第14話 予兆 ー見えない痕跡ー
(ヴァルト視点)
行方不明者の名前を並べた。
六人。全員が、二年前の帳簿の不正を俺が指摘した結果、処分された元役人だった。偶然とは考えなかった。共通点が多すぎるし、時期も揃いすぎている。何かが動いている。
ラグナスが関与しているという仮説は立てた。根拠はまだない。ただ、この共通点を持つ人間が一人ずつ消えていくことから利益を得る者が誰かを考えれば、ラグナスの名前が出てくる。
遠征から帰ってきた夜に、俺は老兵のことを考えた。
三十年戦って、終わってほしいと言っていた人間が、戻ってこなかった。その事実の前に立って、俺は今何かを感じるべきかどうかを考えた。感じるべきかどうかという問いを立てること自体が、すでに何かの答えかもしれなかった。ただ、感じた内容を今役に立てることはできない。だから調べることをやる。今できることをやる。それだけだ。
最初に城内の記録を調べた。
六人が最後に確認されている場所と時刻を集めた。三人は城内の作業場の近く。二人は城門付近。残り一人は記録自体がほとんどなかった。
目撃者を探したが、誰もはっきり覚えていなかった。
それで十分だ、と思った。
急に人は消えない。ただ、消えた後に誰も確認できない状況が作られていれば、消えたように見える。その状況を意図的に作れる者がいる。
次に、城内で人が来ない場所を探した。
廊下の外れ、倉庫の裏、地下への階段。エドがいなくなった後から、俺は城の構造を頭の中に入れ直していた。どこに人が来て、どこに来ないかを。
地下の一室が引っかかった。
兵站区画のさらに奥、燭台も少なく、石の壁が厚いところだった。保管庫として記録されていたが、最近の出入り記録がなかった。正確には、記録が始まっていなかった。
扉は施錠されていなかった。
中に入ると、空気が重かった。石の冷えと、何か焦げた匂いの残滓が混じっていた。燃え切った蝋燭の跡が床に残っていた。
床に、模様が刻まれていた。
石の床全体に及ぶ、緻密な魔法陣の跡だった。完全には消されていなかった。削り取られた部分があったが、残った線が多かった。全体像は読み取れた。
……座標、この紋は……位相?
……転送魔法か、と俺は思った。
形の特徴が通常の魔法陣と違った。一方向への放出。受け取り側の設定が、陣の中にない。あるいは、対応する陣が別の場所にある。
「ガルディスに見せる必要がある」
声に出した。
――――――
ガルディス兄上の部屋を訪ねたのは夕刻だった。
扉を叩いた。「入っていいよ」という声が返ってきた。
部屋はいつもと同じだった。本が開かれていた。窓から夕日が入っていた。ガルディス兄上が寝台の上で半分起き上がって、俺の顔を見た。
「珍しいね。遠征から帰ってすぐ来るなんて」
「頼みがあります」
「座りなよ」とガルディス兄上は言って、本を膝の上に置いた。それだけで、ちゃんと向き合う気になった、とわかった。ガルディス兄上はそういう人だ。
見取り図を書いて渡した。ガルディス兄上は黙って見た。長かった。
「……転送の応用だね。ただし、普通の転送魔法とは違う。受け取り側が固定されていない。こういう構造だと、送った側の術式の残滓が受け取った者に入り込む可能性があるね」
「それはどういうことですか」
「着地した者の内側に、術式の断片が残る。完全な形ではないから即座には発動しない。ただ、潜伏する。何かのトリガーで活性化するかもしれない。それが何かは、陣の残りを全部見ないとわからないな」
俺は少し考えた。
「行方不明になった元役人が六人います。全員、二年前の件で処分された者です」
ガルディス兄上が俺を見た。何かを言いかけて、やめた。その顔が、少しだけいつものガルディス兄上らしい表情になった。心配しているが、心配していることを表に出しすぎないようにしている、という顔だ。
「……写しを全部持ってきてくれないか。時間はかかるが、解析してみる」
「頼みます」
「ヴァルト。お前、顔色が悪いぞ」
「遠征疲れです」
「そういうことにしておくよ」ガルディス兄上は言った。ただ、そのまま視線を逸らさなかった。数秒だけ、その目が俺を見ていた。何かを確かめるような、何かを渡そうとするような、そういう目だった。
俺は「ありがとう」と言って立ち上がった。
廊下に出てから、少し間を置いた。「ありがとう」という言葉を使ったのは久しぶりだったかもしれない、と思った。誰かに、という意味で。
――――――
捜査を続けた。
六人に共通する接点を探した。同じ職場にいた者が三人。廊下で定期的にすれ違う位置関係にあった者が二人。残り一人は、すぐには共通点が見えなかった。
ラグナスの関与を直接示す証拠は見つからなかった。命令を文書で残す者ではない。経由する人間が複数いる。
ただ、一人だけまだ行方不明になっていない元役人がいた。
二年前の帳簿の件でラグナスと繋がりがあったと推定した者だが、当時は状況が合わなかったため処分の対象から外れた者だった。城内の別の部署で、今も働いていた。
その者を呼んだ。
最初は何も話さなかった。俺が証拠を一つずつ並べた。失踪者の共通点。地下室の魔法陣の跡。術式の特徴。そして名前。
途中から、顔色が変わった。
「……転送の魔法陣の実験でした。ラグナス様が人界への転送を研究していると聞きました。二年前の不正が発覚する前に、ラグナス様の部下から聞いた話です」
「何を送り込もうとしていたかは」
「……わからないです。それは聞かされなかったので」
俺は立ち上がった。それ以上の情報はなさそうだった。
廊下に出て、一人になった。
転送の魔法陣。元役人を実験台にした。人界への転送を研究している。
ここまでは繋がった。
だが、何のために人界に送り込もうとしているのかが、まだわからなかった。
人族を弱体化させる目的か。何かを人界から引き出す目的か。人界の内側から何かをさせる目的か。どれも筋は通る。でもどれも、最後の一歩が欠けていた。案は出る。だが確信が持てなかった。
老兵のことを、また思い出した。
三十年戦って、終わってほしいと言っていた人間が、終わらなかった。その事実と、今目の前にある謎が、頭の中でなぜか隣り合った。理由はわからなかった。ただ、何かが繋がりかけている感触があった。形にはならなかった。
自室に戻って、炎を出した。深い緋色の球。完全な球体。それを眺めた。
「……何のために」
答えは、まだなかった。
窓の外の石畳が、夜の冷気の中で鈍く光っていた。魔法観測塔の灯りが、いつもと変わらない紫に滲んでいた。
変わらない光が、今夜だけはどこか遠く見えた。
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