第123話 対等という思想
(アリシア視点)
物売りの声がすっかり止んだ頃、言葉が途切れた。
「そうね……森国がどういう国かも、話しておいたほうがいいわね」
スーリィが椅子の上で、所在なさげに足をぶらつかせているのが見えた。難しい話が続いていることに、まだついていけていないのだろう。
「森の中にある国で、鎖国していること、正教国とは対立しているということしか知りません」
私が知っていることを伝えると、フェルウィン先生は頷いた。
「その認識はあっているわ。だから、人間があなたたちのように足を踏み入れることは、本来ならまずないわね」
少しの間があいて、フェルウィン先生が続けた。
「エルフは精霊信仰が強いの。これは教会もそうかも知れないけど、私たちは精霊を道具だとは思っていないわ」
「教会とは違う、ということですか?」
ユリウスが尋ねた。
「そうね。教会は精霊を従わせるものだと考えているでしょう。でも、私たちは、そうは考えない」
「対等、ということですか?」
「ええ、対等よ」
フェルウィン先生が少し目を細めた。
「あなたが今、精霊術を使う時と同じ考え方よ、バルネルト君」
ユリウスは少し驚いた顔をしたが、何も言わなかった。ただ、視線を膝の辺りに落として、しばらく黙り込んでいた。
膝の上に置かれた手が、無意識にゆっくりと握られ、また開かれた。何かを確かめるような動きだった。口を開きかけては、また閉じることを、二度ほど繰り返した。言葉にする前の何かを、まだ自分の中で組み立てている途中のように見えた。
契約式ではなく対話式精霊術を選ぶようになった自分自身の変化と、今聞いている話が、重なっているのかもしれない。そんな気配が、彼の沈黙から伝わってきた。
「エルフは得意不得意はあるけれど、全員精霊術が使えるわ。ただ、それでも、軍事力は弱いの」
「弱い?全員が使えるのにですか?」
私は聞き返した。
「精霊術は、争うための力じゃないもの。守るための力ではあってもね」
フェルウィン先生は少し間を置いてから、続けた。
「今、森国を統べているのは女王、ソレーヌ・エルウィン様よ」
女王、という言葉に、昨日すれ違ったエルフたちの視線がふと蘇った。あのヒソヒソとした声の連なりも、この街並みも、すべて誰かが治めている国の一部なのだと、今更ながら実感した。
「でも、その女王の判断さえ左右する存在がいるの」
政治的な話題になった瞬間、ランベルトさんがわずかに身を乗り出した。先ほどの首飾りを覗き込んだ時とは、明らかに質の違う前のめりだった。好奇心ではなく、何かを見定めようとする姿勢だった。なぜか、その横顔だけが、いつまでも目に残った。
「女王陛下より、上の方がいらっしゃるのですか?」
ユリウスが戸惑ったように聞いた。
「上、というのとは少し違うわ。政治のことは女王が決める。でも、精霊に関わることは、すべて精霊王様の意向が優先されるの」
「……精霊王」
スーリィが小さく繰り返した。その瞬間、スーリィの周りの空気が、ほんのわずかにざわついたように見えた。スーリィ自身も何かを感じ取ったのか、驚いたように自分の周りを見回していた。誰も、すぐには言葉を継がなかった。
窓の外の物音さえ、その数秒だけ意識から消えていた。部屋の中の沈黙だけが、やけにはっきりと感じられた。
その沈黙の中、テーブルに置かれたリュートの指先が、ほんのわずかに動いた。縁に触れたまま止まっていたときと同じ、意味を成さない動きだった。ただ、指先の力の入り方が、前よりも少しだけ強かった。
「全ての精霊の頂点に立つ存在よ。森国の外にいる精霊も、大元をたどれば精霊王様に行き着くわ」
「お会いしたことは、あるんですか?」
ユリウスが尋ねた。
フェルウィン先生は少しだけ間を置いた。
「あるわ。何度か」
「どんな……方なんですか?」
恐る恐る尋ねた。
「言葉で説明するのは難しいわ。会えばわかるのだけれど、会うかどうかも精霊王様の判断になるわね」
フェルウィン先生がリュートの方を一瞬見た。リュートの視線が、その一瞬だけ持ち上がり、また元に戻った。フェルウィン先生は続けた。
「あなたたちが今、自然に使っている精霊術……あれは、本来、精霊王様のもとで培われてきたもの、エルフの精霊術に近いの。それは精霊が示しているわ」
「これを話し始めると長くなってしまうわ。詳しくは、また今度にしましょう」
窓の外の日はもう傾き、部屋の壁に長い影を落としていた。誰もその影から目を離せずにいた。




