第七十話 ミカエルの回想12
あれから半日が経過しました。
今はアイリスさんの言われた通りに宿に待機している所です。
「ベッドに横になっているだけなのも意外といいですね……」
よくよく考えてみるとこの様にゆっくり出来ることなどそうそうありません。私の有給が消化されましたが必要な対価と言えるでしょう。
「少し良いか?」
ドアが開き、この宿の主人が入ってきました。
冷や汗をかいているのを見ると、やはりあれ関連ですね。
「警備隊ですよね」
「あぁ……お前、一体何をしたんだ?」
「少々問題を起こしましてね……準備はできているのですぐ降りますね」
厄介な事となりましたが、これはこれで楽しみ甲斐があるというものです。
天使が人間に捕まるなど、創世以来初なんじゃないですかね。
神様はあります。セブノック様が昔やらかしてますから。
主人の横を通り抜ける時、私は彼の手に一枚の貨幣を握らせました。
「ご迷惑をお掛けしてすみません。これは迷惑料です」
「別に迷惑はかかってねーんだがな。だが貰っておく。ありがとよ」
主人と共に一階へ降りると、宿の前には十数名ほどの警備兵が整列していました。
全員が鎧を身に纏い、腰には剣を携えています。その中央には、一際立派な鎧を身に着けた壮年の男性が立っていました。
私へ視線を向けると、その男性は一歩前へ出ます。
「貴殿が旅人、リョク殿で間違いないか」
「はい。私がリョクです」
私が頷くと、男は懐から一枚の羊皮紙を取り出しました。
「ミシャナン公爵家嫡男、クズニ=ミシャナン様への暴行容疑により、王都保安局の権限をもって貴殿を拘束する」
ここまではギルド統括長の予想通りですか。
「異論はありますか?」
「ありません」
男は一瞬だけ眉をひそめました。いけませんね。あまりにもあっさりし過ぎていましたか。
「……抵抗はしないのだな」
「ええ。事実を説明する機会は、どこかで必ず訪れるでしょうから」
その言葉を聞いた警備兵達は顔を見合わせます。
誰一人として、これほど素直に拘束へ応じる人物を見たことがないのでしょうね。
「……両手を前に出せ」
言われた通りにすると、鉄の様な物質でできた手錠を嵌められ、両脇に重厚な装備の騎士が二人、私の脇を持ちました。
「貴殿には申し訳ないが、ここは従ってもらう」
男達に運ばれ、後ろに待機していた馬車に私は乗せられました。
窓も黒く塗りつぶされており、外の景色が見えなくなっています。
「景色を、見たかったのですがね……」
「景色、か。貴殿もなかなかに変わっているな」
私の目の前に腰をおろしながらそう返してくれました。
そのすぐ後に馬車はゆっくりと動き出しました。
「しかし、幸運か不運か。貴族が殴られた事など初めてでな。事例が事例というわけでベルグラン現国王のサン=ベルグラン様が直々に判断なさるとの事だ」
「国王ですか……。どの様な人物なのです?」
「そうだな。サン国王の政は普通なのだ。むしろ良い政策を出してくれる。異常なのは精神性だ。深くは話さないが、実際に貴殿も謁見してみれば分かるだろう」
そこから先、会話は一切ありませんでした。
少し寂しいと同時に興味が湧きました。仕事に忠実そうなこの騎士にさえここまで言われているのですからね。
*
*
大体20分ぐらいでしょうか。馬車が不意に止まり、騎士に降りる様に促されました。
目の前に広がっていたのは、この国の中心である王城でした。
高く積み上げられた白い城壁。空へ伸びる幾本もの尖塔。左右へ整然と並ぶ近衛騎士達。
建築技術だけで言えば、人間としては十分に優れていますね。
「こっちだ。着いてこい」
騎士達に囲まれながら城内へ足を踏み入れます。
内部は豪華でした。赤い絨毯が一直線に敷かれ、壁には精巧な絵画や彫刻が飾られています。天井には巨大な魔導照明が吊るされ、昼間でありながら幻想的な光が廊下を照らしていました。
「……信じられません。王城では殺人事件が毎日起こっているのですか?」
その言葉に、前を歩いていた騎士達の足が一瞬だけ止まりました。
騎士は苦い表情を浮かべましたが、それ以上は何も言いません。代わりに、ただ一言だけ呟きました。
