第78話 指先の熱
(リュート視点)
大会三日目、今日からは二回戦だった。
アリシアもクラリスも今日は観戦に来ていた。
第一試合、ラインハルトはまた対戦相手を圧倒して勝ち上がった。一試合挟み、本来であれば注目の対決と言えるはずの試合が始まろうとしていた。
ユリウスとエリンの二回戦。
――――――
(ユリウス視点)
舞台に上がる間、来賓席の近くに視線を向けた。
父が見ていた。期待の眼差しだった。
開始位置に立つ。クラウベル先生がこちらと相手の様子を交互に確かめていた。タイミングを計っているのだろう。
——カーヴェルはいつも発現速度を重視する。一回戦もそうだった。
初手を考えているうちに、「始め」の声が響いた。
二人が同時に詠唱を開始した。観察しながら詠唱した。やはりカーヴェルの方が速い。
カーヴェルの詠唱が終わり、硬く圧縮された水の塊が飛んできた。
わかっていた。だから防壁の詠唱を選んだ。
だが、防壁が発現しなかった。指に何も宿らなかった。
「くっ」
横に跳んだ。ぎりぎりのところで精霊術が横をかすめていった。観客席が沸いているが、今は関係ない。
そのまま前転して起き上がり、詠唱を開始した。速度で対抗するには短い詠唱しかない。短詠唱の水弾が発現した。だが、カーヴェルはあっさり防壁で弾いた。
カーヴェルが不敵な笑みを浮かべた。
——そうだよな。同じクラスだ、僕の精霊術の状態は知っているよな。それを確認したというところか。
カーヴェルが少し長めの詠唱を開始した。連射型だ。
ユリウスは舞台の外周を走った。走りながら詠唱した。今度は防壁が発現した。その防壁の後ろに入った。
「これで——」
その時、防壁が崩れ、土弾が肩を打った。
「うぐっ」
痛みを無視して走り出した。元いた場所にまた土弾が飛んでいた。
カーヴェルは余裕の表情だった。こちらはぎりぎりで、息が上がっていた。
——このままではジリ貧だ。
父を見た。不安そうな顔をしていた。
——だめだ、まだ負けるわけにはいかない。
大火力の火属性精霊術の詠唱を開始した。
「献身の灯火よ、禁欲の枷を断ち、内に満ちよ。静謐を破り、調和を崩して弾けよ。破裂する炎として顕現せよ」
詠唱の途中から、何かが変わった。
指の内側に、熱があった。今まで感じたことのない種類の熱だ。術が発現するのではなく、何かがこちらに向かって押し寄せてくるような——手のひらの内側から、形のないものが満ちてくるような感触。
これは、一体?
いや、今はいい。カーヴェルに勝てるなら——そう思って詠唱を終えた。
爆裂の精霊術がカーヴェルに向かった。
カーヴェルは吹圧の精霊術で迎え打ってきた。
爆裂と吹圧がぶつかり、次の瞬間、爆発した。
爆煙の中から、カーヴェルの吹圧だけが形を保って飛んでくるのが見えた。
ダメか……もういい。もう、避けなくていい。
体から力が抜けた。
ゆっくりと目を閉じた。
一瞬、風の音だけが聞こえた。
衝撃が体を襲い、吹き飛ばされた。壁にぶつかり、ようやく止まった。
――――――
(リュート視点)
一瞬の静寂の後、大歓声に包まれた。
「すごい試合だったね」クラリスが興奮して言った。
「ユリウスも頑張ってたね」アリシアが続いた。
俺は壁に凭れているユリウスを見ていた。
――あいつ……。
「リュート?」アリシアが声をかけてきた。
「……なんでもない。不安定な状態であそこまでやれたのは、流石というべきなんだろうけど……」
「けど?」
「いや、負けは負けだからな」
「厳しいねー」クラリスが言った。
「それが大会だろ」
「確かに」クラリスが頷いた。
「立ち上がらないけど、大丈夫かな」アリシアが言った。
その言葉の後、ユリウスがゆっくりと立ち上がり、控室の方に歩いていった。
「大丈夫そうだな」
「そうだね」と、アリシアが少し安心したように言った。
その後も試合は続いた。二回戦も上級生が順当に勝ち進んだ。
この日はクラリスも最後まで観戦した。「慣れた」とだけ言っていたが、少し顔色は悪かった。
――――――
(ユリウス視点)
気がつくと、今日の試合がすべて終わっていた。
控室の片隅の椅子に座ったまま、ずっとそこにいたようだった。いつの間に座ったのかも覚えていなかった。
右手を、静かに開いた。手のひらには何も残っていなかった。だが、あの熱の感触だけは、まだどこかに引っかかっている気がした。何だったのかはわからない。ただ、確かにそれはあった。
二回戦負け。それが結果だった。
右手を握り、その手を左手で包んで、額を押し当てた。
悔しさがじわじわと込み上げてきた。
そのとき、控室の扉が開いた。
「ユリウス、顔を上げなさい」
聞き覚えのある声だった。顔を上げた。
父がそこに立っていた。
一瞬顔を見て、視線をそらした。
「どういうことだ?説明しなさい」
感情的になることなどほとんどない父の声に、怒気が込められていた。
「申し訳ありません」
謝ることしかできなかった。
「私が聞いているのは謝罪ではない。あの試合はどういうことかと聞いているんだ」
こんな父は初めてだった。それほど、失望させてしまったのだろう——そう思った。でも視線をどこに向けていいかわからなかった。
「なぜ、言わなかった?」父の声が少し変わった。
……言わなかった?
顔を上げて、父を見た。
「お前の試合の後、すぐにアルトリース学院長と話して、全てを聞いた」
「どう……して?」声がかすれた。
「あれは本来のお前の状態ではなかった。何年見てきたと思っている」
父が一度口を閉じた。何かを吐き出すように、小さく息を落とした。怒りが引いた後の顔に、寂しさがあった。
「申し訳ありません。父上に迷惑や期待を損なうと思い、言えませんでした」
「私はお前の親だ」
父はそう言ったきり、少しの間、黙った。言い慣れた言葉ではなかった。今初めて声に出したような、重さがあった。
「子は親に迷惑をかけるものだ」
少しの間があった。父が一度下を向いてから、ユリウスの両肩に手をかけた。
「それに、お前は努力したのだろう?まったく使えなくなった状態からあれほどまで回復させた。それは誇るべきことだ」
誇るべきことだ。
その言葉が耳から入ってきて、胸の奥まで届くのに、少し時間がかかった。失望させたと思っていたのに、父はそう言った。信じられないのに、嘘をつく人ではないとわかっていた。胸の奥が詰まって、喉が動かなかった。
「お前は精霊術を諦めたわけではないのだろう」
「はい、昔のように……いえ、昔以上に必ず使えるようになります」
そう言うと、父が笑顔になった。
「それでいい。立て。今日の悔しさを忘れるな。そして、いつかお前が理想とする精霊術を使えるようになれ」
ユリウスは立ち上がった。「はい!」
もう迷いはなかった。いつか必ず、誰よりも優れた精霊術師になると——心に誓った。
父と顔を見合わせていたとき、控室の外から足音が聞こえた。一人分の足音だった。それはすぐに遠ざかり、聞こえなくなった。




