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隔絶した世界に転生した親友と  作者: まーくん


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第7話 土と絆

(リュート視点)

 

 森の入口が、ざわめいていた。


 館の窓越しにガレス様が勇ましく声を張るのが見えた。


 ブランデル領兵団三十人と、村を守りたいと集まった有志二十人が、森へ続く道に整列していた。その脇に精霊術師が数人、列を崩して立っていた。杖を両手で抱えていた。その手が、揺れていた。顔も、いつもより白かった。


 ガレス様が列の前に立った。声を張った。


「皆、よく集まってくれた。これはブランデル領の戦いだ。家族を、仲間を、この土地を守る戦いだ。私も一緒に前に立つ。怖くない奴はいない。それでも奮い立ち共に立ってくれることに感謝する。行くぞ!」


 兵たちが応えた。有志も続いた。士気が上がるというのはこういう事か、と俺は窓の内側から思った。声に熱が混じった。足音が揃った。


 精霊術師たちはうつむいたまま、口元だけが動いていた。詠唱の練習をしているのか、それとも別の何かを唱えているのか、俺には見えなかった。


 そのまま、一団は森の入口に向かった。


――――――


 館の中は人の熱でいっぱいだった。


 召集された者たちや避難してきた領民が身を寄せ合い、互いの名前を呼び合い、子どもが泣いていた。スーリィが母さんの腕の中にいた。兄さんが人の間を縫って動いていた。エリオット様が扉の前で誰かに指示を出していた。


 俺は窓際に立った。


「リュート、危ない、こっちに来い」兄さんが声をかけた。

「大丈夫」と俺は言い、動かなかった。


 窓の外に、精霊がいた。庭の土の上に、小さな光の輪郭が浮かんでいた。


「どのくらいの規模だ?」と俺は声を落として言った。


《□□》


 感触が来た。数の感覚——百五十から二百、という量感が流れ込んできた。


「いけるか?」


《○○!》


 当然だ、という感触が来た。力強く、迷いがなかった。


 俺はその感触を受け取って、少し間を置いた。


「そうか……頼めっ」


 窓越しに、アリシアの姿がガラスに映り込んだ。マリナ様の隣に座って膝の上で手を握り合わせていた。母さんの腕の中でスーリィが小さくなっていた。


 また誰かが震えるのは嫌だ、という感覚が来た。どこから来たのかわからなかった。でも確かにそれがあった。今度は大丈夫だ、わかっている。


 今度こそ、俺が助ける。


 精霊を見た。「いや……行くぞ」と小声で言った。


 走り出した。


「リュート!」と兄さんが叫んだ。扉を開けて外に出た。


――――――


 目に映った光景は、すでに崩れかけていた。


 森の入口から村へ続く道に、人の列が乱れていた。最初は整っていたはずの防衛線が、波のように押され続けて後退していた。倒れた者がいた。走って戻ってくる者がいた。精霊術師たちの姿は、いつの間にか消えていた。ただ、道端の踏み潰された草花の上に、へし折れた杖が一本、村の方を向いて転がっているのが見えた。


 俺は木々の間を抜けて走った。土の上に精霊の気配が静かに流れてきた。


 戦線の後方まで来た。


 前方で、父さんとガレス様の姿が見えた。二人でレイジベアを相手にしていた。一体を倒した。しかし周囲には次の影が重なっていた。4体のフォレストウルフが斜め前から距離を詰めた。二人がそれに気づいた瞬間、体勢を整える時間はなかった。二人の視線がその瞬間、家族の顔を映すような遠さになった。それでも目は獣から離さなかった。


 その時だった。


 俺は地面に意思を向けた。流れ込ませた。精霊たちが一斉に動いた。


 土が盛り上がった。縦に、横に、積み上がった。一瞬で壁になった。人と魔物の間に、土の壁が立ちふさがった。


 ガレス様と父さんが腕を顔の前に上げて反射的に防御体制を取った。轟音が止まって壁の出現が収まると、二人がゆっくりと周囲を確かめた。


 後ろから歩いて近づいてくる俺を見つけた。


 どうしてここにいる——という顔だった。俺は気づかれたことに気づいて、少し笑った。


 土の壁に向かって跳んだ。精霊がふわりと体を押し上げた。地面に引き留められていないような浮き方で、壁の上に乗った。父さんが何か言おうとして、口を閉じた。ガレス様が剣を握り直した。その目に、信頼と、それから問いが混じっていた。


 魔物の群勢が前方に広がっていた。先頭のものと目が合った。赤い目が光っていた。


 俺は群勢の中心あたりを見た。ゆっくりと、一度まばたきをした。精霊たちへ意思を流した。頼む、という感触だけを、まっすぐに。


 精霊たちが応えた。


 右腕を左肩の方へ伸ばした。手のひらを魔物に向けた。それから腕をゆっくりと水平に動かした。


 世界から音が剥がれ落ちた。風がやみ、魔物の咆哮も、木々のざわめきも、すべてが真空に飲み込まれたように消え失せた。


 その絶対的な静寂の底で、一点だけ、透明な響きが生まれた。音と言えるかどうかわからない、何かが静かに触れ合うような。それだけだった。

 

 地面のある一帯が、先に静かになっていった。六つの角を結んだ形の内側だけ、草が揺れなかった。魔物が動かなかった。光が来たのではなく、その範囲の中の何かが、先に終わっていた。

