言葉の綾
紙――『婚姻届』は、光となって消えてしまった。
「これで、正式に結婚の手続きが完了、と。それで? 何か聞きたいことはある?」
一仕事終えたように手を打ちながら彼女が聞く。
聞きたいことがあるどころか、聞きたいことだらけなんだが……
俺は指を三本立てた。
「一旦…… 3つ聞かせてください。すいません。まずは、あなたの名前を……です」
「わかった……、ズバリ、吾輩は妻である! 名前はまだない!」
「……」
「……」
茹でダコのように耳まで真っ赤にした彼女。
まずい、こういう時の対処法を知らない。
しーんとした空気が流れた。
「ゲッホゲッホ、すいません。えーっとじゃあ、名前は後で考えましょうか。あと、2つ目ですが、あなたは僕のことをどのくらい知っていらっしゃるのでしょうか」
下手くそな咳の演技をしつつ話を逸らした。体感で1500メートル走より体力を使った気がする。
――そして今の質問だが、これが案外重要である。彼女にどのくらい知られているかは、知っておいたほうが何より精神衛生上いいだろう。
「どのくらい、って…… 全部、かな」
「全部。」
精神衛生上良くなかった。末恐ろしい。
「元々はサブローの潜在的な並列人格だからね、知らないことなんて一つもないのよ」
「並列人格。」
やばい。ついに何も分からなくなってきた。
並列人格って…… 中二病じゃないんだから。
「んー、信じられないなら、適当に質問してみてよ」
言うので、俺は適当に質問を考えてみた。
「……僕のレベル」
「13でしょ?」
「当たり、です」
「このくらい当然よ」
ふふん、と鼻を鳴らす彼女に、俺は間髪入れず次の質問をした。
「……じゃあ、僕の敬愛する歴史上の人物」
「最上義光じゃなかったかしら? 前にその狡猾な素晴らしさっていうのをを語ってた記憶があるわ。正直私も含めてドン引きだったわね」
「正解ですので忘れてください」
まさか俺の黒歴史まで掘り起こしてくるとは。なんてことだ、忘れかけていた記憶をも知っているのか。
――ん、待てよ。
「……というか、僕の思考は読み取れないんですね」
「うん、それはサブローが私の考えを知らないのと一緒ね」
「僕の全部、とおっしゃいませんでしたか?」
「言葉の綾よ」
やはりか。だって思考が分かっていたら『Foooooo! 義光公ぉぉぉぉぉぉ!!!』って脳内で叫んでいた話もする筈だ。……いや、されたいかされたくないかで言ったら圧倒的にされたくないが。
「――なるほど、ではすいません、3つ目です。……僕を、どう思いますか?」
その、俺の質問に彼女は初めて考えるそぶりを見せてから、言った。
「うーん、一言で言うとね……」
ごくり、と喉がなる。
「そうね、『バカ』なんじゃない?」
「バカ。」
思わず反芻してしまう。バカ、だと? それこそ馬鹿を言えという話だ。俺は3浪こそすれど通っていた高校は一流の進学校だったと自負しているし、勉強だって他を凌駕するほどにはした筈だ。魔法だって、初めて触れた概念だというのに、ほんの半年で攻撃魔法まで習得したんだぞ。その俺をバカ、だと。
「だから、そういうところがバカって言いたいの」
……意味がわからない。
「プライドが無駄に高いし、そのプライドが変なベクトルに向いてるってこと。サブローが頭いいのは他ならぬ私が認めるけど、なんていうんだろう…… サブローって考え過ぎなのよね」
「考え過ぎ。」
「例えば今。どうせ私が不快にならないようにー、とかって思って敬語で話してるんでしょ? 私としては別にどうやって話されてもいいの。まあ……無理に、とは言わないけどね」
昨日、ハリーさんにも考えすぎだと言われた。そんなにだろうか? わからない。
「あ、ごめんね、サブローにとっては初対面なのに。こんなに馴れ馴れしくしちゃって」
「あ、いやあの、頼んだのは僕なんで……」
「だーかーらー。はぁ、別にいいんだけどさぁ」
呆れたように肩をすくめている彼女に、俺はもう一度口を開いた。
「……質問ばかりですいません、本当にごめんなさい。これで最後です」
「さっき3つって言ってなかった?」
「それは、言葉の綾――」
ここで、言葉に急ブレーキをかけた。
……しどろもどろしているのが自分にもわかる。
それでも、ぎこちないだろうが一生懸命に破顔させて、言った。
「言葉の綾、だ」
言った。言ってやった。
彼女もきょとんとした表情を浮かべているが、同じく笑み返してくれた。
「――そうね、言葉の綾」
純粋な笑顔、かもしれない。もしかしたら単に適当に同調しているだけかもしれない。
「ほら、また余計なこと考えてる」
「すいません」
「あー、また元に戻っちゃった。……それで? 質問って?」
……距離感が掴みやすい。並列人格というのだからだろうか。
俺があまり敬語以外で話すのに慣れていないことも、慣れようとしていないことも、その理由も知っているからだろうか。
わからないけど、初対面の人にこんなに心を開いたのはいつ以来だろうか。
「えっと、非常に失礼を承知でお聞きしますが…… おいくつですか?」
「本当に失礼ね」
「すいません」
「19よ。ちょうどサブローが3歳ぐらいの時に派生した人格ってことになるわね。この頃はたくさんそういうのができやすい時期なの。普段はみんな押さえつけてるから出てくることはないんだけどね」
人格を押さえつける。それは人権の否定の一種じゃないのか?
「とは言っても、潜在並列人格っていうのはもっと朦朧としてるものだから、自我なんてそれこそ私みたいに外部から力が働かなきゃ出てこないわよ。まあ、それ自体が相当なイレギュラーなんだけどね」
すかさず彼女がフォローを入れるが、まだイマイチすっきりしない。
「ま、そのうち考えればいいわよ。そんなことより、そろそろ時間じゃないの?」
あっ。
もうギルドに行く時間じゃないか。しかし、はたしてこのまま彼女を置いていっていいものか。
また考えている。優柔不断だと笑われてしまいそうだ。
人の顔が直視できない。
金魚のように口をパクパクさせていたが、最終的に俺は、俺にとっての一世一代の大勝負にでた。
「もし、もしよろしければ、僕と……僕と冒険者、なんていうのは、いかが、でしょうか」
再びきょとんとする彼女。
「ええ、もちろん!」
顔は見ていなかったが、心から是と言ってくれているような気がして、嬉しく感じた。




