第17話 邂逅 ー歪みの朝ー
(リュート視点)
あの戦闘から一年が経っていた。
南の方角から迷い魔の知らせが届くたびに、一年前の夜を思い出した。光の感触。剛猛な炎。そしてその後の空気の変質。それが今は別の場所で、別の人たちの問題として続いていた。ブランデル領には来なかった。そのことが、遠くて、少し後ろめたかった。
頻度こそ落ちたものの、迷い魔は各地に出没し続けていた。現れるたびに大規模な被害が出て、討伐軍が結成された。出没の多くはブランデル領の南西に集中していたが、父さんは「しばらくは来ないだろう」という見方だった。根拠は聞かなかった。たぶん聞いても俺にはまだわからないことだった。
ヴァルデンブルク様からの使者も何度か来た。前回の戦闘で精霊術を見たことで実力が知られ、勧誘が続いている。まだ子どもだということで断り続けているが、「子ども」という言い訳がいつまで使えるかはわからなかった。ヴァルデンブルク様も強硬な手段には出ていない。教会の目を引くことを避けたい思惑があるらしく、その事情がしばらく俺に有利に働いていた。
今年でエリオット様と兄さんが成人した。二人ともどこか落ち着いた顔になった気がした。母さんがそう言っていた。普段の様子はさほど変わらないが、勉強が公務に変わった分、忙しそうだった。俺にとっての「成人」はまだ数年先の話で、その区切りがどういう意味を持つのかもよくわからなかった。ただ、二人が大人の側に移ったことで、何かが少し変わった気がした。うまく言葉にはできなかった。
そしてスーリィに変化があったのは、判定の儀の一週間前のことだった。
その日の夕方、食卓でスーリィが「精霊が見える」と言い出した。母さんは驚かなかった。俺も驚かなかった。なんとなく、そういうことだろうと思っていた。アリシアのように俺から教わったわけでもない。母さんが精霊の気配を感じられること、俺が精霊と心を通わせるようになったことから、遺伝のようなものだろうというのが家族の見解だった。ただ精霊術は使えない。スーリィ本人はそのことをさほど気にしていなかった。見えるだけで十分だ、と言いたげな顔をしていた。
アーデン家とブランデル家では、判定の儀はとっくに「ただの義務」になっていた。俺もアリシアも適性なしと判定されながら普通に精霊術を使っているのだから、儀式そのものに意味があるとは誰も思っていなかった。
――――――
判定の儀の朝、スーリィと母さんが教会へ向かった。
その朝は、光が薄かった。
雲は出ていなかった。風もなく、雨も降っていない。それなのに朝の光がどこかに一枚膜を挟まれているように弱く、庭の草も石垣の苔も、いつもより色が落ちて見えた。空は晴れているのに、どこかが違った。
精霊のざわめきがあった。一年前の、あの日のような——嫌だ、怖い、という感情ではなかった。もっと静かな、いつもの朝の中に何かが混じっている、そういう歪みだった。精霊たちも原因がわからないようで、感触が落ち着かない様子だった。
昼前に、空が暗くなった。
雲はない。雨も降っていない。それなのに光が消えた。
一瞬だった。
森の方角に何かが落ちた——光が降ってきたような、しかし光というのも正確ではないような何かが、遠くで起きた気がした。精霊に確認すると、理解できないという感触が返ってきた。ただ何かがいる、とは伝えてくれた。
緊張が走った。
調査することになったが、判定の儀の最中に大規模には動けない。ガレス様とエリオット様が素早く判断した。四人で向かう。二手に分かれる。エリオット様と兄さん、父さんと俺。迷い魔の可能性があるなら即座に引き返すーーその厳守を胸に、父さんと二人で森に入った。
いつもより静かだった。鳥の声がない。虫の声もほとんどない。光の差し方が違う。葉の間を通る光がいつもより白く、鋭かった。踏む枯れ草の音だけが、やけにはっきり聞こえた。
しばらく歩いた時、胸が一度大きく脈打った。
痛みではなかった。衝撃でもなかった。何か大きなものが動いたような、そういう感触だった。なぜそう感じたのかわからないまま、気づけば木の根元に目が向いていた。
人が倒れていた。父さんと同時に足を止め、目を合わせた。大きさから子どもだとわかった。慎重に近づいた。
近づいて初めて、服装が目に入った。
立派だった。俺の見たことのないような素材と意匠の衣だった。汚れていない。怪我をした痕跡もない。高位の身分の者だとわかった。
父さんが目で俺に周囲の警戒を指示してから、膝をついて肩を軽く叩いた。反応がない。何度か繰り返す。息はしている。しかし意識は戻らない。
「連れて帰るぞ」と父さんは言った。
父さんがその子を背負い、俺は周囲を警戒しながら歩いた。森はただ静かなまま、何も起きなかった。
――――――
館に戻ってガレス様に報告した。客室に寝かせ、医者を呼んだ。脈も呼吸も体温も問題ない。外傷もない。意識だけがない。持ち物を確認した。危険なものはなかった。
精霊に確認した。嫌な感じはしない、という感触が返ってきた。ただ少しずれている、苦手かもしれない、という補足が続いた。
父さんが報告のために席を外した後、俺はその子の顔をちゃんと見た。
助けること、確認することに集中していて、顔を見る余裕がなかった。触れてもいなかった。
改めて覗き込むと、再び胸が大きくドクンとした。
さっきもあった。なぜそう感じるのかわからなかった。
よく見た。整った顔立ち。黒い目、黒い髪。俺と同じ色だった。歳は同じくらいに見える。服装は明らかに高位の者のものだが、汚れていない。初対面なのは間違いない。しかしどこか懐かしく、安心するような気持ちが胸の奥から湧いてきた。うまく説明できなかった。
その時、その子の瞼が動いた。
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