第128話 対等の証
(リュート視点)
王宮の中、控えの間に通された。窓から差し込む光が壁の木目を静かに照らしている。フェルウィン先生が向き直って言った。
「謁見の前に、伝えておくことがあるわ」
俺たちは自然と姿勢を正した。
「前にも話した通り、女王陛下の御名はソレーヌ・エルウィン様。国外に関わる事案には、必ず宰相のロナン・エルウィン様も同席されるの。今日もそのはずよ」
「女王と宰相が同じ家名なんですね?」
「ええ、二人は夫婦でもあるのよ。ちなみに、エノラ様という王女もいるわ。今日いるかはわからないけど」
「なるほど。わかりました」
待つ間、ユリウスがぽつりと言った。
「俺たちは、これからどうなるんでしょうか」
フェルウィン先生は少し考えてから答えた。
「どうすることもないはずよ。確認されるだけ」
それから、少し声を落として付け加えた。
「ただ、歓迎はされないでしょうね。ロナン様は特に、こういう前例のないことを嫌うから」
その言葉が、控えの間の空気を一段引き締めた。
案内の者が呼びに来て、謁見の間へ向かった。大きな扉が開かれ、六人並んで広間に通された。
広間の左右に、数名の衛兵が並んでいた。その中の一人だけ、やけに姿勢が正しく、視線がまっすぐこちらに向いていた。奥の玉座に、一人の女性が座っていた。表情はほとんど動かなかった。隣に壮年の男が立ち、少し離れた場所に、まだ若く見える女性が控えていた。
アリシアたちは少し後ろに並んで立った。誰も声を出さなかったが、スーリィが兄さんの袖を軽く掴んでいるのが横目に見えた。
フェルウィン先生が跪いた。俺たちもそれに倣った。膝に石の冷たさが刺さり、息が止まった。
「陛下。仰せに従い、参上いたしました」
「面を上げよ」
短い声。抑揚がなかった。フェルウィン先生が顔を上げた。ソレーヌ陛下の視線が、少し長く留まった。
「リセル。オルフィンから報告を受けている。五人のうち四人に、人間としては常ならぬ精霊の反応があると」
「はい」
フェルウィン先生の短い答えにロナン様が問うた。
「リセル。お前は一存で、この者たちを結界の内側まで連れ込んだ。鎖国が保たれているのは、外部との接触を最小限にしてきたからだ。前例のない受け入れが、森国の秩序をどれほど揺るがすか、分かっているのか?」
言葉一つ一つに、計算された重さがあった。
「承知しています、宰相閣下。それでも、他に手立てがありませんでした」
フェルウィン先生は動じなかった。王女らしき女性が身を乗り出した。
「お父様、まずは事情を聞いてから判断されては?」
語尾がわずかに砕けていた。ロナン様をお父様と呼んだ。あの女性が、王女のエノラ様か。目が、珍しいものを見るように輝いていた。ロナン様がエノラ様を見た。一瞬だけ、眉の間の険しさが緩んだのが見えた。すぐに元の硬さに戻り、口を結んで黙った。
「先ほど言った四人のうち、特に強い者がいると聞いている。誰だ?」
「はい。彼、リュート・アーデンです。人間でありながら、精霊が自ら寄り添う稀有な資質を持っています」
ソレーヌ陛下の視線がこちらに向いた。俺自身よりも、周囲の何かを見ている気配があった。
「彼は精霊術学院で、その力を隠さず使ったことで、教会に異端と断じられ、逃亡せざるをえず、先日まで追い詰められていました」
ロナン様の眉がひそまった。
「教会に追われた者を、連れてきたということか?」
「その通りです。教会であっても森国にまで手を伸ばして追うことはできません」
「その者たち自身に問題はないのか?」
「リュート・アーデンと後二人は、精霊術学院で四年間見てきていますが、森国への脅威や問題となる行為を起こすものではありません。残りの二人は、この者の兄妹です」
ロナン様がまだ何か言いたそうだったが、ソレーヌ陛下が手で制した。
