第67話 手渡すもの
(リュート視点)
アリシアが一人で練習すると言って、一週間が過ぎた。
いつものように、いつもの場所へ向かった。冬の朝の名残が地面に残っていて、枯れ草が霜のかけらを帯びていた。着くと、クラリスがすでに来ていた。
「やあ、クラリス」
「こんにちは、リュート君」
「アリシアは今日も一人で練習かな」三人で集まるとき、だいたい自分が一番最後に来る。それでアリシアがいないということは、今日も一人での練習だと思った。
「ううん。少し遅れるけど、後から来るって言ってたよ」クラリスが教えてくれた。
「そっか。じゃあ一人での秘密特訓の成果が見れるのかな」少し楽しみになった。
「そうかも。楽しみだね」クラリスも同意した。
「じゃあ、アリシアが来るまではいつも通りに練習するか」そう言って、二重発動の練習を開始した。
今日も二つの精霊術は発動した。だんだん時間差はなくなっているように思えた。それでも「同時」と言えるかと問われれば、まだいいえと答えるしかない。
何がダメなんだ、と考えた。クラリスの方をしばらく観察してみたが、いつも通りクラリスも対話はできているようだが、発動までは至っていないという状況だった。
まいったな。流石に行き詰まっているな。
今更、学院長に聞きに行くのも、「自分たちでできるようになるほうが楽しいだろ」と言った手前、そうするのもな——。
とはいえ、このままじゃダメなのも事実だ。かっこ悪くてもしかたないか。
そんなことを考えていたとき、足音が聞こえてきた。
来たかな、と思い、足音がした方を見た。クラリスも気づいて同じように見ていた。
やっぱりアリシアだった。ただ、その表情には、一週間前に薄っすらと感じられた不安や焦りのようなものはなく、むしろ自信を感じさせるものに変わっていた。
「久しぶりね」アリシアが言った。
「久しぶり、アリシア」そう答えた。
「遅いよ」とクラリスがいたずらっぽく言った。
「ごめんね」とアリシアは笑いながら言った。
「それでね、二人に見せたいものがあるの」
「もしかして、秘密の特訓の成果かな」クラリスが興味深そうに聞いた。
アリシアは何も発しなかった。ただ、自信があるような笑顔を返した。
アリシアが少し距離を取り、そこで一息ついた。
俺とクラリスは、アリシアが何をするのかを注意深く見ていた。
集中している、そう思った。
次の瞬間、アリシアの目の前に、炎と土の球体が「同時」に現れた。
「えっ?」クラリスの驚く声が聞こえた。
俺は固まっていた。よく見ていたつもりだった。それでも、明らかに時間差がある俺の二重発動とは違う。「同時」としか思えない発現だった。
アリシアは術を解き、こちらを向いて「どう?」と誇らしげに聞いてきた。
驚きで声が出なかった。クラリスも固まっていた。
「ねえ、どうしたの?」アリシアが不安そうに見てきた。
「ごめん。ちょっと、いや、かなり、驚いて」たどたどしく答え、続けた。
「これが……秘密特訓の成果か。凄すぎるだろ」
アリシアは、嬉しそうに笑って、「そうだよ」と言った。
「もう一回見せて」とクラリスが言った。
「いいよ」とアリシアが答えて、集中したと思ったら、次の瞬間には同じように、炎と土の球体が「同時」に発現した。
「すごーい」と言いながら、クラリスがアリシアに抱きついた。
二回目も「同時」としか思えなかった。二回連続して二重発動が成功した——ということは偶然ではなく、アリシアが二重発動をものにしたということだ。
この一週間程度の期間で。一週間前は二つ目の精霊術を発現できていなかったアリシアが。
クラリスにじゃれつかれたアリシアが、近づいてきた。
「これ、一人で辿り着いたのか?」
「ううん、教えてもらった。でも、誰からかは言えないの、ごめんね」
誰か……これだけの内容を教えられる誰かが、いる。
「そうか。わかった」
それ以上は聞かなかった。事情があるのだろう。
「で、何を教わったんだ?」率直に聞いた。
「それはこれから教えるね」
思わず、口元が緩んだ。そうなってから、その理由に気がついた。
精霊術については、ずっと自分がアリシアに教えてきた。感覚で、試行錯誤で、探りながら。「こうじゃないか」「もう一回やってみろ」と言い続けてきた。それがずっと当たり前だった。
なのに今、アリシアが「これから教えるね」と言っている。
精霊術について、アリシアが俺に教える側に立っている。
それがおかしくて——いや、おかしいわけじゃない。嬉しかった。正確に言えば、くすぐったかった。アリシアが自分の知らないことを、俺に教えようとしている。そのことが、胸の奥で静かに燃えるような、じんわりとした熱さを持っていた。
