第138話 一人だけ
(リュート視点)
精霊術を発動させた。まずは属性核を意識してみた。
空気が変わった。
「小僧、昨日から何も変わっておらんぞ」
短く、鋭い声だった。目を強く瞑った。ここで来たか。何がきっかけかわからない。アリシアたちがこちらを見ていた。
どうして俺なんだ。ユリウスも精霊術を使っていたのに。これでは楽しみが半減どころではない。
「それに、坊主。何じゃその精霊術は。まったく変わっとらん」
ユリウスが固まった。先にそっちをやってくれよ、と思った。
「小娘と嬢ちゃんもいつまで話とる。さっさと試すのじゃ」
アリシアとスーリィが目を丸くしていた。小娘と嬢ちゃんはどっちがどっちだろう、そんなことを考えた。
エノラだけはクスクスと笑っていた。俺も少しはその立場でいられると思っていたのだが、なれなかった。
「いつまで呆けとる。さっさとするのじゃ」
「いえ、さっさとしろと言われましても……」
ユリウスが食い下がった。
「つべこべ言うでない。そもそも坊主の精霊術は精霊術自体がまだ甘いのじゃ。儂らの精霊術にはなっておるが、普通の人間が使う精霊術が抜けきれておらん。純度以前じゃ」
ユリウスが目を見開いた。確かにユリウスは詠唱の精霊術から、いつの間にか対話式精霊術に変わっていた。それを知っているはずはないのに、さすがと言うべきなのだろう。ユリウスは言い返さず、精霊術に集中し始めた。
アリシアが精霊術を発現させた。
「小娘、出力と純度は違うぞ。それではただ弱くしただけじゃ」
小娘はアリシアだったらしい。ということは嬢ちゃんがスーリィか。
スーリィが俺を見た。不安そうだった。頷いて、精霊術を使うよう促した。
スーリィが精霊術を発現させた。
「この中では嬢ちゃんが一番儂らの精霊術に近いな。じゃが、制御という意味では他と変わらん」
スーリィにだけ甘くないか。いや、それでいいんだが。厳しくすれば逃げるだろうし。
まさか、コランタンさんはそういう資質のようなものまで見抜けるのか。だとすれば、皆を誘った思惑も見透かされているのかもしれない。
頭に浮かんだ考えを、慌てて打ち消した。
その日はそのまま、スーリィには甘め、アリシアとユリウスには厳しく、俺は一番きつく扱かれた。何度精霊術を発動させても、返ってくるのは「甘い」の一言だけだった。
解せなかった。なぜ俺だけなんだ。思惑を見透かしたからなのか。だが、それは導師という称号が与えられた者の行動には思えなかった。
途中、アリシアとユリウスから睨まれる場面もあった。エノラはその様子を、ただ笑って見ていた。
繰り返すうちに、指先の感覚が鈍くなっていった。汗が目に染みても、拭う間さえ与えられない。結局、誰も進展はないまま日が暮れた。空気が冷え、影が長く伸びていた。体の中心に鈍い疲労が沈んでいるのがわかった。やはり、フェルウィン先生を捕まえて純度の制御について聞く必要がある。
——————
疲れは、椅子に座ってもなお抜けきらなかった。夜、夕食の時間になって、フェルウィン先生がやってきた。
「今日の師匠の扱きはどうだった?」
笑いながら聞いてきた。
「それはもう、俺一人だけ優遇して扱いてくれましたよ」
「一人だけ?」
「ええ、昨日の夕食時にアリシアとユリウス、スーリィを誘ったんですよ。そして今日、皆で扱かれてきました」
「なるほど。考えたわね」
「それで、今日、コランタンさんが霊素の成分について教えてくれまして、その後に、純度の制御はフェルウィン先生が知っていると言ってました」
アリシア、ユリウス、スーリィも、フェルウィン先生を見ていた。
「私のは純度を落とすためのものよ。制御と呼べるようなものではないわ」
「そうだとしても、何かのヒントにはなるんじゃないですか?」
「今できているのは、完全に私用に調整した内容よ。それでも聞く?」
「お願いします」
「わかったわ。とはいえ、理論の話をわからないでしょうから、イメージの話をするわ」
全員が頷いた。
「そうね。例えば、水を発現させる時、ただ水をイメージするだけではなくて、形や温度、色、香り等、そういうもっと詳細なところまでをイメージしている感じね。ただ、これを無意識にしているから、それをただ水だけをイメージしたような状態にしているのよ。この首飾りでね」
「わかったような、わからないような」
「それでも何もわからない状態よりはマシだ」
「そうだな。ありがとうございます、フェルウィン先生」
「頑張りなさい」
この日はこれ以上精霊術の純度の話はせず、談笑にふけった。窓の外はすでに暗く、灯りに照らされた食卓だけが賑やかだった。




