第41話 精霊暴走
(リュート視点)
二日後の朝。目を覚ました。
昨日は臨時の休校だった。先生たちが訓練場の爆発に関する調査を行っていたようだ。何かしらの進展があったのかはわからない。今日から授業が再開された。
余計なことは考えずに、日課である剣術の稽古を行った。二日ぶりだった。昨日の外出禁止でもやもやした気分を晴らすにはちょうどよかった。稽古を終える頃にはいくらか気分は晴れていた。
朝食を終え、授業に向かった。他の生徒も昨日一日の休みが良かったのか、落ち着いていて、普段通りの表情のように見えた。
ただ、ユリウスだけが違った。
一昨日と同じように、手は白くなるほど指を固く絡ませて机の上に置いていた。震えていた。手だけでなく肩まで。何かを必死に押し留めているような震えだった。
「ユリウス、大丈夫か?」
声を掛けずにはいられなかった。
「何度も言わせるな。平民には関係ない」
強気な言葉とは裏腹に、ひどく弱い声だった。
強がるな、そう声が出そうになったとき、ラインハルトが話に入ってきた。
「バルネルト、震えてどうした。まさかまだあの爆発音を怖がっているということはないよな」
からかうような口調だった。
「ありません」
ユリウスが震える声でとだけ発した。
「そうだよな。少し体調が悪いのだろう。今日は今からでも休んだほうが良いのではないか?」
「ご心配ありがとうございます。大丈夫ですので、ご安心ください」
ユリウスの声は震えていたが、言葉だけは整っていた。
「アーデンも席に着くといい。まもなく座学の授業が始まる」
ラインハルトを見た。目が、従え、と言っていた。
「わかった」と言い、席に向かって歩き出そうとすると、ラインハルトが耳元で囁いた。
「礼儀を知らない平民とはいえ、言葉遣いには気をつけろよ」
ラインハルトの顔を横目で見た後、何も言わず席に向かった。
ラインハルトはユリウスの肩に手を置いてから席に着いた。
――――――
午後となり、エーレンバルト先生の実技の授業の時間になった。
今日はいつもの授業ではなく、試験だった。入学から約半年経つということで、その成長を確認するのが目的ということだった。
「今日の試験にはフェルウィン先生とクラウベル先生も補助として参加してくれる」
三人も必要なのか、と思ったが、そういうこともあるかと思い直した。一昨日の爆発で訓練場の壁の一部に穴が空いていたが、今は応急処置として板が打ち付けられていた。雑に打ち込まれた板が、壁の傷口に貼りついていた。
精霊のざわめきは大きかった。何か緊張しているような、息を詰めているような感じがした。
エーレンバルト先生が集合をかけた。行くと、入学試験でも見た的が立っていた。
「今日の試験は入学試験での方式と同じだ。ただし、使用する精霊術はこちらで指定する。火属性の基本、焼却の精霊術だ。各自詠唱文を思い出しておけ。フェルウィン先生とクラウベル先生はそれぞれ記録と的の交換等を行ってくれる」
そう言うと、先生はフェルウィン先生とクラウベル先生と何かを確認し合うように話した。三人が頷いてから、試験が開始された。
一人ずつ呼ばれ、詠唱し、精霊術を発動させ、的に炎を当てていった。
その度に精霊は苦しそうだった。入学試験のときと同じ、いや、それ以上だった。詠唱が流れるたびに胸の奥でひびが入る感触が走った。精霊が痛みに耐えながらも命令に従う、その感触が。
試験を受けた人数が半分を超え、次はラインハルトの番になった。
ラインハルトは他の生徒より滑らかに詠唱した。言葉の流れに澱みがない。その澱みのない滑らかさが、かえって精霊へ命令を強く押し付けているかのように、精霊のざわめきは他の生徒より深く、重く、精霊が痛み、苦しんでいた。
それからまた数人が終わり——次はユリウスの番だった。
ユリウスは顔色が明らかに悪かった。両手を交差させ腕を押さえるような体勢だった。制服の腕のところに深いシワができていた。身体中が震えているようだった。
「大丈夫か、バルネルト。無理するな」
エーレンバルト先生が声をかけた。
「大丈夫です」
震える声で答えた。
「いや、見るからに大丈夫ではない。いいから休め」
ユリウスは首を横に振った。そして構えた。
精霊が一層ざわめき出した。
そのざわめきは次第に大きくなる。嫌悪、拒否、拒絶——様々な感情が流れてきた。
構えただけで、こんなにも。
どうすればいいのかわからなかった。アリシアも同様のようだった。顔色が悪くなっていた。
先生たちは気づいていない、あるいは気にしていないような振る舞いだった。ただ、フェルウィン先生の様子だけが、普段と違わないように見えながら、何かおかしいように思えた。
ユリウスが目を閉じ、ゆっくりと、辿々しく詠唱し始めた。
体の震えは消えていなかった。
詠唱が進むにつれて、精霊の拒絶という感情が、排除へと変化した。
その瞬間、頭に直接想いが流れ込んできた。言葉ではなかった。強烈な、ほとんど叫びのような感情だった。
同時に、ユリウスの精霊術が膨れ上がった。
エーレンバルト先生が何かを言いかけた。口が動きかけて——止まった。
一秒。あるいは二秒。
先生の目は炎を見ていた。驚きではない。計算するような、何かを測る目だった。その目の奥に職業的な本能が灯り、そして消える——何かを我慢しているような、そんな静止だった。
なぜ? もう止めないといけないのでは?
