第140話 決意の夜
(ランベルト視点)
夕方、カテリ殿に案内され、全員で王族専用の食堂へと向かった。リュート、スーリィ、アリシア様、ユリウス殿、俺。五人で連れ立って歩く廊下は、いつもより静かに感じられた。
「ランベルトお兄ちゃん、緊張してる?」
「ソレーヌ様たち王族と夕食だぞ。緊張しない方がおかしいだろ。スーリィは緊張してないのか?」
「え?してないよ。ご飯食べるだけでしょ」
「スーリィは将来大物になるな」
そう言って頭を撫でた。スーリィは照れた表情になった。
「やっぱり兄弟ね」
「うるさい」
「何の話だ?」
「えっとね、リュートも——むぐっ」
「余計なことは言わなくていいんだよ」
後ろからリュートたちの会話が聞こえてきた。リュートもどこかでこんなことがあったのか。その声で、少しだけ肩の力が抜けた。
カテリ殿の足が止まった。
「こちらでございます。すでにソレーヌ様、ロナン様、エノラ様がお待ちです。ごゆっくりお食事をお楽しみください」
「ありがとうございます」
扉が開けられた。席にはソレーヌ陛下たちの他、フェルウィン殿、コランタン殿も座っていた。脇にはロアリック殿も控えていた。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます」
「硬い挨拶はよい。皆、席に着くといい」
「はい。失礼いたします」
食堂内にいた世話役たちがそれぞれを案内してくれた。
「やっぱりリュートとは違うね」
「だから、うるさいって」
そんな会話が聞こえてきた。頼もしい二人だと思った。
全員が席に着くと、陶器の脚杯に飲み物が注がれ、料理が運ばれてきた。陛下が全員を見渡した。
「そなたらを迎えるこの宴は、妾たちにとって特別なひとときだ。今日は心ゆくまで楽しんでほしい」
そこまで言い、杯を持った。それに合わせて、皆も杯を持った。
「この良き夜に精霊の祝福を」
杯を掲げ、一口飲んだ。
「まずは料理を楽しんでくれ」
目の前に置かれている料理は、王族用ということもあるのだろう、豪華な物だった。ユリウス殿は貴族としてこのような場に慣れているのだろう、自然に振る舞っていた。スーリィのことは隣に座っているアリシア様が見てくれていた。リュートも落ち着いて食事を楽しんでいるようだった。
俺は、と言えば、慣れない食事を見様見真似でいただいた。ナイフを持つ手がわずかに震えた。まだ、緊張しているようだった。
緊張していても剣なら震えないのにな。そんなことを考えていた。
料理の味は緊張でわからないかと思ったが、ちゃんと味を楽しめた。緊張しているのかしていないのか、自分でもわからず、思わず笑いそうになるのを必死に堪えた。
しばらく食事を味わった頃、陛下が会話を切り出した。
「我が国はどうだ?不都合などはないか?」
「父が治める領地も自然が豊富で、すぐ近くに森もありますが、魔物が発生する危険な森です。対して、森国では魔物は見かけず、安全な森で羨ましいです」
アリシア様がそう答えると、エノラ様が口を開いた。
「魔物は出ないけど、動物、獣はいるよ。でも、ほとんどは近づくと逃げるから危ないことにはならないか」
「共に森に住むものとして共存できればと思うが、妾たちも生きねばならん。なかなか難しいものだな」
ソレーヌ陛下は皿に目を落とし、手にしたナイフの動きが一瞬だけ止まり、皿の上の肉に、視線がわずかに留まっていた。
「陛下、お心を痛めることはありません。それはやむを得ないものです」
「そうだな。それはそうと、この場では陛下は無しと言っておいたはずだぞ、ロナン。今宵はただのソレーヌだと」
「そうだったな。だが、癖というものはなかなか抜けないものだ。ソレーヌもそうだろう。威厳を出すために作ったその口調はそのままなのか?」
「このままだ。この口調は意外に気に入っておるのだ」
「ママって最初からそうだったんじゃないの?」
「違うぞ。戴冠する前はエノラのような口調だった」
「えっ、私も将来そうなるの?嫌なんだけど」
「嫌とはなんだ嫌とは。まぁエノラの好きにすれば良い」
場が和んだところで、ソレーヌ陛下が話を戻すように、改めて口を開いた。
「話が逸れた。民はどうだ?」
「最初は避けられていました。千年以上昔とはいえ、人間が迫害していたのは事実ですから仕方がないです。ですが、最近は普通に接してもらえることが増えました」
ユリウス殿が答えた。
「そうなのか?」
ロナン様が聞き返した。
「はい。エルフは人間より寿命が長いですが、それでも二、三百年ですよね?何世代も前のことですから、時代と共に薄れてきているのかと思いました」
「人間側はどうなのだ?」
