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隔絶した世界に転生した親友と  作者: まーくん
青年期ーリュート編ー

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第72話 黒槍の街

(リュート視点)


 二日前、グランヴァルクに向けて出発した。


 見送りに来てくれた皆の顔が、二年半前とは違っていた。あの時は誰もが寂しさを隠しきれていなかった。今は——名残惜しさはあった。でもそれ以上に、どこか誇らしげに見送ってくれていた。


 その顔を見て、温かさと一緒に、ほんのわずかな寂しさを感じた。自分が成長したことで心配をかけなくなっていくことへの、うまく言えない寂しさだった。


 北方に入ると、空気の質が変わっていった。締まった冷たさが混じり始め、道行く人の体格が、王都周辺とは違ってきた。農夫の腕の太さが違う。商人の歩き方が違う。辺境に生きることの厚みのようなものが、すれ違う人々から滲み出ていた。


 ヴァルデンブルク辺境伯領の領都グランヴァルクが近づくにつれ、城壁のシルエットが視界の奥に浮かび上がった。そしてその向こうに、一際高い、黒い塔のようなものが空を突いていた。


 思わず手綱が緩んだ。馬が自然と足を止めた。


「あの塔は……」とつぶやいた。

「高いね。お兄様が言っていたのはあれのことかな?」アリシアが思い返しながら言った。

「そうかもな。でも、他にも見どころがあるかもしれないな」

「じゃあ早く行こう」アリシアが楽しそうにまた馬を歩かせた。


――――――


 城門で身分証を提示し、入場した。門近くの公営厩舎に馬を預け、荷物だけ持って街の中へ入った。


 大通りには武具店が並んでいた。剣や斧が無造作に陳列台に並ぶ様子が、王都の洗練された商店とは趣が違った。職人の手跡が正面に出ている、そういう並べ方だった。市場の方角から香辛料の匂いが漂ってきた。帝国由来の品を扱う店もあった。通り過ぎる人々の顔が、王都の人とは違う。日焼けして、目の奥が鋭い。王都の「華やかさ」とは違う。実用の密度のある街だった。


 先ほど遠くから見えた黒い塔がより間近に見える場所を通ると、近くにいた通行人に自然と話しかけていた。「あれは黒槍塔というんですよ」と教えてもらった。黒槍塔。その名前を聞いてから、もう一度塔の先端を見上げた。なるほど、という名前だった。


 宿を見つけ、部屋を取った。旅の汚れを落として衣服を整えて、アリシアと少しだけ街を歩いた。


「黒槍塔の下まで行ってみよう」アリシアが言った。

「いいね」と言って歩いた。途中の屋台で鶏肉の串焼きを買い、歩きながら食べた。香辛料が舌に刺さり、それでいて食欲をそそった。帰りにもう一本買おうと思いながら歩いた。


 黒槍塔の下まで来た。


「……でかい」


 わかってはいたが、最初に口から出たのがその言葉だった。近づくほど塔の存在感に体が押されるような感じがした。塔の先端が空に消えていくかのようだった。首を曲げて上を見ると、高さに体がわずかにすくんだ。夕方の光が塔の黒い石肌を斜めに照らし、影が長く地面に伸びていた。


「塔の先まで登ったら、どこまで見えるかな?」アリシアが聞いてきた。

「あれだけ高いんだから、ブランデル領は見えるんじゃないか?」そう答えた。

「登ってみる?」アリシアが言った。

「いや、さすがにあの高さはちょっと……それに軍事施設だろうし、一般人は入れないだろ」

「それもそうか。残念」


 登る気だったのか、と内心で驚いた。


 空が赤みを帯び始める頃に宿に戻り、食堂で夕食を取った。黒パン、豆と香草のスープ、鶏の香辛料焼き。料理を見た瞬間に、帰りに串焼きを買い忘れていたことを思い出した。


「串焼き買い忘れてた」ぼそっと呟いた。

「今あるからいいじゃない」アリシアは聞こえていたようで、そう言い返した。


 そんな会話をしながら、夕食を楽しんだ。


――――――


 翌朝、グランヴァルクの教会に向かった。ホフマン神官とベルクマン神父はここに所属していると聞いていた。正式な身なりで教会の前まで来て、一度立ち止まった。


 王都の大聖堂が頭をよぎった。教会という場所そのものへの警戒が、体のどこかに染みついていた。でも、ホフマン神官とベルクマン神父に会いに来ただけだ——そう自分に言い聞かせてから、扉を開けた。


