交錯
リッチ。確か、ゴースト系列の魔物の中でも上位の種族だったはずだ。
その名称は当然お金持ちという意味ではない。確かlich、古代英語で死体という意味だったか。
転じてアンデッドの王とか呼ばれたりしているわけだが……。こんなところにリッチ? 場違いにもほどがあるだろう。
残念だが俺はあまりこいつのことを知らない。だが小耳にはさむ程度にその強大さ――例えば、真っ向勝負ではSランク冒険者十数人の大規模パーティを壊滅させる実力を持つとか、そういったことは聞いたことはある。
「嘘だろ…… こんなところで…… 思ってもみてねぇよ」
ジョニーさんは暫く立ちすくんでいたが、急に思い立ったように続けた。
「――いいか!奴は恐ろしいほど強い!攻撃も通らねぇし、俺らなんかじゃあ足止めの『あ』の字にも及ばねぇ!わかったら逃げろ!俺の村の二の舞にするな!」
――暫く、俺を含めた冒険者たちは呆然としていたが、ジョニーさんのあまりの鬼気迫る態度に我を取り戻して避難を開始した。
いや、これはもはや避難なんてものじゃない。パニック状態になり、恐慌に身を任せてどこぞに走り去っていくだけだ。
ハリーさんのように平静を保てている者は、それを誘導していっている。
――そして、中には俺のように動けないものもいた。
「サブロー! 何やってるの、逃げるわよ!」
腕をしきりに引くが、まるで俺の足がネオジム磁石にでもなって地球とくっついてしまったみたいに、俺はピクリとも動けなかった。
「お前ら、何をしているんだ!早く、ひな――ヴっ」
しきりに避難を促していたジョニーさんの躰が、跳ねた。
――いや、何かが当たったんだろう。その何かは、まるで夜霧のように消滅し、後には血が流れ。
俺は、ほぼ反射的にそれが飛んできた方向に。
――遠くに、リッチがその身を見せた。
「サブロー君も逃げるんだ! 殿ぐらいはできる実力は僕にもあるはずだ。わかっているだろう、僕は、Cランクだから」
ハリーさんは、どこかもの哀しげな表情でそう言う。
ハリーさんだってわかっているんだろう。この魔物が、どこで生まれ、どのような経路を通ったのか、ぐらい。
ハリーさんが、その身を犠牲に俺を逃がそうとしていることぐらい、すぐにわかった。
だから。
「ハリーさん。僕は、逃げます」
「そうか、それは良かった。それじゃあ――」
「ですが!」
だが、ここだけは、譲れない。
「逃げるのは、ハリーさんも、一緒……です」
その目をじっと見る。合計四つの視線が交錯していく。
「……君には、心底うんざりさせられるよ。いいかい、君は冒険者としては、落第、だよ」
――それは。
「まあ、世界には得てして特例というものもあって、ね?」
――今度は、アルカイックスマイルが交錯した。
「アンは、逃げてください。アンにまで死なれるのは辛いので」
「――はあ。サブローは全く、馬鹿じゃないの? この状況で私が逃げる、って言えるはずがないじゃない」
「ですが、その――」
さらに反論する気で口を開くと、アンはそのすらりとした手を口に当て、ハリーさんの目を憚りながら
「サブローが死んだら私だってどうなるかわかんないじゃない。サブローが死んだ時に突然消失ポン、だったら誰より私が納得いかないわ。それなら一緒に死んだほうがマシよ」
「死ぬ死ぬ、って。……何も死ぬと決まったわけじゃないんですから」
「何よ、ほとんど死ぬようなものじゃない。――まあ、こうでも言わないとサブローは、ね……」
最後はボソッと言いすぎて聞き取れなかったが、アンの覚悟、のようなものも聞けた。
敵に気がついていれば、あの距離からの狙撃は避けるに易い。そうしながら、リッチを倒す――には至らずとも、一旦撤退させるような方策を組み立てていく。
しかし、考えれば考えるほど――
いや、やめよう。それは、考えてもかいないことだ。
魔法で撹拌できることはゴーストのそれと一緒だろう。ただ、それで消滅できるかわからないし、場合によってはその力の助長をする羽目になってしまうことは想像に易い。
しかし、その下位存在であるゴーストですら物理攻撃が効かないのだ。【延爪】チートは言うまでもない。【燃費下落】チートも、敵自身が燃えるわけじゃないから却下だし、【絶対落とし穴】はどう使えと言うのか。
足止め程度には使えるだろう。そうなると24時間は敵の行動は制限できる。
――しかし、俺が同時にその穴の中に入ってしまうことが懸念だ。正確には、そうなった時に俺が殺されれば、チートが解除されすぐに逃げられる危険もあるということである。また、それ以前にどのように穴に落とすのか。敵は浮いているのだ。
そう考えると、【絶対落とし穴】も建設的な案ではないように思える。
――何より、粋がってこんなところに残ったはいいが、俺とて死にたくないのだ。そんな、自分の命を代償にうんだらっていう、誰ぞの妄想の中で存在するような聖人君子では、ない。
もうはや、後悔の色が滲んできた。




