。
そこまで考えて、エルの気持ちを忖度する自分が情けなかったので、とりあえず考えるのをやめた。




