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隔絶した世界に転生した親友と  作者: まーくん


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2/21

プロローグ ー光の前夜ー

 居酒屋のテーブルは、相変わらず狭かった。

 グラスが二つと瓶ビールが一本。枝豆が一皿。それだけで埋まる四人がけのテーブルで、内田侑人は向かいの男を眺めていた。

 

 朝倉勇人。四十三歳。元・学生起業家。現・バツイチ予備軍。

 久しぶりに会ったわりには、変わっていない顔だと思った。いや、正確には――変わったのに、変わっていない。そういう顔だ。学生のころから人を引きつける顔立ちで、それは今も健在だった。ただ目の奥に、昔はなかった何かが宿っていた。疲労とも諦めとも少し違う、うまく名前のつけられないもの。侑人はずっとそれが気になっていたが、とりあえず今は黙っておくことにした。

 

「で、最近どうよ」勇人が言った。

「どうもこうも、いつも通りだよ。仕事して、帰って、アニメ見て寝る」

「充実してんな」

「充実してるかそれが」

「してるだろ。やりたいことだけやってる人生じゃないか」

 

 侑人は少し考えた。


「そう言われると、まあそうかもな」

 

 勇人がニヤっとした。


「お前って昔からそうだよな。羨ましいわ、ある意味」

「ある意味、ってどういう意味だよ」

「褒めてる」

「褒め方が雑すぎる」

 

 笑いながら、ビールを飲んだ。

 

「今期のおすすめは?俺、最近全然追えてなくて」勇人が聞いた。

「あー、今期ならスライム転生が面白いよ。スライムに転生した主人公が異世界で成り上がってくやつ」

「へえ」

 

 それだけだった。

 

 昔なら「どんな感じ?」「主人公強いの?」と食いついてきたはずだった。学生のころ、二人でアニメの話をするときは勇人の方が熱量が高かった。それが今は、とりあえず聞いただけのような顔をしていた。興味があるのかないのか、どちらとも取れる曖昧な相槌。侑人はそれ以上アニメの話を続けるのをやめた。

 

 昔ハマったゲームの話、学生時代の話。どれも大した中身はなかったが、それがちょうどよかった。久しぶりに会ったときほど、たわいない話の方が場が温まる。二人ともそれをわかっていた。

 

 追加でビールを頼み、揚げ出し豆腐をつつきながら、一時間ほどそうやって過ごした。

 

 区切りのいいところで、勇人がグラスを置いた。

 

 少しだけ、空気が変わった。

 

「実はさ」と勇人が言った。

「今日、話があって呼んだんだよ」

「うん」

「報告、というか。ちゃんと話しておきたくて」

 

 侑人は返す言葉を選ぶのをやめた。何か言うより、ただ聞いている方が正解な気がした。長い付き合いで学んだことのひとつだ。勇人は、同情されるのが得意じゃない。気の利いた慰めより、黙って向かいにいる方がたぶん意味がある。

 

「離婚、正式に決まった。先月」

「……そうか」

「子供は向こうに行く。二人とも」

 

 短い沈黙が落ちた。

 

「不倫発覚から半年かけて話し合って、それで出た結論がそれだよ。笑えるだろ」

「笑えない」

「だよな」


 勇人がビールをあおった。

 

「でも笑うしかないときがあるんだよ。お前はそういうの、わかるか?」

「わからん。でも、お前がしんどい状況にいたのはなんとなく気づいてた」

 

 勇人が顔を上げた。

 

「なんとなく、か」

「このところ連絡のタイミングがおかしかったから」

 

 しばらく間があって、勇人は小さく笑った。

 

「お前、そういうとこだけ妙に鋭いよな」

「そういうとこだけ、ってどういうとこだよ」

「それ以外は全部鈍い、ってこと」

「ひどいな」

「ほめてる」

 

 二人で笑った。ビールを注ぎ合う。くだらない言い合いで笑うのが、この二人の間の習慣だった。大学のころから何も変わっていない。侑人はそれが嬉しくて、少しだけ切なかった。


――――――


 ぽつぽつと、勇人は話した。

 

 結婚してから十二年。子供が二人。会社は順調で、傍から見れば「成功した男」の典型だった。実際、そうだったのだと思う。少なくとも、ある時期までは。

 

「向こうが誰かと会ってるって気づいたのは、二年前くらいだった。でも確信が持てなくて。証拠もなくて。俺の思い違いかもしれないって、ずっとそう思い込もうとしてた」

「気づいてたのに、か」

「気づいてたのに、な。馬鹿だろ」

「馬鹿じゃないと思う」

「じゃあ何だよ」

 

 侑人は少し考えた。

 

「怖かったんじゃないか。確かめて、本当のことを知るのが」

 

 勇人はそれには答えなかった。グラスを両手で包んで、テーブルの木目をしばらく眺めていた。

 

