第20話 再会 ー翌日ー
(リュート視点)
客室を出た後、俺は廊下で一人になった。
なぜ警戒が甘くなるのかわからなかった。少し時間が経つと気が緩んでいることに気づいて、慌てて警戒し直す。それを繰り返した。見知らぬ子どもが森で倒れていたのだ。警戒を解く理由がない。なのに、不思議と怖い気がしなかった。
そうしているうちに、エリオット様と兄さんが戻ってきた。森の調査の報告は、異常なし、見慣れないものもなし、ただ普段より森が静かだった気がした、という内容だった。
皆でヴァルトのことを話し合った。
ガレス様がエリオット様たちに状況を伝えた。名前以外の記憶がないが言葉は交わせる。身なりと言動から身分がかなり高いと思われる。ただ少なくともこの国の王族や高位貴族の子どもではない——言葉の選び方や所作に、この国のものとは異なる感覚があった。
これまでの情報では迷い魔は対話もできずただ暴れているとのことだったから、おそらく迷い魔ではないという結論になった。「しばらく館で保護し、客人扱いにする」というガレス様の方針になった。記憶がない、素性がわからない、しかし身分は高そうだという状況では、それしかなかった。監視も兼ねて、ということだった。
家に帰ると母さんとスーリィが帰ってきていた。
「三つ光ったよ」とスーリィが言った。嬉しそうでも落ち込んだ様子でもなかった。判定板に手を翳した時、精霊が集まって何かをしていたのも見えたと教えてくれた。今年は敵性者はいなかったそうだ。
ヴァルトのことを話した。スーリィが会ってみたいと言った。父さんが帰ってきてから聞くと、「何が記憶が戻るきっかけになるかもしれない。会ってみるのも悪くない」という答えが返ってきた。危険では、と問うと、「精霊が嫌な感じはしていないんだろ?何かあるようならリュート、お前が守れ」と言われた。
その夜、一人で横になってから、なんとなくその名前を声に出してみた。
「ヴァルト」と。誰もいない部屋で、誰に向けたわけでもなかった。確かめたかったわけでもなかった。言ってしまった後、少し黙った。何も変わらなかった。それでも、言った後で、妙な感触が残った。指の先が少し冷えるような、胸の奥が静かになるような——うまく説明できなかった。俺はそれをそのまま持ち越して、眠りに落ちた。
翌日の午後、スーリィと二人で館を訪れた。
着くと、アリシアがヴァルトに館の中を案内しているところだった。ヴァルトがこちらに気づいた。
「君は昨日の……」
「リュートだ」
「ああ、昨日は感謝もせずにすまなかった。君が見つけてくれたんだろう?助かった」
「いや、別に、大丈夫だ」
「そちらは?」
「妹のスーリィだ。昨日判定の儀が終わったばかりだ」
「そうか。俺はヴァルト。よろしく頼む」
「スーリィだよ。よろしくね」
ヴァルト自身がヴァルトと名乗るのを聞いた時、何かがずれているような違和感があった。うまく言葉にできなかった。ただ、どこかに引っかかりが残った。
「ところで……判定の儀とは?」
八歳になる年に受けるもの。教会は精霊術の適性があるかを判定する儀式と言っているが、実際はそうじゃないと思っている。俺は判定の儀で適性なしと判定されたが精霊術が使えるから。なぜそうなのかはわからない、と説明した。
「精霊術……もし、よかったら見せてもらえないか」
アリシアに目を向けると、「いいんじゃない?」という答えが返ってきた。
四人で庭に出た。ベンチにヴァルトを座らせた。
「じゃあやるぞ、軽くな」
「ああ」とだけ返ってきた。
意識を手のひらに集中した。精霊が集まってくる感触があった。土が集まり、形になる。土人形ができた。
「これが、精霊術……」
ヴァルトが驚きとともに一瞬だけ信じられないという表情を見せた。しかしそれは一瞬だった。次の瞬間、何かを警戒するように周囲を見渡していた。
「精霊術を使っている時、何かいなかったか?」
「見えるのか?」
「見える、というのが正確かはわからないが……何かを感じた。初めての感覚だ」
「感じることはできるんだな。悪さはしないよ。気になっているだけかな」
スーリィがむくれた。
「お兄ちゃんばっかり話してズルい」
「ごめんごめん」と謝ると、ヴァルトが「スーリィも精霊術が使えるのかい?」と聞いた。
「ううん、使えない。でも精霊は見えるよ。この前見えるようになったの」とスーリィは胸を張った。
「へえ。アリシア、君もかい?」
「私も少しだけどね」とアリシアが答えた。
「見えるのが普通なのか?」
「いや、普通は見えないし感じることもできないな。お母さんは感じられるみたいだけど」
「普通はそうなのか」とヴァルトは少し考える仕草をした。
「とりあえずはこんな感じだな。館の中に入るか」
皆が頷いた。アリシアが一番先に扉に向かった。
――――――
(ヴァルト視点)
中に入ると、主にスーリィが話してくれた。村のこと、精霊のこと、森のこと、エリオットとランベルトのこと。
俺は興味深く聞いた。普段は王族や貴族、役人くらいとしか話さない。こうして平民とたわいもない会話をしたのは初めてのことだった。いずれ魔界に戻れた時、こういう経験も役に立つはずだ。
リュートが珍しそうな顔をしている。倒れていた時の服装から高い身分だと思っているのだろう。高い身分の者が平民の話をほとんど聞かないのは、どの世界でも同じかと心の中で苦笑した。
ただ、その分析の感触が、なぜか少し居心地が悪かった。分析の習慣そのものに問題があるわけではない。ただ、こういう時に誰かを「分析する」というのが、何かを損なっている気がした。それが何なのかは、うまく言葉にならなかった。
アリシアが使用人に飲み物を頼んでいたようで、果実水が出てきた。
スーリィがわーいと喜んで飲む。そんな光景を見て、和むとはこういうことなのかと思いながら、俺も飲んだ。
初めての味だった。思わず見入ってしまった。
「どうしたの?」とスーリィが聞いてきた。
「いや、飲んだことがなかったから、つい」と少し恥ずかしく答えた。
「そうなんだ。それならいっぱい飲むといいよ」とスーリィは笑顔で言った。
「ありがとう」
しばらくして、アーデン殿に呼ばれて三人が席を外した。
ちょうどよかった。少し整理したかったことがあった。
精霊術は魔法に似ているが同じではない。魔法は体内の魔力を直接発動する。精霊術は違う——リュートを見ていると、精霊が術者の代わりに術を発しているのがわかった。そして精霊は意思を持ち、関係性を持つ存在らしい。魔界の魔法の感覚でこの空間に何かを放てば、即座に気づかれるだろう。当面は控えるべきだ。
人族が何かの弾みで魔界に飛ばされることがあるという話は聞いていた。魔界では落ち人と呼ばれ、力を持たない奴隷という扱いのはずだ。だがここでは、少なくともこの部屋の中では、俺がそういう扱いを受けるとは思えない。
世界によって、価値の基準がまるで違う。それは知っていたが、実際に感じたのは初めてだった。
あとはこれからの事だな、と無意識に空になった器を両手で包み、窓の外を眺めていた。
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