ラーメン
……夕方か。
そんなに寝ていたのか――って、夕方!?
がばぁっと体を起こす。
アンはいない。
「……やっちまった」
頭を抱えながら、おもむろに周囲を見回す。
斜陽が、窓から差している。
はあ、と吐きながら簡単に着替えをし、壁に立てかけておいた剣を手に取る。
僅かに錆びついた刀身が、西日に染まった。
――行くか。
こんな時間からは依頼は受けられまい。つまり、そういうことだ。
一狩り行こうぜ!である。
とは言ったものの、門番がまだ昼当番であろうから、そうやすやすとは出られないだろう。夜当番なら安給料で、それに時間が時間だから見逃して貰えるのだが、昼の当番がそうだとは限らない。この人達はある意味街の顔なので、管理もきっちりしているだろう。
仕方ない、飯でも食うか。
一人で外食というのも案外悪いものではない、と思う。
アンがどこに行ったかはわからないが、何も伝言の類はない。ならば、別に気にする必要もあるまい。
軽く鎧を着込み、そのまま門から出られるようにして、家を出る。
ギルドにも軽食処もあるにはあるのだが、何と無く顔を出したくない。
店の発掘とかっていうのも、乙だろう。
寝過ぎて凝った背筋を伸ばしながら宿を出て、そのまま大通りに合流する。
一応夕飯刻というのも相まって、肉や魚の焼ける匂いが、或いはスパイスの薫りが、道に充満していた。
特に、今これといって食べたいと思うものもないので、宿からさらにしばらく歩いた一軒の定食屋のような店に入ってみることとした。
黒ずんだ木製のドアをギイ、と開く。
――そして、邂逅した。
「……えっ、あの、何やってるんですか」
「そっちこそ、なんでこんなとこにいるのよ……」
見慣れた顔を、カジュアルなこの店の制服に収めたアンを、である。
「えっと、い、いらっしゃいませぇ。こちらのお席へどうぞ」
「あっ、ありがとうございます……?」
どこと無くぎこちないやり取りでそんな会話のようなものを交わしてから、彼女が案内した席に座った。
「何してるんですか、こんなところで」
「私? うーん、バレたら仕方ないわね。……バイトよ。ちょうど一月前くらいからね」
一月前、俺が夜狩りを始めたのと同時期になるのか。
俺だけだと思っていたが、アンも頑張っていたらしい。
「それは……ご苦労様です。えっと、注文は何かアンのお勧めをお願いします」
「わかったわ」
店員としてはいささかどうなのだろうという応対をしてから厨房に入っていったアンを見送り、暫時待つ。
再びアン自ら奥から底の深い器を持ってきたのを俺は見て、そしてその内容物に目をやり、気がついた。
ラーメンであった。
「……この世界にもあるんですね」
「無かったわよ、私のオリジナルってことになるわね」
「アンが作ったんですか?」
「このくらい作れるわよ。舐めてるの?」
「いえ、滅相も無い」
しかし、ラーメンか。非常に懐かしいな。
お勧めと聞いてこれを作ってくるとは、アンもわかっていらっしゃる。
自然と口角が上がった。
「――頂きます」
塩ラーメンであった。匂いが非常に、そそる。
湯気が鼻頭に極小の水滴をしたたらせる。目が潤っているのも、そのせいだろう。きっと。
丹塗りの箸――これもこの世界ではなんだかんだ今まで見たことがない、きっとアンの自作だろう――を手にし、冬明けに最初に自転車に乗るような、そんなぎこちなさで麺を5、6本つかみ、上に引く。
縮れていた。僅かに粘性のある表面に油が纏われ、独特の光沢を醸し出している。
鼻腔をくすぐる、出汁の濃厚。
放射熱が唇に触れ、神経が催促する。
――是を入れよ
天啓が聞こえる、そのまま俺は勢いのままに箸のハンドリング、スナップに従い動く先端に合わせ口を開き、そのまま少しを口唇に挟めば、頰の筋肉をフルに生かし、多少撥ねるのも厭わずに、騒音とともに吸い上げた。
無言にて、咀嚼。
「……うまい。」
口をついて出てきた一言。
舌を撫でる塩の風味。しかしそれは決して大味でなくむしろ日本人的な繊細さを孕み、それでいて単調ではないのは出汁のバックアップがあってこそだろう。
噛む。麺はふやけず、モチモチとした食感である。噛むほど、小麦本来のしっとりした味が引き立ち、後味を整えて行く。
急くように二口、三口、汁を飲み干し――
「……ご馳走様でした!」
ごとり、と容器を置きながらそう言った。
アンには、この言葉を贈りたい。
俺は、ラーメンの作り方なんて、それこそお湯を入れて3分しか知らない。つまり、同時にアンもそれしか知らないということになる。ゼロから、断片的な知識のみで、かくなるものを作ったのである。
賞賛、である。
おもむろに立ち上がって、定食屋を後にした。
今日は、頑張れそうな気がする。
宵の明星が、瑠璃の空に輝いていた。




