第98話 正しくない、という言葉
(グランツィリア大聖堂内の一室)
一週間後、レイフが調整したリュートの同級生のうち、最初に呼ばれたのはラインハルトだった。
呼び出しの連絡が届いた時、ラインハルトは用件の見当がついていなかった。それでも部屋に入ってきた彼の足取りに迷いはなかった。
「ラインハルト・フォン・ハルトヴィンです。お召しにより参りました」
エイリフが対面の椅子を示した。ラインハルトは一礼して座った。
「あなたがリュート・アーデンと精霊術学院の同期であることに相違ありませんね?」
「はい。四年間、同期として在籍しておりました」
「リュート・アーデンの精霊術について、あなたの認識を述べてください」
視線を前に向け、ラインハルトは答え始めた。
「精霊術の発動において、詠唱から発現までのタイミングが正規の方式と一致していませんでした。それを複数の場面で確認しました。詠唱に対して発現がわずかに早かったり遅かったりと、安定しておらず、詠唱による発現とは考えにくい場面がありました」
「その点を、あなたは本人に直接伝えましたか?」
「はい。複数回にわたり、教会の定める方式に従うよう伝えました」
「その結果はどうでしたか?」
「ある時期から、詠唱と発現のタイミングのズレが確認できなくなりました。そのため、是正を求めることも止めました」
「あなたはリュート・アーデンを、どのような人物と見ていますか?」
一瞬、呼吸を整えた。
「確信を持って誤った道を歩んでいる人物です。悪意はないかもしれませんが、それは問題の性質を変えるものではありません」
「卒業試験の記録には、剣に精霊術的な現象が生じたとあります。その場にいた者として、気づいた点があれば述べてください」
「アーデンは、戦闘中、しばらく動きませんでした。他の者が動く中で、一人だけ止まっていました。なぜ動かなかったのかは分かりません。その後、突然前に出てきました。その時に剣の現象が起きました」
「以上です。協力に感謝します」
ラインハルトは立ち上がり、一礼した。そのまま扉に向かった。取っ手に手をかけた時、視界の端に、エイリフがすでに次の書類に目を落としている姿が映った。
ラインハルトの足が止まった。
「……一点、よろしいでしょうか?」
「どうぞ」
「アーデンは、悪い人間ではありません。ただ、正しくない。それだけです」
エイリフは答えなかった。ハンコの羽ペンだけが動いた。
ラインハルトは一礼して部屋を出た。
四日後のヘルムートは、ラインハルトより言葉を選ぶのに時間がかかった。それでも結論は同じだった。さらに三日後のカスパーは、最後まで視線を合わせなかったが、語る内容はやはり変わらなかった。記録は、そのたびに、同じ内容のまま積み上がった。
——————
カスパーの聞き取りの翌日、ルーフェンが呼ばれた。窓から差す光が午後のものになっていた。
部屋の扉が開き、ルーフェンが姿を見せた。
「ルーフェン司教にございます」
手には書類を持っていた。エイリフが椅子を示すと、一礼して腰を下ろした。
「ルーフェン司教。エーレンバルト殿から、リュート・アーデンに関する報告書をあなたに提出したと聞きました。相違ありませんね?」
「はい。相違ありません。こちらです」
持参していた書類をエイリフに差し出した。渋る素振りはなかった。エイリフはそれを受け取り、一通り目を通した後、ハンコに渡した。羽ペンが動き始めた。
「その報告書を大司教猊下に提出しなかった理由を述べてください」
「段階的な指導の一環として受け取っておりました。受領当初は、司教としての指導の範囲内で対処可能と判断しています。その後、詠唱と発現の齟齬は確認されなくなりました。指導の成果として改善と見なし、報告の保留を継続しました」
「改善したと判断しながら、報告書を破棄しなかった理由は何ですか?」
ルーフェンの膝に置いた手が、ほんの一瞬だけ固まった。
「記録として保持することが適切と判断しました。改善が見られた後も、卒業試験において現象が再度確認されました。その時点で改めて判断が必要と考えておりましたが、その前にエイリフ審問官が来訪されました」
「承知しました」
「リュート・アーデンについて、あなた自身の見解を伺います。どのような人物でしたか?」
「教義と秩序の観点から、正規の精霊術方式から逸脱した生徒として、手順に従い是正を試みてきました。一時は改善と判断した時期もありましたが、卒業試験での現象を受けて——」
一拍の間があった。
「——最終的には、私の権限の範囲では収まらない存在と判断しました。大司教猊下に委ねるべき事案と考えています」
「それが、あなたのリュート・アーデンに対する最終的な見解でよいのですね?」
「……はい」
ハンコの羽ペンだけが動いた。
「以上です。協力に感謝します」
ルーフェンは立ち上がり、一礼して退室した。
扉が閉まった後、エイリフはハンコから報告書を手元に戻し、しばらく目を通した。
「これで王都での調査は終了です。明日、ブランデル領へ向かいます」
ハンコは無言で頷き、記録を閉じた。
――――――
その夜、レイフは一人、部屋に残っていた。審問調査の記録はすでに片付けられ、机の上には一枚の紙だけが置かれていた。几帳面な文字で、迷いなく書き進めていった。書き上げた紙を丁寧に畳み、懐にしまうと、立ち上がった。
外には初夏の夜が静かに広がっていた。
――――――
(グランツィリア大聖堂 前広場)
翌朝、大聖堂の前でエイリフたちの出立があった。
グレゴールとルーフェンが見送りに立っていた。六月の光は穏やかで、石畳に柔らかい影を作っていた。
「大司教猊下、ルーフェン司教。ブランデル領へ向かうため、これより出立いたします」とエイリフが告げた。
「エイリフ審問官、昨日までご尽力いただき感謝いたします。ブランデル領での調査も、神の御心のままに進まれんことを。我らも引き続き、必要な支援を惜しみません。どうかご無事の旅路を」とグレゴールが返した。
「エイリフ審問官、ブランデル領までは距離がございます。案内役として、この者をお付けいたします」ルーフェンが灰青色の瞳をした案内人を紹介した。案内人は無言で一礼した。
エイリフはルーフェンへ向けて「ご配慮、感謝いたします」と短く言った。「どうか、お気をつけて」とルーフェンが返した。
「では、参ります」
それだけを言い残し、エイリフたちはブランデル領に向けて静かに出立した。
その背中が遠ざかるのを目で追いながら、ルーフェンは一息ついた。見送りとは言えない何かが、その横顔に浮かんでいた。




