第65話 均等
(アリシア視点)
三日目、初めてバランスが取れた。
思わず息を止めた。
その瞬間、何かがほんの一瞬だけ、整った。精霊の反応が——二つとも、同じ重さで返ってきた気がした。体の中で、二つの流れが並んだ感触。それは本当に一瞬で、次の瞬間にはもう崩れていた。でも、確かにあった。
それだけだった。それだけだったけれど、胸の奥が急に熱くなった。
先生は「全体的にバランスが取れ始めているわね。もう少しよ」と言ってくれた。
もう少し。その言葉が、じんわりと体に染みた。
――――――
四日目、早いうちにまたバランスが取れた。昨日よりも長く。
ただそのとき先生は、「今はまだ長さよりも、最初からバランスが取れた状態にすることが大事」と言った。長さはそれができてからだ、と。
何度も最初からバランスが取れた状態になるように繰り返した。だんだん感覚がわかってきた。四日目が終わる頃には、ピタリと合わせられるようになっていた。
繰り返すたびに、少しずつ手の中に収まってきた気がした。
「順調ね。明日から次の段階に進むわよ」
先生が褒めてくれた。
――――――
五日目。今日からの目標は、合わせたバランスを維持することになった。
「初めて会ったときにも伝えたけど、発動の意識だけではダメ。感じることにも意識を割かないといけない。バランスを維持したまま、発動から感応に意識を変化させる必要があるわ」
「だからまずは発動の状態でバランスを維持できるようにする。それができたら、発動から感応へ意識を変化させる」
私に合わせて一つずつ丁寧に段階を踏んでくれていることがわかった。
発動の状態でのバランス維持は意外にすぐできた。でも、発動から感応への意識の変化ではどうしてもバランスが崩れてしまう。
結局この日はそこまでだった。切り替えるたびに崩れた。切り替えではなく——何か別の動かし方があるのかもしれない。
寮に帰る道が、いつもより長く感じた。
――――――
六日目。今日こそという意気込みで来ると、先生はもう来ていた。
二日目からずっとそうだった。先生のほうが早く来ていた。
もしかしたら——姿を見せられないから、いるかどうかがわからない私のために、早めに来て安心させてくれているのかもしれない。そうだったらと思うだけで、胸が熱くなった。
「今日も始めるわよ」
「はい!」
「昨日と同じようにバランスを維持したまま、発動から感応に意識を切り替える。今あなたがしているのは、すごく長い棒を横に持って、その棒を動かさないようにして止まっている状態から歩き出すようなものなの。少しでも雑になれば棒は揺れるわよ」
心の中で「はい」と答えて、意識を変えていく。切り替えるのではなく、混ぜて割合を変えていく。
昨日寮に帰ってから考えたことだ。実践してみる。
少しずつ、ゆっくりと。発動から感応へ。
顔を上げた。
「……惜しいわね。わずかに乱れたわ。でも一箇所だけよ。発動と感応を混ぜ合わせたとき。それ以外はバランスは一切崩れていないわ」
嬉しさと一緒に、先生の観察力の凄さにまた驚かされた。混ぜ合わせるという考えは伝えていなかった。それなのに、一回見ただけでわかってしまった。
「よく考えたわ。いいことよ。後少し。発動と感応を混ぜ合わせるところを重点的にやるわよ」
「はい」
集中した。何度も繰り返した。やはり一瞬だけ乱れるのは変わらなかった。
発動と感応、話すことと聞くこと。対話。精霊との、対話。
私がしているのは対話式精霊術。一方的に話すものでもなく、一方的に聞くものでもない。その二つが混ざり合う——それが、対話。
もう一度、集中した。発動と感応を最初から意識する。一つの精霊術の形としてイメージして、それを二つの精霊と共有する。
終わって、顔を上げた。
いつもならすぐに先生が反応するのに、今は声がない。
うまくいった気がしたけれど、ダメだったのか——そう思い始めたときだった。
「素晴らしいわ。完璧よ。もう一度やって見せてちょうだい」
先生の声が聞こえた。いつもより高い声だった。
「素晴らしい」という称賛。「完璧」という言葉。「もう一度見せて」という要望。全てが胸の奥に、静かに、じわじわと染み込んでいった。
鼓動が速くなった。体中から熱が込み上げてきた。
できた。
その言葉が遠かった。遠かったその言葉が今、手の中にあった。
「どうしたの?さあ、もう一回よ。その感覚を覚えているうちに」
先生のまだ興奮している声で、我に返った。
一度深呼吸をして、集中した。もう一度、意識を混ぜ、動かした。同じ感覚だった。
「大丈夫そうね。今回もバランスは崩れなかったわ」
落ち着いた声に戻っていた。
「じゃあ、実際に発現させてみてもいいですか?」
先生の言葉を疑っているわけではない。純粋に見てみたいという思いが強かった。
「ダメよ」
思わず声が止まった。どうしてと聞こうとしたら、先生が先に言った。
「そういうのは最終日にやるものよ」
――――――
(リセル視点)
納得していないような顔で寮に帰るアリシア・ブランデルの背中を、木陰から見ていた。
明日、アリシア・ブランデルは完成させるだろう。そう思いながら、その背中を見続けた。
私は精霊術が苦手だった。でも精霊と対話することは好きで、精霊術を嫌いにはならなかった。
それは、故郷を出た後も変わらなかった。故郷を出れば、私たちは精霊術が使えなくなる。それでも使えるようにしたかった。知識と理論を求めて学院に来た。
約二年前、一人の生徒を見つけた。精霊に愛されているような生徒。彼を研究すれば、目的が果たせるのではないかと考えた。でも、接触することは正体が明らかになる恐れがあった。そんな危険は犯せなかった。木立の奥からただ見ていることしかできなかった。
そんな日々が続いていたとき、故郷を感じるこの場所に、彼女がやってきた。最初は興味本位だった。彼の代わりの研究対象だった。
ただ、何度失敗しても立ち上がる様子が、昔の自分に重なった。精霊術が苦手でも、対話することをやめなかった頃の自分に。
教えながら、次はどんな手を打とうか、と考えていることに気づいた。それは、研究のためとは少し違う考え方だった。
その背中が木々の間に消えても、しばらく、そこに立っていた。




