路地裏
私は、なんてことをしてしまったんだろう。
街角の暗がりで体育座りする。思い返すたびに、私は底知れぬ猛省の渦に翻弄されていた。
サブローは、馬鹿だ。あんなことを言ってしまえば絶対に、離婚届に名前を書いてしまうだろう。――そうなった時、私という存在がどうなってしまうのか、自分でも全くわからない。もしかしたら、その瞬間に私という個体がこの世界からかき消えてしまうかも知れないし、あるいは糸の切れたマリオネットのように、意識が途切れ、一種の死んだような状態になるのかも知れない。少なくとも、私にとってとんでもない代償が支払われるに違いないだろう。なにせ、私はサブローのために、よくわからないチートなんてものから作り出された存在なのだから。
しかしそれも私の恐怖ではあるのだが、そんなことなど本当にどうでもよく思えてしまうまでに、私は後悔をしていた。
サブローは、本当に馬鹿だ。とうの昔のことをずるずると引きずるのだから。
――私も、本当に馬鹿だなぁ。
売り言葉に買い言葉、つい言ってしまった。触れて欲しくないことなんて、わかってるはずなのに。
どうしてむしろ、言っても大丈夫だなどと思ってしまったのだろう? そんな自責が、私の目からとめどなく溢れ出してくる。
私は本当に、本当に。――失格だ。
溢れ出るそれを拭おうとしてハンカチを取り出そうとした、が。少し探っても見当たらない。
「あ……。部屋に置きっぱなしだ」
着替えの服や武器防具といったものは、ほとんどサブローの部屋に置いてきてしまった。気まずさから今更踵を返すわけにもいかず、どうしようかと途方にくれた。
今更、のこのこと帰るのは論外だ。あんなふうに突き放しておいて『やっぱり今のナシで』なんて言ったら、私ならその人の人間性を疑う。
なんであんなことをしてしまったのだろうとひたすらに思う。早急に謝罪したいとは思っているのだ。ただ、そうするだけの勇気が、そう、勇気がない。
行くあてもない。働いている食堂の店主ならば、頼み込めば泊めてくれるだろうか。あるいはハリーさんを頼みの綱にするのもありだろう。着の身着のまま、無一文で出てきてしまったことが悔やまれる。――いや、そもそもあの時に冷静に処理できていれば、そんな後悔をすることもなかっただろうか。
私だって、サブローに直してもらいたくてそう言ったというのに、これじゃあ本末転倒だ。
いますぐ地面に埋もれてしまいたい。そう思ってしまうほどに気が滅入ってくる。涙が、涙が溢れて干魃を掻き、そのまま地面に吸われた。
「じゃあ、どうすればよかったのよ……」
自問自答に答えはない。冷静になんて、私には到底無理だ。それだけじゃない、サブローの隣に立っていることも、私じゃ無理だったんだ。
そう考えると、自分の存在意義――【御見合い】とかいう名前のチートで呼び出された、妻としての存在を義務付けられた者としての意義が見つからなくなる。
それなしに、私はどう生きればいいのだろう? そんなこと、考えたこともなかった。
とにかく、食堂の店主に頼み込みに行こう。――頭はそう思っているのだが、体が、いや、心がそれを頑なに拒否する。何が悲しいのか一言で言えない哀しさの中でただ泣いていた。
「――どうしたんだい?」
聞き覚えのある声がした。どこか救われたような気がしたのは気のせいではないと思う。
私は膝に目をにじりながらただ、なんでもない、と、そう答えた。
ハリーさんはそれを聞くと少し、老人が孫を見るときのように笑うと「全く、まさに似た者夫婦だね」、と言う。
そんなことはない。サブローは私よりもはるかに努力を欠かないのは知っている。そりゃあ、目標のためにまさに死に物狂いで勉強していたのだ。脳筋な私なんかとは月とスッポンだ。
そんなことをハリーさんに言うと、ハリーさんは「やっぱり、似た者同士だ」、なんて同じ言葉を繰り返した。違いを言ったのに似ているとは一体どういうことだろうか。
「そんなことより、どうしてこんなところにいるんだい?」
「そ、それは……」
思考を遮って聞かれた質問。私は吃らざるをえなかった。いつかハリーさんに相談しようとは思っていたが、今すぐなんてのは流石に無理だ。もっと整理がついてからならあるいは話せたかもしれないが、今は全くの混沌。これをどのようにして言葉にしようか。
「……喧嘩を、しました」
「――そうかい」
ハリーさんは特に何も言わなかった。言葉を選んだから、全貌があえて見えないようにしたから、伝わらなかったのかもしれない。わざわざぼかして言うほど恥ずかしいのなら最初から言わなければいいのに。しゃくりあげながら、そんなことを思った。
「……私は、ねえ、どうすればよかったんですか!」
自分で言いながら非常に道理にかなっていない自覚がある。そんなの、ハリーさんに聞いても甲斐ないことなのに。事情もろくに話さずに、それを聞こうとするのは傲慢というものだ。
しかし、一度出た言葉は引っ込められない。奥歯を食いしばって、ただ涙しながらその答えを聞こうとしていた。きっと、ハリーさんだから、こんな質問でも答えられるとでも思っていたのだろう。
――だから。
突然、乱雑に髪を引っ張られる感覚!
顎を膝に打ちながら、顔がぐいっと上がる。
――顔が、近い!
「知らないねぇ、そんなこと」
嗜虐的な笑みを浮かべながら、それは愉快げに話す。
私の知っているハリーさんはこんなことはしない。すぐに、別人だと勘が囁いた。
顔に布が被せられた。――睡眠薬、だ、ろうか。意識が遠のく。
「ハリーさん……、いえ、どこの誰ですか、あなたは……」
しかし、その答えが私に聞こえることはなかった。
最後に、がくん! と体が落ちる感覚がして、すぐに思考が麻痺したからだろう。
――そこから先は、いまひとつ覚えていない。
「"ハリーさん"の真似をするのも、疲れるもんだねぇ」
男はそう呟くと、とても優しさを感じられない乱雑な動作で少女を担ぐ。
薄暗い路地裏で、仮面が、外れた。