炎が基礎の精霊術ではあり得ないほどの大きさになった。それでもまだ大きくなっていた。
エーレンバルト先生はやがて我に返ったように表情を変え、呆然として動かなくなった。クラウベル先生はキョロキョロと周りを見ていて、何もしようとしていない。フェルウィン先生はただ立っていた。わずかに見える口元がかすかに動き、動き終わった後、口角がほんの少しだけ上がっているように思えた。
「先生!」
アリシアが叫んだ。
それで気を取り直したのか、エーレンバルト先生が「バルネルト、止めろ!」と叫んだ。
聞こえていないのか、止まらないユリウス。
エーレンバルト先生が仕方ないといった表情で詠唱を開始した。
その時、再び流れ込んできた。
邪魔はさせない——そんな感情だった。
詠唱が終わっても精霊術が発動しないことに驚くエーレンバルト先生。
まずい。間に合うか。
精霊との対話を試みた。ダメだ、落ち着いて、と願っても変わらなかった。それでも諦めずに続けた。だが、通じなかった。
対話が通じない。精霊に願う——任せてばかりではダメか、俺がどうにかするしかない。
そう切り替えた瞬間、ユリウスと炎の間に土の壁を立てた。
詠唱は唱えない。精霊に頼む。頼みながら、壁を大きくしていく。厚く。高く。炎を覆えるだけの大きさに。
ついに炎が爆発した。
土の壁がユリウスを守る。反対側——壁の隙間が空いている方へ、爆発した精霊術が広がった。辺りを吹き飛ばしていた。
激しい爆音と爆風、高熱が生じた。
やがて音と風、熱が消えた。視界が開けると訓練場が半壊していた。誰も何も喋らない。悲鳴すらない。動きもない。ただ、静まり返っていた。
しかし、人的被害はなかった。反対側にいたフェルウィン先生とクラウベル先生は、爆発間際に避難していたようだった。
ユリウスはその場で倒れ、意識を失っていた。
生徒たちは壁際に固まっていた。誰も動かなかった。アリシアと目が合った。青い顔のまま、ほっとしたように息を吐いた。クラリスはアリシアの袖を掴んだまま、訓練場の惨状を見渡していた。声が出ない、という顔だった。
エーレンバルト先生はその惨状を見て顔をしかめ、それからゆっくりと俺を見た。
エーレンバルト先生が止められなかった炎を、生徒が壁一枚で封じた。その事実を測るような、静かで冷たい視線だった。ラインハルトも、同じように俺を見ていた。ただし、その目に宿っているものはエーレンバルト先生とは、少し違う種類のものに思えた。
立ったまま、動けなかった。
遅かった。エーレンバルト先生があの一秒か二秒、炎を見ていたあの静止の瞬間——あそこで動けばよかった。先生が動かないのかと確認していたのは、判断ではなくただの躊躇いだ。精霊との対話を試みた時間も、今となっては引き伸ばしにすぎなかった。通じなかった時点で切り替えるべきだった。あの時間の分だけ、壁は薄く小さく、制御が甘くなった。
倒れているユリウスは静かに呼吸をしていた。顔色は良くなっていた。
この五ヶ月間、ずっと俺を睨んでいた。目が合うたびに、関わるなという意思が伝わってきた。それは今もたぶん変わらないだろう。でも今は、その顔が静かだった。
助けた、ということは確かだった。なのに、何かすっきりしない気持ちが残った。助けたから何か変わるわけでも、関係が変わるわけでもないだろう。ただ、危なかったから、そこにいたから、手が動いた。それだけのことだった。
そう思いながら、一度だけユリウスの顔を見た。それから視線を前に戻した。
暴走しそうなのを抑えて我慢していた。そして抑えられなくなって暴発した。でも、それはユリウスの意思じゃなくて精霊が選んだ結果と思うしかなかった。どうしてユリウスだったのかはわからなかった。
壁が間に合ったから助かった。でもそれは、たまたま間に合っただけだった。あと一拍遅ければ壁が届いていなかったかもしれない。今日がそうでなかっただけで、次は間に合わないかもしれない。
こんなことがこれからも続くのか? それはどうしたら止められる?
詠唱による精霊術で精霊が苦しんでいることを学院は知らないのか?知っていて続けているのか?どうしてこんな仕組みになっている?
疑問は尽きなかった。
エーレンバルト先生が指示を出した。全員教室に戻り待機だ——フェルウィン先生に引率を頼み、クラウベル先生は学院長に連絡を、と短く告げた。クラウベル先生が走って出ていき、フェルウィン先生が皆を集めた。皆、表情が暗かった。俺も集まり、訓練場を後にした。
後ろを振り返ると、エーレンバルト先生は倒れたユリウスとともに訓練場に残っていた。厳しい表情でユリウスを見ていた。




