第133話 純度の差
(リュート視点)
コランタンさんは俺の方に向き直った。さっきまでの好々爺然とした空気が薄くなり、笑顔の中で目つきだけが鋭く深くなった気がした。
「では、始めていくぞ、リュートよ。まずは精霊術を見せてもらおうかの」
「はい……」
少し不安を感じたが、気を取り直して精霊術を使った。土の球体を発現させた。いつも通りの手応えだった。すぐに形になり、掌の上で安定した。
コランタンさんはしばらく黙って見つめていた。
「これほど精霊に寄り添われる人間がいるとはな……じゃが、まだ甘い!」
その声色が、急に変わった。柔らかな笑みが消え、低く硬いものに変わっていた。空気そのものが張り詰めたように感じ、俺は思わず息を止めた。
「ただ漫然と精霊術を発動しとるな?純度が甘すぎる」
すぐには言葉が出なかった。
「何を呆けておる。小僧、もう一度じゃ」
小僧——さっきまでリュートと呼んでいたはずだった。何が起きているのかと、俺は思わずフェルウィン先生の方を見た。
「じゃあ……私は行くから、頑張りなさい」
フェルウィン先生がそう言って、じりじりと後ずさろうとしているのがわかった。逃げようとしていた。
「待て、リセル。どこへ行くつもりじゃ。ちょうど良い。久しぶりにお前にも修行をつけてやろう」
「いえ、私は研究者ですから、結構ですよ」
「つべこべ言わずさっさとせんか。人間の小僧にエルフの精霊術の純度の高さを見せつけてやれ」
こんなにも変わるものなのか。矛先がフェルウィン先生に向いている間に、冷静さを取り戻さなければと、俺は意識を切り替え、次に備えて呼吸を整えた。二人はしばらく問答を続けていたが、その声はだんだん遠くなり、じきにフェルウィン先生の方が折れた。
「はぁ、紹介したらすぐに帰るべきだったわ」
フェルウィン先生はため息をつくと、俺の方に向き直った。
「いい?ちゃんと見ておきなさい」
そう言うと、目を伏せて集中し始めた。すぐには発動しない。俺の時よりも明らかに長い時間をかけて、ようやく土の球体が現れた。
その球体は、俺がさっき出したものとは見るからに違っていた。滑らかで、光沢を帯び、硬そうな質感が伝わってきた。俺は隣に自分の球体を発現させて並べてみた。並べてみると、違いはより一層はっきりした。表面を撫でた指先の感触まで違う気がして、同じ土の球体とは思えないほど、別物だった。
「これはアーデン君が発現させたものと同じくらいの出力で発現させているわ。違うのは純度くらいね」
「純度の制御はできるようになったようじゃが、相変わらず発現まで時間がかかり過ぎじゃ」
「精霊術が苦手なのは知っていますよね?師匠でもどうにもできなかった落ちこぼれですよ」
「苦手……?落ちこぼれ……?これでですか?」
俺は思わず聞き返した。この質の球体を出せて、なお苦手だというのか。
「そうよ。エルフの中では私は精霊術を使えない方よ」
その言葉に、あの日の霧を思い出した。追手が入れないほど広範囲に晴れない霧を展開し、結界を張ったのはフェルウィン先生だった。あれほどのことができる人が、エルフの中では精霊術が使えない方だという。
「あの時の霧や結界を、精霊術が苦手な人が張れるものなんですか?」
「あれは繊細さのいらないただの力技よ。広く押し流すだけなら、誰でもできるの」
「エルフの中で精霊術が得意な人だったらどうなるんですか?」
「そうね……発現までの時間はアーデン君より早く、もっと硬くできるでしょうね。後は発現させてからも自由に形状や硬度も変えられるでしょうね」
フェルウィン先生の言葉と同時に、目の前にもう一つ球体が現れた。その球体は色も形も質感も、絶えず変化し続けていた。
「見せた方が早いわい」
コランタンさんが発現させたものだった。フェルウィン先生の方に意識を向けていたとはいえ、いつの間に発動させていたのか、俺はまったく気づかなかった。フェルウィン先生の球体は、変化の始まりを目で追えた。だが今度は、気づいた時にはもう形が変わり終えていて、どこが起点だったのかさえわからなかった。
「このくらいはできて当然じゃ。さて、休憩はよかろう。続けるぞ」
「師匠はエルフの中でも最上位の精霊術師ですよ。普通のエルフにはそこまでできません」
「小僧がやろうとしておるのは普通のことではないのじゃ。この程度できなければ、できん」
その言葉には、有無を言わせない重みがあった。
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それからもコランタンさんの扱きは続いた。返ってくる言葉は「甘い」のひと言だけだった。十度目も、二十度目も、同じだった。何度繰り返しても、コランタンさんの反応は変わらなかった。
汗の伝う場所が、額から顎、首筋へと増えていった。喉が渇き、声を出す気力も薄れていった。修練場に落ちる影が、少しずつ長く伸びていった。息が上がり、掌の感覚が段々と鈍くなり、腕の付け根が重く痺れ始めた頃、気がつけば日が暮れていた。何かを摑んだという実感はなかった。
フェルウィン先生は、いつの間にかいなくなっていた。俺を置いて逃げたようだった。
「今日はこのくらいで勘弁してやるか」
コランタンさんのその言葉と同時に、俺は大の字になって地面に倒れ込んだ。土の冷たさが背中に染みた。全身から力が抜け、指先すら動かせなかった。
「一ついいですか?」
「なんじゃ?」
「俺がしたいのは霊素の純度の制御で、精霊術の純度の制御ではないんですが……」
「愚か者が。精霊術の純度制御もできん者が、霊素の純度など制御できるわけなかろう」
「一応、一年ほど前にその霊素と魔素の直接制御はしたようなんですが?」
「無意識下でじゃろ。そんなものに意味はない。忘れろ」
言われてみれば、その通りだった。意識してできなければ、意味はない。
「明日もじゃな。今日以上に厳しくいくぞ」
今日以上——となると、これは毎日続くと考えたほうがよさそうだった。このままでは、身が持たない。アリシアとユリウスも巻き込んで、少しでも分散させないと。スーリィは気が引けるが、二人を誘えば付いてくるだろう。精霊術が上達するのは間違いないはず。仕方がないと思うことにした。あと、フェルウィン先生も捕まえてこないといけない。
修練場の天井を見上げながら、俺はそんなことを考えていた。