 受付で取り次いでもらうと、二人が迎えに出てきてくれた。二年半ぶりに顔を見た。


 ホフマン神官が「大きくなりましたね」と言い、ベルクマン神父が「わざわざ訪ねていただいてありがとうございます」と歓迎してくれた。


 少し話す場を作ってもらった。


「お二人のおかげで学院に無事合格できました」と礼を言うと、「いえ、それはお二人が努力されたからです。私たちはそのお手伝いをさせていただいただけです」とホフマン神官が返した。ベルクマン神父も同意するように頷いていた。


 学院の生活を話した。精霊術の進捗。日々の様子。話が一段落ついた時、ベルクマン神父が口を開いた。


「お二人が元気そうで良かったです」


 どういうことか聞こうとした時、ホフマン神官が続けた。


「精霊術学院への入学を勧めはしましたが、実は、ずっと気になっていたのです。学院は王都にあり、生徒は貴族の子どもたちがほとんどです。アリシアさんは貴族ですが辺境出身で、リュートさんは平民です。何かされてはいないかと」

「そういうことを、時々ホフマン神官と話していたのです」ベルクマン神父が付け加えた。


 送り出した判断は正しかったのか、という自問があるように思えた。この二人がいなければ、そもそも学院への道は開いていなかった。その人たちが、入学以来ずっと心配してくれていた。少しだけ、言葉に詰まった。


「大丈夫です。何もされていませんよ」そう言った。

「ええ、すぐに友だちもできましたし」アリシアが付け加えた。

「安心しました。ありがとうございます」ホフマン神官が言った。ベルクマン神父も「本当に、そうです」と言い、少しだけ表情が和らいだ。送り出した者の緊張が、ようやくほぐれたように見えた。


 帰り際、「また機会があれば」と言い合って別れた。


 教会を出て、夏の日差しの中でアリシアと並んで歩いた。


「ホフマン神官とベルクマン神父、ずっと心配してくれてたんだな」と言った。

「当然でしょ」とアリシアが言った。確かにそうだった。


 そう言い切れるアリシアの言い方が、少しだけ羨ましかった。


――――――


 午後になり、ヴァルデンブルク辺境伯邸に向かった。


 門番に来意を告げると確認に入り、しばらくして執事を連れて戻ってきた。「お待ちしておりました。どうぞこちらへ」と案内された。アリシアが先に歩き出した。俺は少し後れてついた。


 応接室に通されると、「まもなく閣下がお見えになります」と言い、執事が下がった。


 待っている間、少しずつ緊張が高まってきた。アリシアを見ると、こちらを見てしっかりしなさいという目をしていた。アリシアと顔を見合わせ、同時に小さく息を吸った。それだけで少し落ち着いた。


 しばらくして扉が開き、ヴァルデンブルク様が入ってきた。俺とアリシアは立ち上がって礼をした。「気にしなくてよい」とヴァルデンブルク様が手で制した。ガレス様の言っていた通りだった。


 ヴァルデンブルク様がソファに座った瞬間、気がつくと自分の背が伸びていた。意識してそうしたわけではなかった。


「おおよそ二年半ぶりだな」とヴァルデンブルク様が言った。その目が、俺とアリシアを静かに測っていた。どのくらい変わったのかを、見ているようだった。

「はい。この度はご挨拶が遅くなってしまい申し訳ございません。ヴァルデンブルク様には多大なお力添えをいただき、私たちも無事に精霊術学院へ入学し、今もこうして学ぶことができております」アリシアが言った。


 そんな言葉がすらすらと出てくるのか、と内心で思った。


「……あ、ありがとうございます。ヴァルデンブルク様のお力添えのおかげで、俺も学院で学ばせてもらっています」少し遅れてそう言うと、ヴァルデンブルク様が小さく笑った。