「教会や帝国にはまだ根強く残っているかもしれませんが、それ以外の人間はエルフを見たことのある者はいないと言っていいでしょうから、御伽話のように思っていたり、そもそも存在を知らないといったところかと思います」
「そうなのか?」
「そうだと思います。故郷でエルフをどう思うかを聞いてみても、エルフを知らないという人がほとんどだと思います」
ユリウス殿の言葉に、俺も付け加えた。
「忘れていることが、良いことなのかは分かりませんが、教会関係者を除けば、少なくとも王国の人間は気にしないはずです」
「そうか」
ロナン様はそう言うと、押し黙った。視線がしばらく卓上から動かなかった。何を思い返しているのかまではわからなかったが、その沈黙には、言葉にならない重みがあった。
それからしばらくは、当たり障りのない会話が続いた。緊張は少しずつ解けていき、卓を囲む声が自然と重なり合うようになっていった。窓の外の光は、いつの間にか橙色に変わっていた。灯りが徐々に存在感を増し、卓上に落ちる影を濃くしていた。
談笑が一段落し、束の間の静けさが卓を包んだ。ふと視線を上げると、リュートが穏やかな顔で笑っていた。スーリィも、隣のアリシア様と何かを話して笑っていた。
刃に映っていた自分の顔を、ふと思い出した。
俺は杯を置いた。手のひらに残る重みが、いつもより確かに感じられた。それを確かめるように、息を一つ吸ってから口を開いた。
「この場をお借りして、少しよろしいでしょうか?」
「なんだ?」
ソレーヌ陛下が問い返す。リュートたちも、どうしたという表情をしていた。
「俺は森国を出ようと考えています」
リュートたちが、今度は驚いた表情になった。
「兄さん、急にどうしたの?」
「少し前から考えてはいたんだ。正教国に行こうと思っている」
「それはどういう意味だ?」
ソレーヌ陛下の声が、静かに問うた。
「おそらく父と母は正教国に移送されているはずです。安否と所在を確認しようと思っています」
「そういうことか」
ソレーヌ陛下は、俺が何を考えたのか察したようだった。
「だったら俺も……」
リュートが言いかけたのを、俺は遮った。
「いや、リュート、お前は残れ。言ったろ、安否と所在の確認だって。お前たちの修行が終わってから確認するよりも、俺が先行して確認していた方が効率的だろ」
「いや、でも、一人でなんて……」
リュートを断った以上、俺たちの中で他に俺に同行させられる者はいないことは、リュート自身もわかったようだった。アリシア様とユリウス殿にはこれ以上迷惑をかけられないし、スーリィを同行させることも難しい。誰もが言葉を探して、うまく見つけられずにいた。
その静けさを破るように、ロアリック殿が一度こちらへ視線を寄越した。少し間があってから、口を開いた。
「ならば、私が同行しよう」
ロアリック殿が一歩前に出た。
「ソレーヌ様、私が彼に同行することをお認めいただけないでしょうか?我らとしても正教国の情勢を把握しておくべきかと愚考いたします」
「そうだな。だが、エルフが正教国でどう扱われるか、聞いていなかったわけではあるまい」
「はい、心得ております。そこで、リセル様。その首飾りをお借りできないでしょうか?人間に見えるよう、姿を変えて調査したいと思います」
「時間があったから、いくつか作っているわ。一つあげるわよ」
「ありがとうございます。ソレーヌ様、いかがでしょうか?」
少しの間、ソレーヌ陛下は考え込むように黙っていた。
「ソレーヌ、行かせてやれ。ロアリックが言うことは尤もだ。我らは外のことを知らなすぎる。ロアリックならうまくやるだろう」
ロナン様の言葉に、ソレーヌ陛下が頷いた。
「そうだな。ロアリック、正教国の情勢を調査してくるが良い」
「ありがとうございます」
ロアリック殿の方を見た。目が合うと、ロアリック殿がふっと笑った。あの模擬戦で握った手の感触が、ふと蘇った。
「リセル、首飾りは後どのくらいある?」
「私とロアリックの分を除けば、四つほどあるわ」
「では、リセル、二つ貸せ」
「強引ね。わかったわ。おばさん」
「リセル、その「おばさん」には悪意が篭ってないか?」
「まさか」
ソレーヌ陛下がしばらくフェルウィン殿を見続けたが、フェルウィン殿は気にした様子はなかった。
「まぁよい。ランベルト、ロアリック。後二人つける。準備もある。出発は一週間後とせよ」
「承知いたしました」
立ち上がり、深く頭を下げた。
「ねぇリセル。私にも一つちょうだい」
エノラ様が声を上げた。
「ダメよ。エノラに渡すと勝手に森国から出てしまいそうだもの」
エノラ様が頬を膨らませていた。その様子に、卓を囲む空気が少しだけ和らいだ。窓の外はすでに暗く、灯りに照らされた食卓には、これから始まる旅への緊張と、それでも変わらない賑やかさが同居していた。




