第139話 隔たりの向こう側
(首都エルヴィア 王宮内の女王の執務室)
首都エルヴィアの王宮、その地上層の最奥に設けられた女王執務室には、五月下旬の夜の静けさが満ちていた。窓の外は闇に沈み、卓上に置かれたランプの灯りだけが室内を照らしていた。奥の机にはソレーヌが着き、その傍らにロナンが立ち、向かい合う形で、ロアリックとコランタンも立っていた。
「彼らが滞在して三ヶ月ほど経つが、様子はどうだ?」
ソレーヌが口を開いた。声には威厳があったが、問いの中身は純粋な確認だった。
「はっ、リュート・アーデン始めその他の者の素行に怪しい点や問題点等は見当たりません。また、王宮内の世話役、衛兵とも良好な関係を築いています」
ロアリックが即座に答えた。迷いのない声だった。
「コランタンはどうだ?」
「おかしな行動はないのぉ。皆、儂の修行を真面目に受け取るぞ」
コランタンはいつもの飄々とした調子で答えたが、その目は細められ、じっと五人の様子を見ているようだった。
「そう容易く信じられるものか。人間が我らの祖先をどう扱ってきたか、知らぬわけではあるまい」
ロナンの拳に力がこもった。指の関節がわずかに白くなった。
「落ち着け、ロナンよ。確かに人間は我らエルフを迫害してきた。じゃが、それは千年以上も昔のことじゃ」
「それは我らが身を隠したからだ」
「そうじゃ。エルフは人間の前に姿を見せることはほとんどなくなったのじゃ。であれば、人間もエルフを千年以上も見ておらんのじゃぞ。伝わっておるのも迫害していた事実くらいじゃろて」
「机上の空論に過ぎん」
ロナンの拳に、再び力がこもった。
「ですが、少なくとも、あの五人には我々に対して忌避や侮蔑といった感情を持っていないのは間違いないかと」
わずかな間を置いて、ロアリックが割って入った。
「そうじゃ。それを千年以上も昔の、彼らが生まれる前のことだけで断じるものではなかろう。種族ではなく、一人の人族として見るのじゃ」
ロナンは口を紡いだ。視線が、窓の外の暗がりへと逃げていく。その姿勢のまま、しばらく動かなかった。
「決まったようだな」
ソレーヌがロナンを見た。ロナンは何も言わず、握っていた拳の力を緩めた。
「では、監視は終了だ。ロアリック、ご苦労だった」
「もったいなきお言葉」
「コランタン、引き続き修行をつけてやれ」
「ほっほっほっ、言われんでもやるに決まっておろう。あれほど面白い者たちはそうおらん」
「ロアリック、コランタン、もうよいぞ。明日からは自由にしてよいからな」
二人は一礼し、退室した。扉が閉まる音を聞き終え、ソレーヌは再びロナンへと視線を戻した。
「まったく、頑固者が」
呆れた表情に変わった。小さく息を吐いた。
「近いうちに彼らとの食事の席を設ける。自分の目と耳でしっかりと見極めろ、ロナン」
ロナンがようやくソレーヌの方を向いた。
「エノラの……」
言いかけた言葉を、ソレーヌが即座に遮った。
「エノラも同席させるぞ。エノラがいて困る程度なら、最初から認めていろ」
ロナンが息を吐いた。
「……そうだな、わかった」
向き合った二人は、笑顔を交わした。窓の外では、夜風が枝を鳴らし続けていた。
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(ランベルト視点)
今日も衛兵の訓練に参加した後、俺はいつものようにゴルム殿の工房に来ていた。夜には陛下たちと夕食を共にすることになっている。いつもより少し早めに帰ろうと思っていた。
ゴルム殿とティルナ殿は、いつものように炉に向かい武器を製造していた。今日は槍だった。作業を横目に見ながら、いつものように棚や木箱を整理し始めた。
箱に入っていた剣を手に取り、剣の腹を見るように縦に構えた。最近、良し悪しがわかってきたような気がしていた。この剣は刃の硬度がわずかに均一ではない。かなり注意深く観察すると、刃に映る姿がわずかに曇っていることがわかる程度で、普通であればまったくわからない程度の欠点だった。実際には影響はない様に思えた。
それでもゴルム殿は、これを箱の隅に無造作に放り込んでいた。理由を言葉で聞いたことはないが、その手つきや表情だけで、譲れない何かがあることは伝わってきた。
そのまま剣を眺めた。刃に映る自分の顔が、曇っていた。
リュートたちは目標に向かって努力している。それに対して、俺は衛兵の訓練と工房の手伝い。俺はいつまでこうしているつもりなのか。他に、俺にできる、やるべきことはあるはずだった。
……半年、だな。
父さんと母さんが捕まって、半年が経っていた。
「おい、どうした?ぼさっとして」
振り返ると、いつの間にか作業がひと段落ついたようで、ティルナ殿がすぐ側にいた。
「あ、すみません。ちょっと考え事をしてました」
「脇にいるからって気を抜いてると、ここじゃ怪我するぞ」
「そうですね。すみません」
ゴルム殿が俺を見ていた。
「ランベルト、それ持ってちょっと来い」
そう言うと、剣を持って歩き出した。
「は、はい」
後を追うと、工房の裏手の物置き場に出た。ゴルム殿はしばらく俺を見た後、徐に剣を外側に向けるように持ち上げた。
「その剣で打ち込んでこい」
「剣が折れますよ」
「気にするな」
息を吐き、剣を構えた。勢いよく走り出し、剣に向かって振り下ろす。
キン、と鈍い音が響いた。
ゴルム殿は持っていた剣の刀身を見た。剣は折れるどころか、傷すらなかった。
「剣に出るほど、何に迷ってんだ」
「それは……」
喉の奥が詰まった。答えようとして、答えにならない。この三ヶ月、これまでのことはゴルム殿とティルナ殿には話していた。ゴルム殿が何かに感づいてるのは、その様子からわかった。
「お前がいなきゃダメなくらい、弟は頼りねぇのか?」
「そんなことはありません。リュートは俺よりも頼りになりますよ」
「だったら分かってるはずだ」
「でも……」
続く言葉が出てこなかった。剣を握る手にだけ、無駄な力が入っていた。
ゴルム殿がため息をついた。
「今日はもう帰れ。そんな腑抜けた顔でいられちゃ迷惑だ」
そう言うと、工房に戻って行った。
剣に視線を向け、持ち上げた。刃に映る自分の顔を、しばらく見ていた。
ふと、リュートの顔が浮かんだ。落ち込んでいたのは、一緒に過ごした間でたったの二ヶ月だけだ。それも、もう立ち直っている。
次に、スーリィの顔が浮かんだ。まだ甘いところはあるが、ちゃんと成長している。
そこで、ようやく違和感の正体に気づいた。俺の弟と妹は、俺がいなくても大丈夫なんだ。
寂しさが込み上げてきた。ただ、嫌な寂しさではない。安堵と紙一重の、次に進むための寂しさだった。誰かに縛られていたのではなく、自分で自分を縛っていただけなのだと、今更になって気づいた。
目を閉じて、もう一度刃を見た。刃に映る自分の顔には、もう曇りはなかった。