「精霊術はどこまで使えるようになった?」とヴァルデンブルク様が笑いを収めてから問うた。

「ほぼ思う通りの速度と精度で、精霊を扱えるようになりました」とアリシアが答えた。

「実戦経験は?」

「学院外でも少しありますが、まだ学院内が主です」俺が続けた。

「そうか」それだけだった。


「精霊術以外も学べているか?」ヴァルデンブルク様が問うた。

「努力しています」とだけ答えた。礼儀作法の授業を頭に浮かべながら。


 答えた後、ヴァルデンブルク様がすぐに次を言わなかった。その数秒が、妙に長く感じた。


「そうか」ヴァルデンブルク様が続けた。

「今、三年だろう。卒業後のことは考えているか?」

「いえ、まだ決めていません」

「まだ学生の時間が楽しいだろうが、しっかりと考えておくとよい」

「……はい。ありがとうございます。しっかり考えてみます」

「うむ」


 ヴァルデンブルク様がそれきり何も言わなかった。俺も言葉が出なかった。数秒の静けさがあった。


 ふと、ヴァルデンブルク様の目が窓の外へ向いた。


「ブランデル領は、いい土地だ」


 唐突に思えた。でも、続く言葉はなかった。それが卒業後の話と繋がっているのか、それとも別のことを言っているのか、俺にはわからなかった。


 ただ、その目が窓の外を見ている間だけ、何かを決めているのではなく、何かを待っているように思えた。


 ヴァルデンブルク様が、窓の外から視線を戻し、俺の方を見た。


「食事を用意させている。君たちも一緒にどうだ?我が妻のアマーリエも、君たちと一度話をしてみたいそうでな」と続けた。


 アリシアと顔を見合わせた。


「ありがとうございます。ぜひご一緒させていただきます」とアリシアが答えた。


 緊張はまだ続いていた。


――――――


 食堂に案内されると、アマーリエ様がすでにいらっしゃっていた。簡単に挨拶をして席についた。上座にヴァルデンブルク様、その左にアマーリエ様、右にアリシア、その隣に俺が座った。


 給仕が皿を並べていった。「では、いただこう」とヴァルデンブルク様が声をかけた。


 食器を見た瞬間、礼儀作法の授業の内容が緊張で飛んだ。


 ナイフとフォークは外側から使うのだったか——そう考えながら横目でアリシアを見ると、内側のものを使っていた。ヴァルデンブルク様も同じだった。バレないように手を移動させ、内側のものを取った。バレていないはずだ。そう思いながらひとくち食べたが、味がわからなかった。


 アマーリエ様が会話の流れを自然に整えながら場を保っていた。温和で柔らかな話し方だった。アリシアはいつのまにか背筋が伸びていた。話題が変わるたびに、なぜか話しやすい方向に向かっていく気がした。アマーリエ様が何かをしているのかもしれなかったが、何をしているのかはわからなかった。俺はその内容についていくだけで精一杯だった。


「街は見て回りましたか?黒槍塔は遠くからでもよく見えたでしょう」アマーリエ様が聞いてきた。

「はい、黒槍塔の下まで行きました。とても高くて、見上げたら首が痛くなるかと思いました」そう答えると、アマーリエ様が「ふふ、初めてご覧になる方は皆そうおっしゃいます」と言った。

「あの塔は、帝国側へ睨みを利かせるためのものですから、どうしても高くなるのです。あれが見えると、グランヴァルクへ帰ってきたと思う者も多いのですよ」

「確かに、街のどこからでも見えました」アリシアがそう言うと、ヴァルデンブルク様が小さく頷いた。

「黒槍塔は、この街の象徴だからな。あれが倒れる時は、この領が落ちる時だ」


 静かな声だった。でも、その言葉には妙な重みがあった。


「あなた、食事の席で怖がらせないでくださいな」アマーリエ様が少し呆れたように言った。

「事実だ」

「もう……」そう言いながらも、どこか慣れているようだった。


「でも、リュートさんたちが驚くのも分かります。あの塔は、幼い頃から見慣れている私たちでも、時々圧倒されますもの」

「はい……なんというか、「守るための塔」という感じがしました」そう言うと、ヴァルデンブルク様が少しだけ目を細めた。

「……よく見ているな」


 その言葉が返ってきたとき、褒められたのか評価されたのか、どちらなのかわからなかった。ただ、その目の奥に何かが動いた気がした。


 緊張の続く食事が終わる頃、「今夜はもう遅いですから、泊まっていかれたらどうですか?」とアマーリエ様が言った。


「そうだな。泊まっていくといい。宿には使用人を出して、荷物を引き取ってこさせよう」ヴァルデンブルク様も続けた。


 アリシアと顔を見合わせた。「お言葉に甘えます」今度は俺が答えた。


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