第63話 声のある場所
(アリシア視点)
リュートがアレクシス様のところへ行った後、私とクラリスは練習を続けた。
クラリスは集中していた。少し離れた場所で目を閉じ、精霊との対話をしているようだった。後は発動させるだけ——という状況に、傍から見ていても思えた。
集中できていなかった。クラリスの様子が見えているのが、かえって焦りを呼んだ。
息を吐いて、クラリスに声をかけた。
「クラリス、ごめん。少し一人にしてもいい?ちょっと私、一人で練習しようと思って。自分の感覚に集中したくて」
反応が少し遅れて返ってきた。
「え、あ、ごめん。うん、一人でも大丈夫」
深く集中していたのだろう。邪魔してしまったかなと思いながら、立ち上がった。「じゃあ少しだけ離れるね」と言うと、「うん、頑張ってね」とクラリスが手を振った。
少し奥のほうに歩くと、いつもの場所より狭いが一人で練習するには十分な空間があった。低い根が地面から出ていて、その手前に腰を下ろした。霜が溶けかけた土は少し湿っていて、冷たさが腰から伝わってきた。
一度伸びをして、息を吐いた。
二つの精霊術をお願いする。一つ目の精霊術は発動している。二つ目の精霊術も精霊は反応している。でも発動はしない。
一人になれば、もう少し自分の感覚がわかるかもしれない、そう思ってここに来た。でも、変わらなかった。私の力が、足りないの?……頭をよぎる。でも、まだ認めたくない。きっとまだ何かあるはず。
そう考えながら、また始めた。
何度やっても、止まる場所は変わらなかった。
冷えた空気が肌を刺した。指先が、いつの間にか感覚を失いかけていた。それでも、もう一度と思って始めた。
……また、止まった。一人になっても、ダメだった。
どのくらいの時間が経っただろうか。
頭上の枝が、音もなくわずかに揺れた。冬の空気が動いた気がした。
声が聞こえた。
自分の声ではなかった。
女性の、はっきりとした、どこか自信のある声だった。
「呼ぶのではないわ。応えを受け取りなさい」
辺りを見渡した。誰もいなかった。木の陰に人影はない。冬の低い光が差すだけだった。
応えを、受け取る——。
呼ぶのではなく、受け取る。ずっと、届けようとしていた。でも、そういう発想は、なかった。
その言葉を、試してみたかった。そう考えていると、また声が聞こえた。
「続けなさい」
まるで聞こえていたかのようだった。
「はい」
いつものように二重発動を試みた。一つ目の精霊術が発動する。二つ目も、と思ったとき——
「感じなさい」
その言葉が、何かを変えた。
発動に意識するのではなく、感じることに意識を向けた。
精霊術が発動する感覚があった。
そのまま、身体と意識を委ねた。
次の瞬間——片方の手のそばに土の球体、もう片方に炎の球体が、そこにあった。
「えっ!?」
自分で発動させておいて、声が出た。できた。こんなにもあっさりと。嬉しさが体の奥から込み上げてきた。これまでしてきたことは無駄ではなかった。ずっと感じていた「もう一歩」の先が、今ここにあった。
辺りを見渡したが、やはり誰もいない。直接感謝を伝えたかった。声を出そうとしたとき、先に声が聞こえた。
「その感覚を忘れないうちに、もう一度」
感謝の言葉をやめた。「はい」とだけ答えて、また集中した。
発動と感応、二つを意識した。最初は発動、後から感応。
今度は声がなかった。
またできた。今度はさっきよりも滑らかに。まだ同時ではないけれど、それでも確かにできた。
「あの、ありがとうございます!」
姿が見えない相手に、精一杯の声で言った。
「気にしなくていいわ。それよりも、しっかり感じる意識ができるように続けなさい」
「はい!」
その後も繰り返した。声は必要なときにだけ、そっと言葉を落としてきた。
「ここまでね。暗くなる前に帰りなさい」
顔を上げると、辺りが薄暗くなっていた。時が過ぎるのを忘れていた。
すごい達成感だった。実技の授業では、ほとんどこんな感覚を覚えることはなかった。
楽しかった。形だけとはいえ、二重発動ができた。そして誰かはわからないけれど、的確に、適切に教えてもらえることがこんなにも嬉しいことだったなんて。
子供の頃からリュートに精霊術を教えてもらってきた。それは素直に感謝している。でもリュートも探り探りで教えてくれているのはわかっていた。クラリスにも、私たちが探り探りで経験したことを感覚的に教えることしかできていなかった。
でも、この人は——どこかから私を見て、必要なことを必要なときに教えてくれた。
「あの、今日はありがとうございました。……それで、もしよろしければ、また明日も教えていただけないでしょうか?」
図々しいとは思った。でも、この出会いを逃したくないという気持ちが勝った。
声が止まった。しばらくの間があった。
「条件があるわ」
やがて、声は続けた。
「あなた一人だけよ。それと、私に教えられたということは誰にも言わないこと。ただ、あなたが身につけたことは誰かに伝えてもいいわ」
一人だけ、誰にも言わない……二人の顔がよぎった。私だけが教えてもらえることが、じわりと重かった。
それでも、身につけたことは伝えられる。
「わかりました」
「あと、期間は明日から一週間。それであなたが望むところまで仕上げなさい。それができるなら、明日からも教えてあげる」
「わかりました。ありがとうございます」
すぐに答えた。
「では、明日、今日より少し早めに来なさい」とだけ言われた。
「はい。明日もよろしくお願いします」
深く頭を下げて、歩き出した。
***
(リセル視点)
木立の奥から、一つの人影がそっと身を出して、遠ざかる背中を見ていた。
ローブをかき合わせ、アリシア・ブランデルの後ろ姿を目で追った。
学院に来て、初めての実技の指導がこんな形になるとは思っていなかった。
決して才能に恵まれているわけではない。でも、素直さとひたむきさと向上心がある。見知らぬ声を素直に受け入れて、ただ実践し続けた。それだけで、発動にまで辿り着いた。
いいわね。素直にそう思った。
それに——ヘルミーネ以外とまともに話したのはいつ以来かしら。思い返しても、わからないくらいだった。だから声も固くなった。当然ね、と一人で苦笑した。
明日からも、ね。それは構わない。ただ、あの顔を見ると、何も言わなければ、リュート・アーデンも連れてくるのは明白だった。だから条件をつけた。それだけのことだった。
「良い研究ができそうね」
口が動いていた。声になっていたことに、少しの間気づかなかった。




