アジト
「いやはやまさか王侯貴族の方とはつゆ知らずとんだご無礼をしてしまい申し訳……」
「御託はいい」
バッサリと切り捨てられ、無沙汰になった口からはへつらうような笑いが出てくるのみになった。
魔王の娘である、と彼女――エルハイヤは言った。俺はそれが本当であるのか嘘であるのかは知らない。彼女が影武者ではないと証明するすべは持ち合わせていないし、そもそも、彼女自身がそう信じ込んでいるだけで事実はそうでないのかもしれない。しかし、そこを疑ってしまえば俺は何もかもを猜疑的な眼差しで見なくてはならなくなる。そこにいる人がその人である、ということぐらいはこの疑わしい異世界でも信じていたい。
気まずい沈黙が降ってきた。ぬかるんだ地面を踏む二つの足音は夜風の葉の擦れる音とセッションを奏でてむしろ心地が良い。
「……仲のいい奴らには、エルって呼ばれてるから」
「……? はあ。」
音に乗せるようにすっと響いた彼女の言葉だったが、俺にはその真意がわからなかった。これからアジトに向かうという話だったが、そこで『エル』と呼ばれているのが自分のことであるとあらかじめ教えておいてくれたのだろうか。
「な、ツヴァイ君?」
何かを察せ、と言わんばかりに仮面越しに覗かれる。ひきこまれそうなその双眸に、月明かりを反射する魔法陣が見える。不意にドキッとして、思わず目を逸らした。
「そ、そうですね……エル、さん」
「……ま、いいだろ」
無垢にニッと笑うエルハイヤ――エルは、俺に及第点をつけると少し歩幅を大きくして歩いて行ってしまう。俺はそれに小走りで追従しながら、ただ『仲のいい奴ら』という言葉の意味について考えていた。
それにしても……。こんなに深く、さしもの俺も初めて来た。木が密集して暗くなっているだけでなく、魔力までもが淀み、危険であることを示している。こんな淀みは墓地でリッチと戦ったときと同等程度かもしれない。
「――そういえば、魔王はもう復活していたりするんですか?」
まだまだそのアジトは遠そうだったが、この魔力量である。きっととてつもない魔族がいるに違いない。
「いや……。今はまだ復活させる前段階だ。オレがここにいる限り、魔王が復活することはないからな。安心したか?」
「いえ、えーっと、早く魔王が復活するといいですね……?」
「……そう、だな。その通りだ」
表情に陰りが見えた。なぜなのだろう? 魔王を復活させることは、俺の集めた情報によると魔族の悲願のはずだ。しかも、彼女にとって復活させるのは父親であるはずなのに、その復活を手放しに喜べないだなんてただならぬ事情があるに違いない。俺には、そんなことを切り込んで聞こうなんていう勇気はなかった。
あちこちに強そうな魔物がいる。エルを襲おうとしないのは、同族ゆえであろうか。
そういえば、俺はゴブリンを殺戮していたという経歴を持つ。そんなものを味方に引き入れてしまってよかったのか。
「……そうか、人間にとってはそういう認識か。確かに、オレらと魔物は体の構造は一緒だけど同族というわけじゃないぞ。ゴブリンについてもそうだ。っていうかむしろ助かってるぐらいだな」
確かに、人間とうさぎの体の構造も似ていると言えるが、では両者が手を取り合っていけるか、と言われるとそれはまた別の話だ。エルは、ここにいる魔物が大人しいのは魔族に対する畏怖があるからだという。エルがいなければもう魔物の腹のなかかと思うと恐ろしいと同時に、あれほどまでの巨躯をもつ魔物ですら魔族に屈服するというのだから魔族というものの強さを再認識させられた。
さらにしばらく歩く。だんだんと例の淀んだ魔力も濃いものになっていき、どれほどの魔力が集まっているのかと驚いていると、突然ひらけた場所に出た。
「ようこそ。ここが、オレらがアジトにしている拠点だ」
子供が走っていた。いや、子供だが、角がある。魔族だ。
一見普通の、強いていうなら規模が大きめで男性人口の多い村である。しかし、それが明らかに人間の村とは違うことは、生活している人々にはやはり角が生えているし、目の中には魔法陣が刻まれていることだった。いや、それだけでない。よく見ればその中には羽の生えたものや牙を光らせるものもいる。――確か、魔族にはふた通りの発生方法がある。一つが主流である人間のように子供によって増える方法。そしてもう一つが、魔物がいわゆる”進化”の果てに人間の姿をとったものである。あの羽の生えた魔族は後者なのだろう。
「……僕が学者だったら、ここは桃源郷ですよ」
「今でも十分、目が輝いてるけどな」
こうして魔族の集落を見る機会なんて、普通に生きていてあるはずがない。そりゃあ、異世界転移なんてこと自体そうそう起こるものではないが、その中でもこの光景は珍しいものだろう。
「オレの家に案内する。ついてきてくれ」
そういうエルの背を追いながら、俺はお上りさんかのようにキョロキョロと集落を観察していた。
「……あとで見て回る時間はやるから」
このとき、俺が内心で飛び上がったのはいうまでもない話である。
六十話(更新し忘れぶん)を追加してあります




