第93話 星空のかたちに
(リュート視点)
この日はアリシアと一緒に、スーリィに精霊術を教えに来ていた。
丘に着くと、風が一方向から来ていた。
草が、一斉に同じ方向へ傾いていた。麓より空が広い。五月の空は、濃い青が広がっていて、雲が少なかった。
三人でここに来ると、あの夜の星空がよぎる。スーリィが「スーリィ星」と呼んだ星は、今日も昼の空の向こうにあるはずだ。
「よし、じゃあ二重発動を教えていくぞ」
「お願いします」
スーリィの声に力があった。
「とはいえ、まずは、今の状態を把握したいな」
「そうね。スーリィ、一度普通の精霊術を見せてもらえない? 属性は何でもいいけど、しっかりと精霊を感じてやってみて」
スーリィが目を伏せた。背が伸びて、立ち姿が少し変わっていた。集中に入るとき、ほんの少し顎が下がり、呼吸が浅くなる。それが前よりずっと自然になっていた。
手のひらの上に、水球がふっと現れた。
揺らぎがなかった。二年前の夏に見たものより大きく、形が安定していた。精霊たちは、スーリィに向かって軽やかに応じていた。それはあの頃と変わらなかった。ただ、精霊の寄り方が、少し違っていた。以前よりも静かに、という感触があった。余分な力がなく、精霊が応じるのを、待てるようになっていた。
「前より、ずいぶんよくなったと思うよ」アリシアが言った。
「精霊の反応は感じているか?」と聞いた。
「えっ? うん。そうしないとうまくいかなかったから」スーリィが少し首を傾けた。
自然にできていた。それだけで、少し嬉しかった。
「これなら、コツを掴めば二重発動はできると思う」
「ホント? やった」
左手に炎を、右手に土の塊を同時に出した。「目標はこれだ」と見せた。それから炎を石の上に重ねた。「イメージはこれだ」と言い添えた。炎の中で佇んでいる石の形が、しばらくの間二つの属性の境界を保っていた。
「これは私たちが練習したときのイメージだけど、絶対これじゃないといけないわけじゃないわ。やりやすいもので大丈夫よ」アリシアが補足した。
「そうだな。慣れれば組み合わせも広がる」左手に風の渦を、右手に水の輪を出してみせた。「二つの精霊に同時に声をかけながら、同時に耳を傾ける感じだ。どちらかに気が向いた瞬間に崩れる」
「うん。やってみる」
スーリィが瞼を閉じた。何かをかなり具体的に描いているのがわかった。それは指先の微妙な動きと、呼吸のリズムに出ていた。
精霊が応じた。光と闇の気配が同時に揺れた。スーリィの前に、影が静かに広がり、その中に光の点が現れた。
「二つの属性を、最初から両方出そうとしていたのか?」
「えっ? そうだよ。お兄ちゃんたちが見せてくれたのを思い返してだいぶ前にやってみたんだけど、うまくいかなかったから、それからいろんな属性で練習してた」
「はは」という声が出た。コツを伝えただけでここまでできるとは思っていなかった。
「もしかして、これって星?」アリシアが聞いた。
「うん。三人で見た星空をイメージしたの」スーリィが笑顔で答えた。
「じゃあこれはあのスーリィ星か」と笑って言った。
「うーん、そうなるかな」
スーリィが笑った。ふと、間が生まれた。
風の向きが変わって、草の傾きが一瞬乱れた。空の青と丘の緑が同時に揺れた。
「それで、今のなんだけど」アリシアが続けた。
「影の方が早かったわね。星空のイメージだから闇属性をより多く意識してしまって、先に発現したんだと思うわ」
「そっかぁ。じゃあ、もう一回」
スーリィがまた瞼を閉じた。静かに息を整え、集中に入っていった。アリシアは、その様子をどこか楽しげに見つめていた。
しばらく、誰も声を出さなかった。空気が静かに落ち着いていくのがわかった。
静けさの中で、精霊が動き始める気配がした。
精霊術が発現し、光の点がさっきよりいくつか増えていた。
「さっきよりよくなったけど、まだ影の方が早かったな」
「そっかぁ、星を増やせばいいかと思ったけど、だめか」
「大丈夫よ、よくなってるから」アリシアが励ました。
「そうだな。俺だってできるようになるまでだいぶかかったんだ。ゆっくりでいいさ」
「そうね。私もリュートも、先生みたいに精霊のバランスまでは見られないからね。その先生だって繰り返すしかないって言ってたんだから、時間をかけるしかないわ」
「そうなんだ。わかった」
スーリィがもう一度、瞼を閉じた。
この日、二重発動は完成しなかったが、まだ初日で、時間は十分にある。スーリィが影と光を丘の上に広げるたびに、あの夜の星空の形が、ここに重なった。
日が傾いていた。影と光の境目が、丘の草の上をゆっくり横切っていった。




