第62話 守りたい理由
(リュート視点)
今日もいつもの場所で、二重発動の練習をしていた。
二つの精霊術はたしかに発動する。時間差がなくなっているように感じる日もあった。それでも「同時」と言えるかと問われれば、首を横に振るしかなかった。何かがもう一歩のところで止まり続けていた。
どこがいけないのかと考えていたとき、足音が聞こえた。
近づいてくる気配を感じ、顔を上げた。視線の先に現れたのは、ルーカス副会長だった。
どうしてここに、そう思ったが、声には出さなかった。
ルーカス副会長は真っ直ぐ俺のほうへ歩いてきた。
「アーデン。アレクシス様から伝言だ。君の都合の良い時間でよいので、一度会いたい、とのことだ」
「アレクシス生徒会長が、ですか?」
「そうだ。いつがいい?」
アリシアたちの方を見ると、アリシアとクラリスが顔を見合わせていた。
「今からでも大丈夫ですが」そう答えた。
「そうか……では、こちらでも準備をするので、一時間ほど後に生徒会室へ来てもらえるか?」
「……わかりました」
その答えを聞いたルーカス副会長はそのまま来た道を戻っていった。背中が木立の向こうに消えると、アリシアが口を開いた。
「リュート、今度はアレクシス様からの呼び出し?」
「そうらしい」少し考えてから続けた。「また精霊術のことかな」
「二重発動のことかな?」クラリスが声を上げる。
「どうだろ……、なくはないだろうけど、まだできてないからな。対話式精霊術のほうが可能性は高いんじゃないか」そう返してから、ため息まじりに言った。
「まぁ、考えても仕方ないし、行ってくるしかないな」
アリシアが俺の制服を見ていることに気づいた。
「リュート」アリシアが言った。「アレクシス様は生徒会長でもあるけれど、この国の殿下よ。まさか、そのままの格好で行かないわよね?」
自分の制服を確認した。汚れていた。屋外で精霊術の練習をしていれば、汚れるのは当然だった。
「ああ、これは……流石にまずいか。寮に着替えに戻るか」
「そうしなさい」とアリシアが促した。クラリスも頷いていた。
ため息をもう一つ吐き、「着替えたらそのまま向かうよ」と伝えて、歩き出した。
寮に戻り、清潔な制服に着替えながら、呼ばれた理由をもう一度考えた。精霊術以外では思いつかなかった。対話式精霊術に関することか、それとも二重発動のことか。どちらにしても、嘘はつけない相手だった。
生徒会室の前まで来て、一度立ち止まった。深呼吸をする。ノックをすると、落ち着いた声が返ってきた。
「どうぞ」
扉を開けると、室内は思ったより広かった。高い天井に、冬の白い光が窓から横に差し込んでいる。長卓が部屋の中央に置かれ、その広さのせいか、二人の人影が少し小さく見えた。アレクシス生徒会長と、ルーカス副会長だった。
「急に呼び出してしまって、すまないね。そこへかけてくれ」
会議用の長卓の席を示された。「はい」と答えて腰を下ろすと、アレクシス生徒会長が正面に座った。ルーカス副会長はその斜め後ろに立ち、静かにこちらを見ていた。その視線が、少しだけ刺さるような気がした。
「会うのは初めてだな。まずは自己紹介からにしよう。知ってくれているとは思うが——私は生徒会長を務めている、アレクシス・フォン・グランツハイム。この国の王子でもある。今日は気負わずに話してくれて構わない」
アレクシス生徒会長が続けて、横のルーカス副会長を紹介した。
「副会長のルーカス・フォン・フリーデンタール。私の右腕というところだな」
「副会長のルーカス・フォン・フリーデンタールだ。よろしく頼む」
「えと……リュート・アーデンです。よろしくお願いします」
頭を下げた。身構えていることに自分でも気づいていた。どんな話かわからない。この部屋の広さと静けさが、下手なことは言えないという感覚に輪をかけた。
「さて、お互いの紹介も済んだことだし、早速本題に入ろうか」アレクシス生徒会長が言った。
「アーデン、君は卒業後のことを考えたことはあるか?」
