第29話 隔別 ー帰還ー
(ヴァルト視点)
城の、誰も使っていない一室だった。
魔法陣の光が収束すると、石の床が足の下にあった。足元を確認してから、顔を上げた。ヴェルザリア姉上とガルディス兄上が正面に立っていた。二人ともこちらを見ていた。
「意外に早かったですね」と言った。
ヴェルザリア姉上がほっと息を吐いた。その吐き方が、いつもの姉上のものではなかった。どこかに力が入ったままだったものが、ようやく抜けた、そういう息だった。
ガルディス兄上が「無事か?」と聞いてきた。
「問題ありません」と答えた。
ガルディス兄上の顔を、少し長く見た。目の下に疲れが残っていた。一ヶ月分の、静かな疲れだった。何かを言おうとして、口が開きかけて、止まった。ヴェルザリア姉上もそれを見ていた。何も言わなかった。
何を言えばいいかわからないのだろう。それはこちらも同じだった。
「ありがとう」と言おうとしたが、言葉は出なかった。「助かった」も、他の感謝や労いの言葉も。出てしまえば、この一ヶ月にこの二人が費やしたものの重さが、全部こちらに来る気がした。それを受け取れるかどうか、まだわからなかった。
「父上のところに報告へ行きます」と伝えた。ガルディス兄上が小さく頷いた。ヴェルザリア姉上も頷いた。どちらも静かな頷き方だったから、余計に喉の奥が詰まった。
一度、床を見た。それから顔を上げて、部屋を出た。
――――――
父上の執務室を訪れた。ノックして名を告げると、「入れ」と返ってきた。
「どうした?」と父上が言った。
「人界より帰還した報告に参りました」
「そうか。伝えることはあるか?」
「後ほど報告書を提出します」
「わかった」
父上の目がこちらを一瞬だけ見た。何かを確かめるような目だった。それから視線が書類に戻った。
礼をして部屋を出た。
――――――
次に母上の部屋を訪ねた。
扉を開いた瞬間、母上が走り出してきた。そのまま抱きしめられた。
「母上、ただいま戻りました」
「無事なの?怪我はない?」と震える声で聞いてきた。
「はい、ありません」と答えた。
少し間をおいた。
「訪れた先の者たちは随分よくしてくれましたので」
母上の顔がわずかに動いた。
「……人族が」
「ええ」
それ以上は言わなかった。リュートのこと、ガレス殿たちのこと、あの一ヶ月のことを、今ここで言葉にするつもりはなかった。言えば、何かが変質する気がした。
「今日はゆっくり休みなさい。また、お話を聞かせてね」
「はい。では失礼します」
頭を下げて、部屋を出た。
――――――
自室に戻る廊下で、ラグナスとすれ違った。
「先ほど戻ってまいりましたよ。ラグナス」と言った。
ラグナスの顔が引き攣っていた。
「……無事だったのか」
「おかげさまで良い経験ができました。それでは」
そう言い、自室に入った。扉を閉めた。
窓の外を見た。遠くに見える観測塔を探した。消えていた光が、静かに灯っていた。
――――――
(リュート視点)
ガレス様に、ヴァルトに迎えが来て帰ったこと、手紙を預かっていることを伝え、ヴァルトからの手紙を渡した。
ガレス様は読んで少し考えた後、アリシアと俺にも手紙を見せてくれた。
世話になった。拾われたのがあなた方で本当に良かった。いずれ借りは返す。それまで、お元気で。
そんな内容だった。
アリシアに渡すと、アリシアはしばらく黙って読んでいた。
読み終えてから、少しはにかんだ。
「俺も見せてくれ」と手を伸ばすと、アリシアは慌てて紙を胸に押しつけた。
「ダメ」
それだけだった。
家に帰って、家族にもヴァルトが帰ったことを伝えた。
父さんと兄さんはそうか、と言い、少し寂しそうな顔を見せた。母さんは「そう、寂しくなるわね」といつもの調子で言った。スーリィはショックを受けているようだった。涙を見せていた。歳の近い兄がもう一人できたように思っていたのだろう。次の日には元に戻っていたようだったが。
その夜、一人で空を見た。
魔界というのは、どのあたりにあるんだろうか。精霊に確認すると、理解できないという感触が返ってきた。俺自身もよくわかっていないので、それはそうだと思った。
「またな」と言っていた。
その三文字が、思ったより長く、夜の中に残った。
今話で第一部「幼年期」完、次話から第二部「青年期ーリュート編ー」となります。
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