 昔からそうだ。本当に悩んでいるとき、勇人は必ずそうする。両手でジョッキやグラスを包んで、どこか遠いところを見る。それを侑人が知っていても、指摘したことは一度もなかった。

 

「上の子がな、去年の夏、お前も一緒に花火に行っただろ」

「うん」

「あのとき肩車してやったら、めちゃくちゃ喜んでさ。打ち上がるたびに「パパ見て」って。ずっと「パパ見て」って言ってた」

 

 侑人は黙って聞いていた。

 

「下の子はまだ小さいから、俺のことちゃんとわかってるかどうかもあやしい。でも上の子は……わかってるよな、いろいろ」

 

 勇人は小さく息を吐いた。

 

「子供たちの顔、見るたびに思うんだよ。俺が間違えたのか、間違えたのは向こうなのか、って。でも最終的には、どっちでもよくなってくる。子供は本当の父親のいない家で育つ。それだけが残る」

 

 侑人は黙っていた。

 

「お前は正解だよ、結婚しなくて」

「そういう話じゃないだろ」

「そうだな。そういう話じゃないな。ごめん、愚痴った」勇人は苦く笑った。

「愚痴っていい」

 

 勇人がまた侑人の顔を見た。今度は少し違う目で。

 

「お前、昔からそうだよな」

「何が」

「人に言い訳させるのが上手い。責めずに聞く。なんか、それって結構難しいことだと思うんだけど」

「難しいとは思ってないけど」

「だから上手いんだよ」

 

 侑人は何と返せばいいかわからなくて、とりあえずビールを飲んだ。勇人が小さく笑うのが、グラス越しに見えた。さっきより少しだけ、楽そうな顔になっていた。

 

 それで十分だと思った。


――――――


 会計を済ませて店を出ると、十一月の夜気が首筋に刺さった。

 

 駅へ向かう道を歩いた。繁華街を抜けると、人通りがぐっと減る。幹線道路沿いの歩道で、車の通りだけはまだ多かった。アスファルトが街灯を鈍く照り返していて、二人の影が前後に伸びては縮んだ。どこかの店から音楽が漏れてきて、すぐに遠くなった。

 

「これからどうするんだ」と侑人は聞いた。

「どうするって、何が」

「何がって、全部。仕事も、生活も」

 

 勇人はしばらく黙って歩いた。靴底が濡れた歩道を踏む音だけが、しばらく続いた。

 

「仕事はまあ、続けるよ。会社は関係ないし。生活は……どうするかな。一人になるのは久しぶりすぎて、正直まだ実感がない」

「子供とは会えるのか」

「月一くらいで会う約束はした。守られるかどうかは、向こう次第だけど」

 

 侑人は何も言わなかった。

 

「笑えるよな。月一だぞ。毎日一緒にいたのに」

「笑えない」

「だな」

 

 また二人で笑った。さっきと同じやりとりだったが、今度は少し違う笑い方だった。苦さと、それでもどこか軽くなるような、妙な感じが混じっていた。

 

「まあ、なんとかなるだろ。お前みたいに、仕事して帰ってアニメ見て寝る生活、案外悪くないかもな」

「それ褒めてるのか貶してるのかどっちだよ」

「褒めてる」

「また雑な褒め方だ」

 

 笑いながら、歩いた。

 

「また飲もうな」と勇人が言った。

「うん」と侑人は答えた。

 

 それだけで、十分だった。いつもそうだ。どれだけ久しぶりでも、どれだけ重い話をしても、勇人は必ず最後にそう言う。それが合図みたいなものだった。今夜はここで終わり、でもまた続きがある、という。

 

 次はいつ会えるかな、と侑人はぼんやり思った。こうして二人で飲むのは久しぶりで、次もまたしばらく間が空くだろう。でもそれでいい気もしていた。頻繁に会わなくても、こういう夜があれば十分だ。お互いにとって、たぶんそういう関係だった。

 

 横断歩道の手前で立ち止まった。赤信号だった。深夜に近い時間帯で、左右を走り抜ける車もまばらだった。勇人が何か言いかけた、その瞬間。

 

 光が来た。

 

 正面から。車道の向こうから。夜の暗さを引き裂くような、強くて白い光。

 

 音は――あったのかもしれない。でも侑人には聞こえなかった。ただ、世界が一瞬で塗り潰されて、足元が消えた。

 

 浮いているのか、落ちているのか。どちらかかもわからないまま、侑人の意識は急速に薄れていった。

 

 最後に思ったのは、勇人のことだった。

 

 あいつは大丈夫か。

 

 それだけだった。


――――――


 二つの魂が、同じ夜に落ちた。

 

 行き先も、理由も、何も知らないまま。

 

 それが偶然でなかったことを――二人はまだ、知らない。


本日は時間をおいて、後四話投稿予定です。

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