意外だった。精霊術のことを聞かれると思っていたのに、卒業後のことを聞かれるとは思わなかった。
「卒業後のこと、ですか?」思わず聞き返した。
「君は次は三年だろう。進級すると、専門的な選択講義もある。考えておかないと困ることになるぞ」ルーカス副会長が言い添えた。
アレクシス生徒会長は静かに右手を上げ、副会長を制した。
「少しくらい選択講義を間違えても影響はないさ」そう言ってから、俺を見て、続けた。
「すまないが、私の権限で君の成績を調べさせてもらった。座学は優秀、実技は、ムラがあるようだが、そうだな……王国の行政や教育研究機関、他にも様々な職種がある」
「このような道もあるということだ。知っておいたほうがいい」ルーカス副会長が静かに続けた。その一言が、なぜか頭の奥に引っかかった。
少し時間を置いた。なぜこんなことを聞いてくるのかはわからなかった。でも目の前にいるのは王子だ。嘘をつく気にもなれなかったし、空虚な答えを返す気にもなれなかった。
「すみません。まだ、はっきりとは考えていません」正直に言ってから、続けた。「ただ、大切な人を守れるようになりたいとは思っています」
「大切な人、か……。いい考えだ」
アレクシス生徒会長は表情を変えずに言った。じっと俺を見ていた。
「最後にもう一つ、聞いてもいいかい?」
「はい」
「なぜ、守りたいと思う?」
少しだけ視線を下げた。何かを見ているわけではなかった。ただ、視線を落とした先に、それはあった。
言葉ではない。泣いている顔。何もできなかった自分。光の断片のようなもの。倒れた人。踏み潰された草花。折れた杖。そういうものが、一瞬だけ、胸の奥で揺れた。
それを確かめてから、顔を上げた。
「……大切な人が悲しんだり、傷ついたりしているのを見るだけなのは、もう嫌なんです。だから、せめて、そうさせないように、守れるようになりたいんです」
「そうか、ありがとう」アレクシス生徒会長が、ほんのわずかだが笑顔になったように見えた。
「今日はとても有意義だったよ。また機会があれば、よろしく頼む」
「はい、そのときは」そう答えて立ち上がった。
部屋を出る前に、もう一度だけ室内を見た。アレクシス生徒会長は静かに頷いていた。ルーカス副会長は、何も言わずにこちらを見ていた。
何を考えているのか、まったく読めなかった。
扉に手をかけ、生徒会室を後にした。
――――――
廊下に出て、ひと息ついた。
結局、呼び出された理由はよくわからなかった。勧誘でも、進路の指示でもなさそうだった。
わからないものはわからないとして、考えるのをやめた。代わりに、自分が言った言葉の重さを確かめながら歩き出した。
大切な人が傷ついているのを、見るだけなのは嫌なんです。
言葉にしたことで、改めてその重さを確かめた気がした。
――――――
(アレクシス視点)
生徒会室の窓の外を見ていた。
リュート・アーデンが廊下へ消えた後も、しばらく動かなかった。
「あのような内容で良かったのですか?」ルーカスが聞いてきた。
「ああ、リュート・アーデンの人となりが知れただけで十分さ」
一拍おいて、ルーカスが続けた。
「……練習場所の件は、引き続き確認させます」
「頼む」
静かに退く気配がした。
大切な人の悲しむ姿を、もう見たくない——か。
純粋な優しさだ、と思った。策略も体裁もない。それは疑いようがなかった。
だが——感情が大きく揺れたとき、その者の理性がどこまで保つかは、また別の話だ。
それに——二属性の精霊術を同時に発現させようとしていた。
ルーカスの報告にあった練習の内容を思い返した。詠唱での精霊術では同時の発現は不可能だ。であれば、制度の外にある精霊術、ということになる。
感情が揺れたとき、制度の外の力がどう動くか。そこには、危うさが潜んでいた。
少なくとも、彼を支えながら、同時に、抑えることができる者が必要だな。
振り返り、机の上に広げられた報告書を見つめた。アリシア・ブランデルの名前があった。それと、ユリウス・フォン・バルネルトの名前も。




