駆動力
前回までのあらすじ
穴に落ちて異世界に来てしまったサブロー。すったもんだの末、自分の『妻』であるアンと決別し、死んで魔王になることを運命づけられた魔族の少女エルの陣営に属することになる。そのアジトが襲撃されてしまったことを受け、彼らは決断を強いられることになった。
「このアジトは、棄てる」
エルは数日考え込んだ。そして、度々相談に乗っていた俺にそう切り出した。
「……いいんじゃないでしょうか」
俺には結局、彼女のことは全くわからない。まして魔族のことなんて、この世界に来て読んだ本のぶんしか知らない。
だから、エルがそれでいいというのなら、それでいいと思うのだ。
「ですが、問題は……」
「評定衆、だろ?」
エルは、魔公として君臨してこそいるが事実上はそれ以下の諸侯による合議制で魔族の政治が運営されており、彼女自身は傀儡であるに過ぎない。彼女がなにを決めようが、評定衆の合意を得られなければなにをどうすることもできないのだ。
「それはオレがなんとかする。…………ツヴァイは、待っていてくれ」
俺はそれに頷いた。エルは一拍置くと、息をついて肩を下ろす。俺はその微笑みが、気苦労からくる疲れ切ったものだと見た。彼女以上に、魔族の未来を考えているものはいないような気すらした。評定衆も民衆も、どうして彼女を信用しないのか。――自分は彼女を信用している。その表現のために、俺も彼女に笑い返した。
その表情筋は、軽々と上がった。
それからしばらくと談笑したのちに、彼女は俺の部屋を去った。俺もエルも最後まで笑顔を絶やさなかったが、その裏では、いずれも並々ならない心境であったのは明らかであった。
扉が閉まると、すかさず俺はベッドに倒れこんだ。今日笑える制限時間を使い切ってしまったのだろう、ちっとも楽しい気分にはならない。思うのはエルのこと、そしてアンのこと……。うだつの上がらない男である俺が、二人もの女の子のことで悩むなんて滑稽だとどこか遠いところで感じた。それでいてなお、不思議とため息をつく気力も起きなかった。
漠然とした不安があった。俺は、端的にいうと困っていた。誰かを救うと誰かを不幸にする、そんな瀬戸際に立っているのだと否が応でも気がついている。もっとも、俺自身には人を救えるような、そんな力はないのだろうが。
思考の淵からふと現実に戻ると枕が濡れていた。自虐的に笑うと、俺はさらに一つ寝返りを打った。それだけでは。特に情勢が変わるわけではなかった。変わったのは、俺の目線がドアを向いているか壁を向いているかそれのみで、それがなにになるかというとなににもならない。
俺が今できることはなんだろうか? 本当にただ待つのみなのか?それが俺自身への疑問として深く存在していた。そしてそれは、ただ寝そべっているだけではないであろうことは、なんとなくだが理解していた。
俺にもっと力があれば、誰かを救えるのかもしれない。俺は自然と、力の象徴として自分の剣を投影した。体面的にエルに貰うことになった、俺の大切な剣である。抜群の切れ味は、いまの俺には身の丈に合っていなかった。
なんとなく身じろぐ。動きたいと身体が言っている気がした。居ても立っても居られない、とはまさにこのことなのかもしれない。とにかく何かをしたくてたまらなかった。そしてそのたびに、自分の無力さに辟易とした。自分には寝ているだけが相応なのだと、そう説得していた。エルも待っていろと言っていた。ならそれに従うべきだ。
――真意は?
俺は気づくと、剣を持って立っていた。エルは待っていろと言ったが、何もするなとは言っていなかった。くだらない大義名分だったが、ないよりは随分とマシだった。
ひとつ、息を吸う。そして吐く。鞘を握り直すと、くっと目線を上げてみた。壁だった。しかし壁にはひとつ、ドアがついていた。
戸惑いはあった。それが俺の足を床に縫い付けるようであった。俺はそれを一息に引きちぎる。
と、と。
身体はゆるやかにに上下する。丹田にある駆動力で関節を動かす。ノブだ、ドアノブだ。俺はエルの余熱が残るノブに触れた。力を入れる。引っかかる。逆だ。ドアを見返すと、ドアも俺を見ていた。今度は引いた。重厚な感じのするドアは初動をすると滑らかに開く。
詰まった息を通した。少し胸を張ってしゃんとした。小さな敷居をまたいだ。膝が動き、床に着地する。
俺にできることをする。今までエルの愚痴を聞いていたのが役に立ちそうだ。情報が、俺の武器である。
できることは、できる。そこに不安の介在する余地などない。俺はそう自分に言い聞かせると、部屋を背にして歩き続けた。
お久しぶりです。




