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隔絶した世界に転生した親友と  作者: まーくん
青年期ーリュート編ー

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第105話 今度は私の番

(アレクシス視点)


 十月に入って間もない朝だった。精霊術学院の中庭には、夏の名残を引きずったまま色づき始めた木々が並び、風が吹くたびに葉先が小さく擦れる音を立てていた。空気は澄んでいたが、その澄み方には、もう夏ではない冷たさがあった。学院長室の窓からは、その様子がよく見えた。


 執務机の脇の椅子に腰を下ろし、卓上の茶器にぼんやりと視線を落としていた。湯気はもう立っていなかった。置かれてからそれなりに時間が経っていた。それに口をつける気にはなれなかった。


 対面の机には、アルトリース学院長が座っていた。何も言わずに、ただ静かに座っていた。ラントベルクへは、話がある、とだけ伝えたという。それだけで、ラントベルクは来る、とアルトリース学院長はそう言っていた。あるとリース学院長は何も言わず、扉の方を見ていた。


 部屋の中には、古い書棚の木の香りが薄く漂っていた。窓の外、中庭の喧騒は遠く、時折響く生徒たちの笑い声だけが、この部屋の静けさをかえって際立たせていた。


 扉が、静かに叩かれた。


「クラリス・フォン・ラントベルクです」

「どうぞ」


 アルトリース学院長が応じると、扉が開いた。入ってきたラントベルクは、室内に視線を巡らせ、私の姿を見つけると、わずかに目を見開いた。すぐに、その驚きは表情の奥へ仕舞われた。その切り替えの速さが、印象に残った。


「お呼び立ていただいたとのことで、参上いたしました」

「来てくれてありがとう。座ってください」


 アルトリース学院長が向かいの椅子を示した。ラントベルクは一礼し、腰を下ろした。背筋は伸びていたが、肩の力は抜けていた。礼節を保ったまま、それでも硬さのない佇まいだった。


 アルトリース学院長が口を開いた。


「アーデン君のことで、あなたに話があります」


 ラントベルクの表情が、わずかに変わった。笑みの形を保ったまま、その奥にある何かが静かに引き締まったように見えた。アーデンの名前を聞いた瞬間、彼女の中で何かが切り替わったのだとわかった。


 アルトリース学院長は、淡々と語った。アーデンに対して異端審問の調査が行われたこと。その結果、異端と判定されることがほぼ確実視されていること。すでに相応の時間が経っており、判定がもう正教国側で下されている頃合いだろうということ。起こっていることを、順序立てて淡々と伝えていった。


 窓の外で、葉が一枚、音を立てて落ちた。


 ラントベルクは、その間、一度も口を挟まなかった。両手は膝の上で軽く重ねられ、視線はアルトリース学院長の顔に据えられていた。感情を先に立たせるのではなく、まず何が起きているのかを正確に掴もうとしていた。呼吸は乱れず、ただ静かに、一語一語を受け止めていた。


 話が終わると、しばらくの沈黙があった。窓の外で、また葉が擦れる音がした。


 膝の上で重ねた両手は、指先まで固く静止していた。喉の奥が一度だけ強く締まったが、それが声に出ることはなかった。


「……わかりました。私はなにをすればよいのでしょうか?」


 ラントベルクが言った。内心でわずかに息を呑んだ。信じるかどうか、手伝うかどうか——そうした段階を、彼女は一足飛びに越えていた。最初に出てきたのは、行動への問いだった。


「私が作っている組織に加わってほしい。教会権力の過度な介入を監視し、王国の秩序と法を守ることを目的とした組織だ」


 ラントベルクは黙って聞いていた。


「この組織の活動の中に、アーデンを守ることが含まれている」

「組織はどういったものですか?」

「王国治安研究会。表向きは穏当なものだ」


 ラントベルクの目が、一瞬だけ細められた。表向き、という言葉の重さを測るような目だった。

 

「組織にはどのような方が参加されているのですか?」

「私とルーカス、アルトリース学院長、シュタイナー司教、セレナ神官が現在参加している」


 ラントベルクは、少し間を置いた。視線が一度、テーブルの木目の上をなぞるように動き、それからまた、私の顔へ戻ってきた。王子。学院長。司教。並べられた名前の重さを、確かめているようだった。


「その組織で、私は何をすればよいのでしょうか?」

「組織は今はまだ情報収集の段階だ。然るべきときに動きやすい人間が必要だ。君には中継役となってもらうことが多くなるだろう」

「そうですか」


 ラントベルクは、また少し間を置いた。それから、表情を変えた。普段の柔らかな笑みとは違う、もう一段深いところから出てきたような顔だった。


「……わかりました。参加いたします」


 その顔には、はっきりとした決意が見えた。


「ありがとう」


 そう言うと、アルトリース学院長が小さく頷いた。


 ラントベルクが一礼して部屋を出て行った後、しばらく二人とも口を開かなかった。机の上の茶器は、結局誰も口をつけなかった。陶器の表面に映る窓の光だけが、わずかに揺れていた。


「あの子は、大丈夫でしょうか?」


 アルトリース学院長が、窓の外に視線を向けたまま言った。


「大丈夫です。あの速さで動ける人間が必要なんです。それにあの表情をご覧になったと思います」

「そうですね……」


 アルトリース学院長は、それ以上は言わなかった。窓の外、中庭の木々が風に揺れているのを、しばらく見ていた。守るためとはいえ、まだ若いあの娘をこの状況に引き入れたことへの重さが、その背中に滲んでいた。


 長い影が、机の上にゆっくりと伸びていった。


――――――

(クラリス視点)


 学院長室を出て、廊下を歩いた。足音が、石の床に小さく響いた。膝の上で重ねていた手には、まだ冷たさが残っていた。窓から差し込む光は、すでに高く昇った陽のものに変わっていたが、その光にはどこか乾いた、秋の色があった。


 窓の外を、何気なく見た。中庭の更に奥、いつも三人で精霊術の練習をしていた場所が見えた。今はもう誰もいない。風に吹かれた葉が、その場所を音もなく横切っていくだけだった。


 足が、自然と止まっていた。


「……リュート……アリシア」


 小さく呟いた。声は、誰にも届かない大きさだった。


 あの頃のことが、いくつも思い出された。リュートの精霊術の使い方を見て驚いたこと。アリシアと並んで授業を受けたこと。二人がいつも、何かに迷いながらも、その先へ進もうとしていたこと。自分はその傍らで、笑って、励まされてばかりだった気がする。


 ――ずっと、私は教えてもらっていて、助けてもらってばかりだった。


 風が、また一枚、葉を流していった。それを目で追い、それから、もう一度、誰もいない練習場へ視線を戻した。

 

 今度は私の番ね。


 そう思うと、胸の奥に小さな熱が灯った。不安がないわけではなかった。組織の名前も、自分がこれから担うことになる役割の重さも、まだ実感には遠い。それでも、足は止まらなかった。


 もう一度だけ窓の外の練習場所を見て、それから前を向き、歩き出した。乾いた風が、廊下の奥から吹き込んできた。その風の中に、何かが静かに変わり始めている気配があった。


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