「……余計なことは考えない方が身のためだ」
その声音には忠告が滲んでいました。
「忠告、ありがとうございます」
それから数分ほど廊下を歩き続けると、一際大きく、複雑な紋様で飾られた黄金の扉の前で足を止めました。
左右に立つ近衛兵が槍を交差させます。
「容疑者リョク。到着いたしました!」
大きく響いた声の直後、重厚な扉がゆっくりと左右へ開いていきました。
その先には、赤い絨毯が玉座まで真っ直ぐ伸びています。
左右には豪奢な衣装を纏った貴族達が並び、その最奥。
数段高い場所に設けられた玉座へ、一人の男が悠然と腰掛けていました。
年齢は四十代前後でしょうか。王冠を被り、調合された青の服に身を包み、国王の眼は不気味な程青く濁っていました。
「……うっ……」
「どうした。大丈夫か?」
後ろから、先程一緒に馬車に乗っていたあの騎士が心配そうに声をかけてくれました。
「大丈夫です……」
何が起こったかと言うと、あの国王の目を見た瞬間、吐きそうになったのです。
天使は人の感情を細やかに読み取ることができます。
人間の感情は豊かです。善の感情もあれば悪の感情もある。それは仕方のない事です。多少の悪徳があった所でいくら感情に敏感な天使といえど倒れることはありません。
『ーー強すぎるーー』
あの王ではない、誰かの感情が。もはや感情ではありません。怨念とも言えるでしょう。それが何百、何千も王の体を舞っています。
「……礼儀がなっとらんな……」
「申し訳ございません」
手には手錠が嵌められいますが、特に問題はありません。
「先程の発言を撤回しよう。最低限の礼はなってある様だな」
玉座に腰掛けた国王は、私を見下ろしながら静かに口を開きました。
「面を上げよ」
「はい」
私はゆっくりと顔を上げます。
国王はしばらく私を観察するように見つめた後、静かに問い掛けました。
「旅人、リョクと申したな。余も他の貴族も忙しい。故に、一つだけ確認する。ミシャナン公爵家長男、クズニ=ミシャナンへの暴行。その事実はあるか?」
私は迷うことなく頷きました。
「はい。拳を受け止めた後、押し返しました」
「ほら見ろッ!!」
この時ぐらい大人しくできないのですかね。
広間の端に立っていたクズニが、勝ち誇ったように叫びます。
「やっぱり認めたじゃねぇか!こんな下民、死刑だ!この俺を殴ったんだぞ!公爵家に手を出した罪は万死に値する!」
怒鳴り声が玉座の間へ響き渡ります。
「……黙れ」
たったこの一言だけで、クズニは黙り込みました。決して大きな声ではありません。
「しっ、しかし!国王陛ーー」
「先程の発言が聞こえなかったか?黙れと言ったんだ。余はこの者と会話してある故、次に遮った場合は貴族であっても厳罰に値すると知れ」
クズニは顔を真っ赤にしながら唇を噛み締めます。
「…………くっ……!」
先程までの勢いは完全に消え失せ、それ以上何も口にすることはありませんでした。
玉座の間は再び静寂に包まれます。国王はゆっくりと私へ視線を戻しました。
「……話を続けよう。貴様は今、自ら暴行の事実を認めた。だが、余には一つ判断しかねることがある」
貴族達も黙って耳を傾けています。
「建国以来、民が貴族へ手を上げたという前例が存在せぬ。法とは、感情では裁けぬ。前例を基とし、多くの者が納得できる形で運用されねばならん」
国王は肘掛けへ腕を置き、小さく息を吐きました。
「故に余一人の判断で軽々しく判決を下すことはできぬ」
なるほど。人間らしい考え方ですね。
人情に流される事なく完全に公平に人を捌ける者など人間界には存在しませんからね。
「よって、判決が定まるまでの間、旅人リョクを王城の地下牢へ収監する。連れて行け」
「「はっ!」」
騎士達がこちらに歩いてきて、またも両脇を掴まれて連れて行かれました。
この時、私は見逃しませんでした。あれほど無表情だった国王の口角が、ほんの僅かに吊り上がったことを。
あれは、善悪の判別がつく人間が見せて良い笑顔ではありません。もっと邪悪な、悪徳に深く触れる様な何かでした。
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