こういう日が来るんだな、と思った。
クラリスも近づいてきて「私にも」と言った。
「うん。でも、対話式精霊術を発現させてからじゃないとね」とアリシアが言った。
「まずクラリスには、精霊を感じるときのイメージの話をするね」
クラリスがアリシアの側に来て、二人は少し離れたところへ移った。アリシアが何かを話し、クラリスが真剣な顔で聞いていた。やがてクラリスが目を閉じた。しばらくして、「あ……なんか、変わった気がする」とクラリスが小さく言った。アリシアが「そう、それよ」と応えていた。
――――――
アリシアが教えてくれたのは、これまで練習してきた内容とはまったく違った。
一つの精霊術の形でイメージし、発動と感応の意識中も精霊への意識は常に均等にすること、発動と感応は切り替えるのではなく混ぜ合わせること——。
アリシアは炎の中の小石のイメージで一つの精霊術の形をつかんだ、と言った。
「やってみてもいいか?」
「もちろん。私で教えられることは教えるよ」アリシアが言った。「クラリスにもね」とクラリスの方を見て、付け加えていた。
集中する。イメージは炎の中の小石。
そのまま発現させた。
今までの二重発動と比べると、時間差は大きかった。だが、精霊との対話は今のほうが滑らかだったように思えた。
「あれ?時間差が大きくなってない?」とクラリスが聞いてきた。
「ああ、大きくなったな」笑顔で返し、続けた。
「でも、今の方が対話は楽だった。たぶん、俺も交互にやっていたんだな。その分、大変だったんだろう」そう分析した。
そして、楽しくなってきた。「面白い」声に出てしまった。
アリシアが聞こえたのか、クスクス笑っていた。
そこからはアリシアに教えてもらったことを試した。
一つの精霊術の形をイメージする方はできているはずだが、バランスというのが難しかった。どのくらいずつ意識しているかがわからない。感覚でしかないから、正確に測れない。
アリシアもひたすら繰り返したと言った。であれば、俺も繰り返すだけだった。
アリシアが近づいてきた。
「なかなかに難しい。ちょっと見てくれるか?」
「いいよ。私も最初はまったくできなかったけど、できるようになったんだから、リュートもできるようになるよ」アリシアが励ましてくれた。
集中する。イメージは大丈夫。バランスができていない。
均等ということは、精霊を同じに扱えばいい——そういう気持ちでやってみた。
発現した精霊術はさっきより時間差は小さかったが、まだ「同時」には遠かった。
「やっぱり難しいな。どうだった?」
「うーん……土の方が強かった気がする。意識が土の方にいってたのかな」
なるほど、そうなるのか。
「悪いけど、もう一回見せてくれないか?」
アリシアは頷いた。今度は、アリシアではなく精霊の反応を確認した。
精霊の反応は同じくらいに見えた。発現した精霊術も同時に見えた。
「どう?何か掴めそう?」アリシアが聞いた。
「ああ、精霊の反応が同じように見えた。たぶん、その辺が関係しているんだろう」
見様見真似で、精霊の反応に注意を払っていけば近づくかもしれない。そこからは微調整だな。
再び練習し始めた。
――――――
五日ほどで、精霊の反応が同じように見えるようになった。
以前と同じくらいの時間差には戻ってきたが、発現する精霊術にはまだ目で見てわかる違いがあった。何かが足りない。その「何か」がどこにあるのかを、繰り返しの中で探し続けた。
何度目かの試みのあと、ふと引っかかるものがあった。
アリシアに教えてもらったことをもう一度振り返った。発動と感応の意識中も精霊への意識は「常に」均等にすること。
「常に」という言葉が引っかかった。
発動と感応、そして発現。これらの間には時間がある。「常に」ということは——時間の方向でも均等ということか。
すぐにやってみた。
「常に」を体で掴むことは、言葉で理解するのとは別のことだった。発動から感応へ、感応から発現へ——その流れの中で精霊への意識を切らさない。わかっているのに、どこかで薄れる。薄れたところで、ずれる。繰り返した。どこで薄れるかは、繰り返すうちに少しずつわかってきた。
十日ほどが経った。アリシアに教えてもらったことを繰り返してきた。答えがどこかにあるとわかっている繰り返しは、暗闇の中を歩くのとは違った。
手応えに近いものを感じた。まだ「同時」とは言えない気がするが、少なくとも一番「同時」に近かった。精霊の反応の整い方が、今まで何度やっても生まれなかった質を持っていた。
もう少し。後少しだと思った。
この頃にはもう冬期休暇は終わっていた。授業が再開されても、焦りはなかった。感覚は確実に近づいている、そういう手応えがあった。




