第114話 事実だけが
(エルリング視点)
ヴィグルたちが、リュート・アーデンの両親の拘束を終えた頃には、街道はすっかり闇に沈んでいた。
壊れた馬車の周りには、投げ出された荷物が散乱していた。割れた水瓶、転がる毛布、誰かの靴。逃避行の生々しい痕跡が、踏み荒らされた地面の上に取り残されていた。
縄をかけられた二人は、膝をついたまま、抵抗の気配すら見せなかった。それ以上、何かをできる状態ではなかった。父親の肩からは血が滴り、母親の頬には土の跡が残っていた。それでも、二人とも、視線だけは森の方角から離さなかった。何度問いかけられても、口を開く気配はなかった。
縄で縛られた手首の先で、父親の指が、ほんの少しだけ母親の方へ伸びていた。届くはずもない距離だったが、母親もまた、同じ方向へ指先を傾けていた。隊員の他の誰も、その小さな動きには気づいていなかった。
その間、私は森の方角を見つめていた。すでに日は落ち、木々の輪郭は黒い塊にしか見えなくなっていた。風が、街道に散らばった荷物の端をかすかに揺らしていた。
「ヴィグル副長」
「はい」
ヴィグルが、短く答えた。
「追いますか?」
そう続けた問いに、森の方向を見たまま、少し間を置いた。
「いや、追うのはやめよう。夜の森に不慣れな我々が踏み込むのは危険だ。それより今は、シグルド執行官殿への報告を優先しよう」
ヴィグルは、何も言わなかった。同意を示す必要がないということだった。夜の森に慣れていない土地での闇は、敵よりも厄介な相手になり得る——それは、現場に立つ者たちの間で共有された経験則だった。自分の判断に、異論はなかった。
シグルド執行官殿は、現在帝国方面を追っている。発見の事実をいち早く届けることが、次の手を決める材料になる。たとえ今、何も見つけられなくとも、十二月はじめにはブランデル領で合流することになっていた。それまでにできることを、確実に進めておくべきだった。闇雲に森へ踏み込み、隊員を失うような真似は、最も避けるべき選択だった。功を焦って判断を誤れば、追い詰めるべき相手を逃がすことになる。それだけは許されない失態だった。
拘束された二人を一瞥した。
寒さのせいか、あるいは別の理由か、母親の肩がかすかに震えていた。それを見ても、表情は変わらなかった。任務に私情を挟まないことは、長年かけて体に馴染ませてきた規律だった。それでも、視線を逸らさずに二人を見つめる時間が、いつもよりわずかに長かったことに、自身では気づいていなかった。
「移送する。先ほどの防御で消耗しているだろうが、ソルン、父親の方を歩ける程度に回復を」
「はっ」
ソルンが短く答え、父親の傷に手をかざした。淡い光が傷口を包み、出血が止まっていった。ただし、それはあくまで歩ける程度の処置に過ぎず、完全な回復ではなかった。父親は、痛みに顔を歪めることもなく、その処置を黙って受けていた。隣で母親が、夫の様子を一度だけ確かめるように見て、また視線を森へと戻した。
「ケティル、あなたは先行してシグルド執行官殿に報告を。アスビョルン、移送の馬車の手配を」
二人は短く返事をすると、すぐに馬を走らせ、闇の中へと消えていった。蹄の音が遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
壊れた馬車に視線を移した。木箱や荷袋が、街道のあちこちに散らばっていた。誰かの着替え、食料の包み、子どもの背丈に合いそうな上着。逃げてきた家族の暮らしの断片が、夜風にさらされていた。
「荷物の確認を。記録に残す」
隊員たちが返事をし、確認を始めた。懐から手帳を取り出し、羽ペンを走らせた。発見の状況、場所、時刻、逃亡者の人数、逃亡方向——淡々と、事実だけを書き連ねていった。誰がどんな顔をしていたか、誰が何を叫んだか。そうした余分なものは、一切記さなかった。
事実は嘘をつかない。それが信条だった。感情を記録に混ぜれば、判断はいつか曇る。これまでの任務で、幾度となく確かめてきたことだった。
記録を取り終えると、顔を上げた。
「では、移動する。二人は歩きなさい」
馬車を用意させた隊員が戻るまでは、二人は徒歩での移動となった。それに合わせて、護衛隊の足取りも、いつもより緩やかなものになった。
ヴィグルが馬に乗り、先頭に立った。隊員たちもその後に従った。あたりは、すでにすっかり暗くなっていた。星の出ない曇り空の下、隊列の灯りだけが、ぽつりぽつりと街道を進んでいった。
森の方を一度だけ振り返った。
感情の揺らぎは、どこにも見当たらなかった。ただ、任務の記録として、逃亡者が消えた方角を確認した。それだけの行為だった。
馬の足音と、引かれていく二人の足音が、夜の街道に小さく響いていた。風はさらに冷たさを増し、誰もが無言で歩を進めた。ブランドルフまでは、まだ数日の道のりが残っていた。星のない空の下、誰も口を開かなかった。