「リュート・アーデン、と言ったか。そなたは精霊をどう思っておる?」
心臓が跳ねた。だが、答えに迷いはなかった。
「八歳の頃から、精霊は対等な友人だと。そう思っています」
「そのようだな。精霊がそう言うておる」
ソレーヌ陛下がじっと俺を見た。
「妾に何か言いたいことがあるようだな、言うてみよ」
喉が一度、動いた。来ることはわかっていた瞬間だったが、声にする重さまでは想像していなかった。
「恐れながら、陛下。精霊王にお目にかかりたく思っております」
一度、息を吸い直した。
「両親が俺たちを庇い、教会に捕らわれています。助ける力をお借りしたく」
ロナン様がすぐに反応した。
「私事のために、精霊王様を動かすと?よくもそこまで図々しく言えるものだ」
静かに刃を突きつけるような声だった。ここで感情のまま言い返せば終わる。それだけがわかった。
「私事です。それは否定しません」
短く息を吸った。
「望んでいるのは一つだけです。その機会をいただく許可を。お助けいただけるかどうかを決めるのは、精霊王自身のはずですから」
ロナン様が鼻を鳴らした。
「戯言だな」
フェルウィン先生が前に出た。
「陛下。精霊王様への目通りについては、精霊王様のご判断に委ねるほかありません」
一度言葉を切り、続けた。
「ですが、それより前に一つ、ご覧いただきたいものがございます。この者と精霊の関係を知っていただくには、この者の精霊術をご覧いただくのがよろしいかと」
ソレーヌ陛下が少し考え、頷いた。
「よかろう。見せよ」
フェルウィン先生の視線が、一瞬だけ俺の指先に落ちて、すぐにまた顔へ戻った。目で促された。
手を掲げた。何も唱えない。
水の粒が舞い上がり、光の中で輪を描いた。広間の空気が揺れる。衛兵たちの視線が、示し合わせたように水の輪へ集まった。エノラ様が身を乗り出し、ロナン様の眉が動いた。
「精霊が自分から……」
呟きだけが、静まり返った広間に落ちた。
誰も口を開かなかった。膝についた石の冷たさだけが、やけにはっきりと感じられた。
ソレーヌ陛下が長い沈黙の後、口を開いた。
「リセル。お前の判断を、ひとまず信じよう」
続けて、俺たち全員に視線を巡らせた。
「森国での滞在を許す」
控えていた息が、少しだけ緩んだ。四年間見てきた、とフェルウィン先生は言った。あの人がどれだけ長く俺たちを見てきたか、今になってあらためて突きつけられた気がした。だが、陛下の言葉はまだ終わっていなかった。
「だが、精霊王様に会わせるかどうかは、精霊王様次第だ。望むなら、精霊王様自身に問うがいい」
「陛下、それでは——」
ロナン様が何か言いかけたのを、ソレーヌ陛下が制した。
「ロナン、お前の懸念は分かっている」
続けて、ロナン様の方へ顔を向けた。
「人間を滞在させることは前例のないのも事実だ。リセルを信じるとはいえ、動向を見ておく必要はあるだろう」
ソレーヌ陛下がフェルウィン先生を見ると、フェルウィン先生は頷いた。それからソレーヌ陛下は、広間の衛兵の一人に視線を向けた。
「ロアリック」
名を呼ばれた衛兵が、一歩前に出て一礼した。あの、姿勢のまっすぐな一人だった。そういえば、精霊術を見せていた間も、この男だけは水の輪ではなく俺の顔を見ていた。敵意でも好奇心でもなく、検分するような硬さのある目だった。俺という人間の中身よりも、人間がこの国に足を踏み入れたという事実そのものを確かめているような——そんな目だったのだと、名を呼ばれて初めて腑に落ちた。
「はっ」
「この者たちの滞在中、動向を見ておけ」
「御意」
ロアリックと呼ばれた衛兵は礼をし、一歩戻った。
「以上だ。リセル、後は任せるぞ」
「承知しました」
フェルウィン先生は立ち上がった。俺たちも立ち上がり、謁見の間を後にした。石の床から解放された膝に、じわりと血が戻ってくる感覚があった。