 

 父さんが剣を持ったまま、動かなくなった。何かの輪郭を目で追うように、視線が地面をゆっくりと動いた。ガレス様も同じ方向を見ていた。二人とも、声が出なかった。

 

 透き通った響きが、左から右へ、波紋のように広がっていった。

 

 響きが通り過ぎた跡には、草木も魔物も、ただそこに在るだけの静かな影へと変わっていった。

 

 光は見えなかった。ただ、何かが満ちた、という感触だけがあった。炎でも月明かりでもない。夜明けの色とも違う。向こう側から押し寄せるような白さが、響きの中を通り過ぎた。魔物が嫌ったのではなかった。光に包まれて、静かになっていくようだった。溶けるように。怯えるのではなく、何かが満ちていくような、そういう消え方だった。

  

 ある魔物は踵を返して森へ走った。ある魔物は崩れるように倒れた。ある魔物は光の中で形を失い、消えた。


 やがて響きが森の奥へと溶け込み、消えた。入れ替わるように、止まっていた空気がゆっくりと動き出した。

  

 森の木の葉を揺らし、遠くで鳥の声が再び響き渡った。後に残ったのは、ただ穏やかな、本当の静寂だけだった。

 

 俺は前方を確認した。動くものがないことを確認し、土の壁を解除した。壁だった土がその場に盛り上がって積まれた。


「よし、完了」


 振り向いて、周囲を見渡した。


「精霊たち、ありがとう」


 足元に向かって、小声で言った。


《○◇○◇!》


 喜びと誇らしさの感触が弾けるように来た。


 その場にいた全員が、動かなかった。


 ガレス様も、父さんも、残っていた兵たちも、戻ってきた者も、みな俺を見ていた。何かを言おうとして、言葉が出ていない、という顔だった。


 俺は少し森の方を見た。木々がまた静かになっていた。葉が風に揺れていた。いつもの森の匂いがした。


 ガレス様と父さんに近づいた。


「終わりましたので、館に帰りましょう。ガレス様も。みんなが待っています」

 「……あ……ああ……そうだな。……もしかして俺達を助けた土の壁もリュート、お前が?」父さんが、今にも叱り飛ばしそうな顔と、泣き出しそうな顔を一度に混ぜ合わせたような、ひどく複雑な表情で俺を見た。

 「はい」と俺は少し笑った。

 

 父さんとガレス様は顔を見合わせ、一度だけ天を仰ぐようにして長く息を吐いた。

 

 その吐息と一緒に、これまでの常識や、父親としてのプライドのようなものを、すべて吐き出したように見えた。

 

「……そうか。助かった。さぁ、みんなのところに帰ろう」

 

 もう、問い詰めるような色はなかった。ただ穏やかに、俺の肩に手を置いた。その手は思ったより重かった。

 

――――――


 館に着いた時、扉の向こうから人の声がした。


 扉を開けると、中にいた全員がこちらに視線を移した。


「ただいま」と俺は笑顔で言った。


 ガレス様が後ろから入ってきた。その顔を見て、中にいた者たちがまた表情を変えた。ガレス様が口を開いた。


「もう大丈夫だ。リュートがどうにかしてくれた」


 安堵と困惑と喜びが混ざったような、複雑な顔で言った。


 どよめきが起きた。


 俺は館の中の空気を感じた。さっきまでの張り詰め方が、ほどけていた。土の匂いのような、落ち着いた静かさが戻っていた。精霊たちのざわめきが、穏やかな波に変わっていた。


 スーリィが走ってきた。全速力で飛びついてきた。俺はとっさに受け止めた。


「お兄ちゃん!」


「ただいま」


 スーリィを抱えたまま、部屋を見渡した。


 アリシアが立っていた。マリナ様の隣から少し離れて、一人で立っていた。両手を胸の前で握っていた。昨日から今日にかけて、あいつは判定の儀で泣いて、怯えて、窓の外を見て、ずっと何かに耐えていた。その全部が、今の立ち方に出ていた。


 俺はスーリィを下ろして、アリシアの目線に合わせた。


 スーリィの頭を撫でながら、アリシアに向かって言った。


「見えたぞ。ちゃんと、そこにいた」


 アリシアが息を飲んだ。睫毛が震えた。


「だから、大丈夫だ」


 アリシアの顔から、何かが一度に溢れた。笑みだった。泣きながら、笑みだった。


――――――


 その夜、家に戻ってから、俺は一人で外に出た。


 石壁の方ではなく、家の庭の隅、小さな木の根元のところだ。土の上に座った。


「お疲れ様」と言った。


《✧✧……○◇》


 安堵と、どこかくすぐったいような喜びの感触が来た。


「俺もだ」と俺は言った。


 空を見上げた。星が出ていた。月は細かった。風がなかった。


 何かが今日で変わった気がした。稽古が義務だったのと同じように、さっきまでは精霊との関係も、まだどこかよくわからない何かだった。でも今は違う感触がした。


 一緒に、何かをした。それだけだったが、それで十分だった。


「また明日」と俺は言った。


《□□》


 穏やかな、平常の感触が返ってきた。


 俺は立ち上がって、家に戻った。足元の土が、ほんのりと温かかった気がした。

 

明日も複数話投稿予定です。次話は7:00投稿予定です。

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