第49話 野の精霊
(リュート視点)
冬季休暇が明け、二月から授業が再開された。
訓練場での実技は厳しいと判断され、実技授業は王都から馬車で二、三時間離れた丘陵地での終日の外部実習に変更された。万が一のとき被害が最小限となるように——という理由だった。その分、別の日に座学が割り当てられ、暴発事故を受けた模擬判断という予期せぬ状況に直面した際の判断力を養うための実践的な授業も増えた。
初めての外部実習の日、馬車は早朝に出発した。
行きの車中で、その日の実習内容が説明された。窓の外では朝霧の中を木々が流れていった。皆が思い思いに過ごす中、ユリウスだけが緊張した顔をしていた。あいつに精霊術が戻ったのか——いや、あの顔は違う。そう思えたが、着けばわかると切り替えた。
丘陵地に着くと、生徒たちが浮き足立った。人気のない丘の上だった。冬の割に温かな空気、乾燥した地面、生い茂った草木。遠くに穏やかに流れる川の音が聞こえた。頬を撫でる風は軽かった。精霊術に必要な属性が偏りなく揃っていた——よく見つけたな、と思った。
エーレンバルト先生が手を叩いて全員を集めた。隣にはクラウベル先生がいた。
「学院内と違い、自然は変化する。その分、精霊術の発動も難しくなることを意識しろ。まずは各自、簡単な精霊術を使ってみろ」
「バルネルト、お前はこっちに来い」
渡された記録板を受け取ったユリウスは、エーレンバルト先生の傍らに残った。リュートはそれを横目で確認し、やはりまだ精霊術が使えないのかと思ったが、それ以上は考えないようにした。
皆が距離を取り、それぞれが詠唱を始めた。ざわめきが広がった。全員が、精霊術の発動に失敗していた。ラインハルトでさえ、失敗していた。
俺はここの精霊の反応が学院内と違うことを感じていた。学院の精霊は詠唱による呼びかけに、良くも悪くも慣れてしまっていた。対してここの精霊は自由で軽かった。詠唱の命令に縛られていない。それが発動を難しくしているのだと、感じればすぐにわかった。
「どうだ、わかったか?」エーレンバルト先生が声を上げた。
「学院内と違い、自然の精霊は一定ではない。その分制御が難しい。だが、ここの精霊を従え、命令できるようになれば、精霊術の幅が広がる」
違うだろ、と心の中で思いながら、詠唱するふりをして様子を見た。発動させようと思えばできる。しかし皆が失敗している中で一人だけ早々に成功させれば目立つ。まずは同じように失敗しているように見せておく方がいい。
それからしばらくして、徐々に生徒たちが発動させ始めた。一人、二人——ぽつぽつと成功の声が上がり始めた頃、リュートは精霊に念じた。
——はじめましてだな。ちょっと力を貸してくれ。
詠唱しているふりをしながら精霊術を発動させた。手のひらの先に水の球ができた。ゆっくりと少し離れた地面に落ちた。
まぁ、こんなものか。次の属性を考えた。
――――――
(ユリウス視点)
記録をつけながら、アーデンに目をやった。
周りが発動させ始めた頃に、あいつも成功させた。わざとらしくもなく。その後も属性を変えながら次々に発動させていく様子を観察していると、違和感があった。詠唱と発動のタイミングが、わずかにズレていた。詠唱の途中のどこかで何かをしている——そういう印象だった。だが、どこで何をしているのかはわからなかった。
以前あいつが言っていたことが頭をよぎった。「精霊にお願いする」聞いたときは取り合わなかった。試したこともあったが、もちろん何も起きなかった。
記録板に目を落とした。他の生徒の状況や結果、改善点を書いた。アーデンの欄だけ、まだ空白だった。なぜ書けないのか、はっきりとはわからなかった。ただ、羽ペンが動かなかった。……書いたら、何かを認めてしまう気がした。自分でもその「何か」がどういうものなのか、うまく言葉にならなかった。
エーレンバルト先生を見ると、他の生徒を眺めていた。もう一度記録板を見て、息を吐いた。「成功」とだけ書いた。
――――――
(ゲオルグ視点)
厳しい目でアーデンを見続けた。
周りが発動させ始めた頃に、アーデンも成功させた。タイミングを合わせたように見えた。最初から使えたのをわざと隠していたのではないか——そういう疑念が頭をよぎった。平民にもかかわらず、だ。
精霊を従えるイメージが足りないとずっと指導してきた。それでも発動させた。詠唱は正しくしているように見えるが、何かが違う。精霊術というのは本来そういうものではないはずだ。秩序の中にあるものを、秩序の外から引っ張り出しているような——
それは、精霊を乱すことだ。人の制御が届かないところへ連れて行くことだ。精霊は人の命令のもとにあってこそ、力になる——そう確信していたから、次の言葉は自然に出た。
放置できる話ではない。このこともシュタイナー司教様に報告しなければならない。
――――――
(リュート視点)
休憩を挟みながらでも一日中精霊術を発動させるのは大変だった。ただ、こんなに長く稽古したのは初めてで、充実感もあった。
後半には皆精霊術を発動できるようになっていた。その分、精霊のざわめきも大きくなった。ざわめきが大きくなるたびに、リュートは一度発動を止め、精霊に呼びかけていた。——大丈夫か。無理してくれなくていいぞ。その度に、精霊は短く、しかし穏やかな感触で返した。以前、火の上位精霊が「大したことはない」と伝えてきたときと同じ質の感触だった。それを信じることにして、また次の精霊術へ切り替えた。
「よし、集合しろ」
エーレンバルト先生が皆を呼び集めた。充実したように見えた。
「全員精霊術は発動できたようだな。では帰りの馬車の中は、今日の実習を振り返り、成果と課題を整理する時間にしろ」
「皆さん、お疲れ様でした。明日は休日ですので、しっかりと体を休めてください。では、馬車に乗ってください」
クラウベル先生が告げた。準備を進めていると、エーレンバルト先生に呼び止められた。
「アーデン、常々言っているが、お前の精霊術には命令するイメージがまだ足りない。しっかりと精霊を従えるイメージを持て」
「わかりました。気をつけます」
一礼して、足早に馬車に乗り込んだ。
馬車に乗り込むと、ラインハルトが見てきた。視線が強かった。前を通ろうとすると、「アーデン」と聞こえた。
「何?」
「貴様の精霊術だ。今日しばらく見ていたが、あれは普通の精霊術ではない。間違った精霊術など認められない」
詠唱と発動のズレを見て、言っているのだとわかった。
嫌味で言っているわけではない、と思った。本気でそう思っている声だった。
「間違った精霊術と言われても……」
「早急に改めることだ」
ラインハルトは席に着いた。リュートは何も言わず馬車の奥に移動した。




