第97話 観察という言葉
(翌日の朝 グランツィリア大聖堂内の一室)
エイリフたちに貸し与えられた部屋は、窓が一つだけの質素な空間だった。石造りの壁に余計な装飾はなく、テーブルと椅子が数脚。書類を広げるには十分な広さだった。
エイリフは椅子に腰掛けたまま、テーブルの上に書類を並べていた。
「この後のエーレンバルト殿への聞き取りは、私とハンコで行います。レイフ、君はリュート・アーデンの同級生で王都に残っている者を確認しなさい。全員である必要はありません。数名でよい。聞き取りが可能な者を選定し、調整を」
「承知しました」ソレンセンは短く答え、その場を後にした。
部屋に残ったのはエイリフとハンコの二人だった。ハンコは書類を整えながら羽ペンの具合を確かめた。二人とも黙っていた。
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しばらくして、扉が叩かれた。
「失礼いたします」
ゲオルグが入室した。姿勢は整っていたが、顔には隠しきれない緊張があった。エイリフは無表情のまま対面の椅子を示した。
「エーレンバルト殿、こちらへ」
促された椅子に腰を下ろした瞬間、少し離れた位置でハンコの羽ペンが静かに動き始めた。
「学院からの報告書では、あなたがリュート・アーデンの指導担当とあります。相違ありませんね?」
「はい。私が担当しておりました」
「精霊暴走事件の際、あなたが対応に当たっています。当時の状況を詳述してください」
ゲオルグは椅子の上でわずかに重心を据え直した。
「暴走した精霊術を鎮圧するため、私は詠唱を行いました。しかし精霊術は発現しませんでした。その後、アーデンが何らかの働きかけを行い発現させた精霊術で、暴走した精霊術から生徒たちを守りました」
「リュート・アーデンの働きかけとは、具体的に何を指しますか?」
ゲオルグは口を開きかけ、一度閉じてから答えた。
「詠唱は確認できませんでした。ただ、精霊が応じなければ精霊術は発現しません」
ハンコの羽ペンが止まらなかった。
「その際、他に気になる点はありましたか?」
「アーデンの行動についてです。他の生徒が避難する中、アーデンは動きませんでした」
「恐怖による硬直ですか?」
「そうは見えませんでした」一度目を伏せ、言葉を選んだ。
「——観察していた、というのが近いかと思います」
エイリフは次の質問に移るまで、ひと呼吸置いた。その間、ハンコの羽ペンだけが動いていた。
「卒業試験の記録に、リュート・アーデンの剣に精霊的現象が確認されたとあります。この記載はあなたによるものですか?」
「はい。私が確認したため記載しました」
「詠唱による精霊術ではないと判断した根拠を述べてください」
「詠唱の所作がありませんでした。学院で教えている精霊術でもなく、過去の記録にもあのような現象を起こす精霊術は存在していません。通常の精霊術とは異なると判断しました」
「指導についてお聞きします。あなたはリュート・アーデンに、精霊術の方法を改めるよう指導していましたか?」
「はい、繰り返し行いました」
「その結果はどう判断しましたか?」
「ある時期から、詠唱と発現のズレが確認できなくなりました。そのため指導は区切りとしました」
「改善が見られた、という理解でよいのですか?」
膝の上で指がわずかに動いた。
「……そう判断しました。ただ、卒業試験での現象を見て、その判断が正しかったかどうかは、わかりません」
ハンコの羽ペンが一瞬止まり、また動いた。
「最後に確認します。学院の記録以外に、アーデンについて何か報告した事実はありますか?」
今度は少し長く沈黙した。
「……はい。シュタイナー司教様に、都度報告しておりました」
エイリフの表情は変わらなかった。
「報告書はルーフェン司教が保管している、という認識でよいのですね?」
「はい、シュタイナー司教様——ルーフェン司教様の下にあると認識しております」
「了解しました。以上です。協力に感謝します」
ゲオルグは立ち上がった。一礼する直前、ほんの一瞬、表情から力が抜けた。エイリフは、それを見ていた。何も言わず、ハンコが記録を書き終えるのを待った。ゲオルグは、表情を引き締め直し、一礼して退室した。
扉が閉まった後、エイリフは書類に目を落としたまま動かなかった。窓の外では、王都の昼が静かに進んでいた。
「ルーフェン司教への聞き取りを、最後に行います」
ハンコは無言で頷き、記録に追記した。エイリフの中ではすでに順番が整っていた。そこにルーフェンが加わった。午後のレイフからの報告を、エイリフは静かに待っていた。




